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仁叟寺 (鹿角市)

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秋田県鹿角市十和田毛馬内番屋平。門の側に宝暦天保大飢饉供養塔が建立されています。寺号標紀年銘は昭和61年3月。
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曹洞宗。凱翁山仁叟寺。御本尊釈迦如来。秋田三十三観音霊場の第32番札所、鹿角三十三番観音霊場の第29番札所。
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山門です。
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当麻館の搦手門を移設したものと伝えられています。
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眺望。
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南参道。
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南参道向かいには柏崎神明社・内藤湖南先生誕生地の碑があります。
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南参道には十六羅漢像が並びます。
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賓度羅跋羅堕闍尊者(ビンドラハラダシャソンシャ)。
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迦談迦伐蹉尊者(キャダキャバシャソンジャ)。
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迦諾跋釐堕者尊者(キャダバリダシャソンジャ)。
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蘇賓陀尊者(ソビンダソンジャ)。
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諾拒羅尊者(ダゴラソンジャ)。
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跋陀羅尊者(バッダラソンジャ)。
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迦理迦尊者(ギャリギャソンジャ)。
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伐闍羅弗多羅尊者(バジャラホッタラソンジャ)。
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戎博迦尊者(ジュウバキャソンジャ)。
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半託迦尊者(ハンタギャソンジャ)。
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羅怙羅尊者(ラゴラソンジャ)。
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那伽犀那尊者(ナギャサイナソンジャ)。
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因掲陀尊者(インカダソンジャ)。
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伐那並斯尊者(バツナハシソンジャ)。
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阿氏多尊者(アシタソンジャ)。
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住荼半諾迦尊者(ジュウダハンダギャソンジャ)。
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仁叟寺は応永2年(1395)創建。
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南部氏と縁のある千徳氏が閉伊郡千徳神田沢(岩手県沢山)に天産賀舜を招き堂宇を建立したのが始まりで善勝寺と称していました。
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その後、天文3年(1532)沢山周辺を支配した桜庭家の菩提寺となり、山号を瑞源山と改めて永徳寺十世黄山東菊和尚を勧請し中興の祖としました。同家が毛馬内に配置換えと共に明暦3年(1657)に現地へ移って名称を仁叟寺と改名。天和二年(1682)に桜庭兵助光英が没し、その法名から山号を凱翁山と改めました。下記「仁叟寺由来記」の方が正確かと思いますのでそちらも参照してください。
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城代桜庭氏、檀家毛馬内給人、内藤家三代(天爵・十湾・湖南)などの墓所となっています。また、三の丸の生垣が続く武家屋敷町に隣接しており、仁叟寺の境内林と合わせて、この通りは当時の面影を残しています。
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手水舎。
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十三重石塔(平成18年6月吉日造立)。
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鐘楼。
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梵鐘。
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『宝永元年(1704年)に建立された鹿角最古の鐘楼である。大鐘は名工歌代治兵衛清久によって鋳造されたものである。惜しいことに戦時中献納された。』
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聖観音。
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合掌童子。
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仁叟寺御詠歌…『み佛の恵もふかき仁叟寺湧きてつきせず山の清水は夕焼けの空をわたりて鳴る鐘のひとつひとつに心澄みゆく』(仁叟寺梅花講創立25周年記念・澤口ミツホ作詞・昭和54年秋彼岸24世博忠代・寄進者木村善司・石工石井久志)
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仁叟寺由来記(昭和54年5月5日建立)。
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碑文…『凱翁山仁叟寺は、曹洞宗大本山総持寺三十六門の一つ、報恩山永徳寺の直末で、今を去る五百八十年の昔、永徳寺開山道叟道愛襌師の六哲、天産嘉舜大和尚によって創建されたものである。当所は神峯山善勝寺と称し、下閉伊千徳を本據とする土岐二郎善勝の菩提寺であった。善勝は布教のため閉伊を訪れた嘉舜の徳にうたれ、領内沢山に一寺を建立し、師を開山に迎えて一門の菩提寺とした。其の後善勝は勢威を恃んで屡々南部家に抗した。文亀元年第廿代藩主信時は、桜庭家中興の祖光康に命じて之を討たせた。光康は千徳舘に之を囲み、善勝は討死して茲に名門土岐氏は滅亡した。更に天文三年、閉伊四十八舘の土豪を平定した光康は、その功により閉伊の地に十数ヶ村を賜った。新しく領主となった光康は、打ち続く戰乱に荒廃した善勝寺を、早池峰の秀峰を望む閉伊川の畔に移し、山号を瑞源山と改め、永徳寺十世黄山東菊大和尚を勧請して中興の開山とした。寛永六年桜庭家四代兵助光英は、父■(言+恣)徳院仁叟紹智居士菩提のため毛馬内村に一寺を建立し、善勝寺の名跡を移して義円山仁叟寺と称し、同寺四世勝珊鑑重大和尚を住職に迎えたとあるが、その寺跡は明らかでない。明暦三年光英は毛馬内氏に代って柏崎城に入り、秋田津軽の藩境を守ることになった。新領主光英は、毛馬内氏の宝珠寺跡に仁叟寺を移して累代の菩提寺とした。ついで天和二年壬戌二月、八十四年の波乱の生涯を閉じた。光英の諡名忠當院凱翁宗勝居士にちなみ山号を凱翁山と改めた。尓来三百有余年、当寺歴代は、重税に苦しむ庶民のため、時には領主と争い、凶作の歳には飢民の救済に当るなど、常に民衆の味方として佛道の振興に努めて来た。昭和三十三年二月九日、不幸火災に見舞われ、一切の伽藍を烏有に帰したが、今や災害を乗り越えて見事に復興し、寺運益々興隆の秋、往時を偲ん一碑を建立し、寺史を刻して永く後世に伝えるものである。』
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慰霊碑。筑波藤麿の書でした。
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日露戰役忠魂之碑。大正10年11月建立。内藤虎次郎(内藤湖南)撰文。寺内正毅題額。
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日清戦役碑(「義勇報公」)。明治32年8月建立。
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石川伍一の名が見えます。西郷從道篆額。内藤虎撰。吉田晩稼書。
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戊辰戦歿之碑。明治23年10月15日建立。桜庭綱忠書。
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こちらはわからず。紀年銘は明治29年9月7日。
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消防群霊之碑(大正14年9月11日・消防組設立)。
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消防群霊之碑(昭和54年5月3日)。秋田県知事小畑勇二郎書。
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豊口清志詩碑…『豊口清志作詞「春になればしがまこぁとげで どじょっこだの ふなっこだの 夜が明げだと思べぁな」昭和四十六年七月十三日豊口清一建立老松庵書』
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鎌田露山句碑…『「山国の月におどりのいつまでも」露山』(昭和54年10月21日建立・みづうみ俳句会同好者知人一同)。
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納経堂(平成21年12月・梅花講)。
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六地蔵2組。
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観世音菩薩像。
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手水石付の地蔵様と土川福太郎之碑(殉職警察官・大正6年3月)。
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