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2015年にワーテルローの会戦200周年をテーマにした28mmのミニチュア・ウォーゲームをプレイすべく画策中

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 五月の連休の時期と言えば、南北戦争に於ける、チャンセラーズヴィルの戦役が思い出される。そして、この戦いで、南軍の名将“ストーン・ウォール”ジャクソンが誤射による傷がもとで没した。それは、1863年5月10日(日曜日)のこと。
 
 1863年5月2日21時、ジャクソン将軍は愛馬リトル・ソレルに跨って、チャンセラーズヴィル近郊の森林に展開したフッカー将軍率いる北軍に接する形で展開する自軍部隊の合間を縫うように、幕僚8名を連れだって視察にでた。前線は本隊と100mほどの距離を離して展開する第33ノースカロライナ歩兵連隊による警戒ラインが引かれており、ジャクソンはその前線後方で視察を行っていた。
 
 21時15分、撃ち気にはやる前線の第33NC歩兵連隊所属軍曹トマスA.コウアンは、何かに反応して暗闇に向かい発砲した。それに触発された後方の本隊部隊がジャクソンの一隊を敵と見誤ったのか一斉射撃を行い、その流れ弾が三発、ジャクソンに命中する。内二発は左腕の肩近くに命中して大動脈が破れてしまい、さらに、リトル・ソレルはジャクソンを振り落とし疾走した。
 無傷でなんとか動ける彼の幕僚達は、さらなる誤射を避けるために、前線と平行して約200m移動し、見晴らしの良い、チャンセラーズヴィルへと続く小道にでた(現在、その地点には彼の没後25年にあたる1888年に作られたモニュメントがある。)。その先には砲兵部隊が展開しており、ジャクソンはそこまで連れていかれると担架に乗せられて、後方に運ばれ、即席の野戦病院で、すぐさま左腕を切断された。ジャクソンの負傷という報を受けたリー将軍は「彼は左腕を失ったが、私は大事な右腕を失った」と途方に暮れる。
 
 応急の手当を受けた彼は、さらに後方のガイリー駅近くの家に移された。そこで、リッチモンドから駆けつけた外科医と妻に看取られることになる。1863年5月10日、ジャクソンは肺炎を併発し、肺塞栓症状が現れ、負傷から一週間以上生き抜いたものの、戦傷死することになる。死への旅路にでる際に名将が口にした言葉が以下のもの。 
      「河を渡って木陰で休もう」
 
 それから一年後、ジャクソン将軍が没したその家に、北軍の名将グラント将軍が、ふと立ち寄った。そして、将軍を偲んでつぶやいた。
 
 「あれは勇ましい軍人だった。それにキリスト教徒らしい紳士だった。」

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