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寛永7年(1630)創建。御祭神は宇賀魂命。
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かつては旧町名の深川西大工町にちなみ西大稲荷と呼ばれ親しまれていました。
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写真を見て今気づいたのですが、玉垣に名横綱の大鵬の名が見えますね。
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『深川稲荷神社は、寛永7年(1630)の創建と伝えられています。以前は、旧町名の西大工町にちなんで俗に西大稲荷と呼ばれていました。関東大震災(1923)の後の区画整理により町名が変更し、昭和27年頃から深川稲荷神社となりました。深川七福神のひとつ(布袋尊)として親しまれています。』
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明治百年記念碑…『深川稲荷神社は祭神宇賀魂命にて、寛永7年の創立にして当町会の地域が古い町であることを示している。大正12年の大震災後の区画整理により町名が一変した。清住町西大工町伊勢崎町の各一部を合併して清澄町2丁目が出来た。清住町は寛永6年弥兵衛という人が開発し弥兵衛町と称したが、元禄8年清住町と改めた。西大工町は慶長のころ海辺新田といい、小名木川の河港として栄えたところで舟大工が多く住んでいたので深川海辺大工町とも称されたが明治6年西大工町と改められた伊勢崎町は元木場の一部で神田京橋の材木商の貯木場であり又川舟組の住居もあった。当町の半分は幕末まで久世大和守の屋敷であった。明治初年頃には近代郵便制度の創始者前島密が住んでいた。明治13年岩崎弥太郎がこの地を入手して深川親睦園を造り名園とした。之が現在の清澄庭園である。大震災後当町に属する所は埋立られ市街地となった。現在三野村合名会社の附近は幕末から明治初年三井家の代表として財界に活躍した三野村利左ヱ門が住んだ邸宅の跡である。中村学園は中村清蔵が明治38年小名木川畔に開校し明治時代深川に於ける女子教育の唯一の学校で大震災後当地に移転した。ここに明治百年を記念して当町の沿革を記し早くから発展してきた由緒ある町であることを伝えるものである』
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拝殿は閉まっていて中の布袋尊は拝めませんでした。
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社殿前にある石造の布袋尊像。
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狐は保護されていました。
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社務所。
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