一歩下がる人生・・永遠の法理&宇宙の法則と人の運命

あなただけではありません。もう少しです。あと一息です。いま、一歩下がったことがきっと二歩前進に繋がります。

人生20年間の「不思議体験」

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

イメージ 1

ご愛読、有難う御座いました。続きまして、日常雑感その他を書かせて頂きます。

イメージ 1

不思議体験の原点・・癒気治療家 杉山さんに会ったこと

杉山さんに初めてお会いしたのは私が47歳の頃と記憶しています。

取引先の運送会社の社長さんが脳梗塞で入院したので、お見舞いに行きましたが、会話もままならない状態でした。

お見舞いの後、もうこの世で会えないのではと思っていました。が、半年後、元気なお姿でお礼に見えたのです。 びっくりでした。その社長さんの回復された要因は、実はお見舞いと称して杉山さんに癒気をお願いしていたそうです。

私も足や首が痛かったので紹介して貰うことにしました。冬で、確か私はオーバーコート着用でしたが、その社長さんはスーツのままで、長津田駅の階段を駆け足風に上っていますが、その社長さんは私より15歳くらい年上のはずです。
私も2〜3回通って、お蔭で足や首も改善しましたが、引き続きその後も伺いました。

友人・知人を紹介したケース例です。お得意先の社長はある有名医大の先生3人に個人的にも診てもらっていました。脳の病で伝え歩きがやっとで、また会話も不明だったのですが、杉山さんに通って半年後、プールで泳いだり会話も出来るようになりました。他には ガンや白血病も治った人も知っています。

この世に、こんなことが本当にあるのかと奇跡をみた気持でした。

彼は、早大卒業後、松下電器に入社。御成門ビル勤務時の会議中に、隣の社員の首筋に勝手に手が動いたのがスタートでした。隣の社員は高熱で、会社を休みたいのを会議があったので出社したそうです。
杉山氏の手が2〜3分触っていただけで、気分が良くなり煙草を吸い始めたそうです。

その後、社内では出張などの都度、社員に頼まれていたそうですが、結局、天命だと認識して、人助けのために退社し、長津田のアパートで癒気治療を始めました。

私は100人くらい紹介しましたが、みんなに喜ばれ、私を命の恩人と言う方もおられました。
治療方法はうつ伏せの状態で、衣類の上から背中から足にかけて40分さするだけですが、時々は頭から首筋まで摩っていました。


私は現役時代、弱音の虫が起きると「気」を入れに行きました。特に翌年に見事な?倒産事件で整理再建責任者の立場になり、心身共に疲れましたが、杉山さんにお邪魔するたびに前向きの「気」が充満しました。

倒産事件発生から2年後の最終解決まで、応援して頂いた方は大勢おりますが、一番は、自殺と人殺し以外は何でもやりますよと言ってくれた部下3名の方と弁護士の阿部先生でした。阿部先生は、その後、サリン事件被害者救済や弁護士会会長をされた方です。

杉山さんは平成22年夏、亡くなったお父さんが海が見たいと言われていたとのことで、 長津田から小田原に引越しされました。

以上の出会いや事件が、私がいろいろな不思議体験をした「原点」だったような気が致します。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

不思議体験・・不思議な夢(5)終 御守護実感・また助けられました

*実家の斜め前が小学校、その隣に町役場があり、子供の頃の遊び場でした。

1988年1月4日 初夢

子供の頃に見慣れた町役場の前を歩いているつもりでしたが、その場所に役場の建物は無く、深い森と奥に神社があるのです。あれ!役場が無い!と思いながら実家に向かって、なだらかな坂道を歩いていると、後ろから、かすりの着物を着た男の子と女の子が追っかけてきました。
そして私の両腕にぶら下ります。何処から来たのと質問すると「神社」のお使いなのと言いました。そのまま私の実家の日当たりの良い部屋で楽しく一緒に遊んでいました。

後年、年寄りの伯母(私は52歳で伯母は82歳)に聞いたところ、明治初年頃までは、その場所には神明神社がり、その後諏訪神社に合祀されたと聞いていたそうです。


1990年1月2日(初夢)

*(新たに勤めた会社にはベルギーやシンガポール他に工場があります。が、当時、私の担当とは無関係でした。)

夢の中で、急用でベルギーに出張です。日本とベルギーで会議をやっていますが、何故か私が行ったり来たりです。

*(その後、全体をみる立場になったとき、ベルギー会社の経営と責任者人事で苦労しましたが、黒字化達成しました。)
        
1990年2月21日

(仕事で上司と役員会で意見対立。入社するときお世話になった人で、私は大変悩んで困っていました。)

インドの何処かの丘。周囲には綺麗なせせらぎが何本も流れています。修行僧が多勢瞑想中です。私は案内の僧と丘を上って行きます。山頂に瞑想している一番偉いお坊さんのところについた途端に、私はそのお坊さんの膝の上に泣き崩れました。すると、お坊さんが私の背中を撫でながら「いつも見守って応援しているから心配しないように」と言って励ましてくれました。

(この夢は守護霊に守って頂いていることを実感しました。その後、創業者の仲立ちで、彼から謝罪があり、正常な関係になりました。)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

不思議な夢・・(4) 退社後も励まされました。松下幸之助氏他

1989.1.7

松下電工 丹羽名誉会長から経営の考え方についてお手紙を貰う。(内容は不詳)
...

1989・1・30

松下電工 藤井会長他数名で会議。100年計画について話し合う。
西暦2000年まであと12年で、すぐに来るから、みんなで頑張ろうと誓い合った。


1989.7.31

松下幸之助氏他5〜6名で新商品打ち合わせ会議。(内容不詳)


1990.2.4

松下幸之助氏に義父(松下OB)に酒を飲みすぎないよう注意をして下さいとお願いした。

(因みに私自身は松下電工を1987年に退社しています。)

松下・御成門ビルに勤務していた頃、私の机上にA−2サイズの印刷物が置いてありました。
後に聞いたことですが、ある印刷会社が2000部印刷し、取引先に配ったようで、その1枚でした。

松下電工・丹羽社長(当時)から、松下幸之助氏にも1枚届けられ、幸之助氏は、その詩を要約して色紙に書かれました。

印刷物を私は額に入れて読んでいました。大いに役立ちました。
約30年後にエッチング板の原稿として再度活用し、この詩の好きな方々に差し上げました。皆さんには大いに喜んで頂きました。

幸之助氏最後の書・・本物1枚、コピー2枚が実存しますが添付写真はコピーです。

イメージ 1

本当のエージシュートは未だに達成はありません。が、遊びで1週間で2回分プレーした時のアウト・インを張り合わすと、満年齢丁度のスコアが年間に数回あります。

写真は初めて張り合わせてみたスコアカードと現在の所属コースでの理事懇談会スナップです。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
sachiup777
sachiup777
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事