遺構・痕跡・城址・廃墟・碑等

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弘前市本町(弘前大学医学部附属病院)。医学部臨床研究棟付近。
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忠犬ハチ公ではございません。ヨーコ(メス犬)が動物実験施設の屋上で元気に散歩している姿の像です。
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『1981年弘前大学医学部外科学第二講座(現消化器外科学講座)では、世界に先駆けてイヌを用いた生体部分肝移植実験を開始した。1988年には移植後40日に及ぶ世界最長生存記録を樹立し、大動物における生体部分肝移植手術技術を確立した。その後、臨床応用へと発展し、難治性肝疾患に苦しむ患者さんの救命的治療法として、世界中に普及した。この像は、世界最長生存犬「ヨーコ」が移植後元気に散歩する姿をもとに作製した。』
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六所の森 (深浦町)

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吾妻沢。
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かなりわかりにくい場所にあります。
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少なくとも私は近くで農作業されている方にお聞きしてようやく辿り着きました。親切にありがとうございます。ちなみに個人の敷地になります。
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最初は歩けど歩けど場所がわからず…途方に暮れて…ふとしゃがみ込んだら、周囲は四つ葉だらけでした。四つ葉の方が簡単に見つかるって…。
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吾妻川沿い吾妻館と接近し、藩命を受けて当地の開墾に当たった北村平右衛門、久左衛門の徳をたたえ、久左衛門を祀り、また、五穀豊穣祈願のために祀った六所宮があったとされるところで、康永4年(1345)の碑を含む3基の板碑が置かれています。なお、元禄年中に既に建物を失っており、その後の沿革は不詳。明治初年にも小森の上に何かの小祠があったと伝えます。森付近からは康永年中の碑も発見されており、森の北側から古い懸佛、唐銭などが発掘されています。
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六所神社(六所宮)の御祭神は不詳。享保6年(1721)村民が北村平右衛門を讃え、五穀豊穣祈願のため建立。なお、吾妻川の対岸には吾妻館跡があります。また、同地(吾妻沢)には白山神社があるようですがこちらも場所がわかりませんでした。白山神社の御祭神は白山比很拭大山祇命、保食神命。寛文10年(1670、村民が五穀豊穣祈願のために吾妻沢に建立。以後、白山様として農家や杣夫たちに信仰されてきたそうです。
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六所神社(六所宮)跡。
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板碑。
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向って左の板碑。高さ約124cm。流紋岩。金剛界大日如来(荘厳体)。
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「右塔婆造立 者悲母幽聖御五七日−也乃至法界平等利−益故是我−」※(−以下破損)。
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真ん中の板碑。高さ約110cm。凝灰岩。阿弥陀三尊種子。
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「奉造立石卒都婆為 慈父以餘薫無差平等」
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向って右の板碑。高さ約98.5cm。凝灰岩。阿弥陀三尊種子。
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「右意趣者為於悲母 康永四年乙酉二月二十九日孝子等敬白 幽儀七七伯法界平等」
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案内板「町指定史跡六所の森(昭和49年8月16日指定)」…『元和年中(1615-1623)に北村平右衛門が藩命によって、吾妻沢及びこの地域一帯の開発にあたった。しかし、その完了をみずに病に倒れたので、その子久左衛門が親の志を継いで開発に献身して寛永年中(1624-1643)に開発の事業を完成させたという。ともに開発の鍬をふるった村民は、平右衛門・久左衛門の苦難の功をたたえ、また五穀豊穣祈願のため、この地に六所宮を建立したものと言われている。元禄年中(1688-1702)に建物は失われ、その後の沿革は明らかではないが、明治初期にはこの丘の林に小祠があったと伝えられている。深浦町教育委員会』
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青森県上北郡おいらせ町南下田。舘越神明宮向かいに「カドのイチイ」がありますが、その通り沿いに曹洞宗音峩山聖福寺跡地があります。本村酒店の裏手付近です。
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石碑と松、その他お墓も一部残されています。実はこの後、聖福寺へと向かったつもりが、混同してすぐ近くの正福寺へと向かってしまったため、跡地のみの紹介です。聖福寺はここより北方、国道45号線も超えた阿光坊にあります。土地勘が無かったもので、寺名と位置関係が紛らわしかったです。
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紀年銘は昭和57年9月12日。
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聖福寺は曹洞宗で山号は青峨山。御本尊は釈迦牟尼仏。寛永15年に盛岡藩士の下田将監直徳が開基となり、後に本寺となる七戸瑞竜寺(上北郡七戸町)4世の即応明守を開山として創建。開基の直徳は寛永元年下田村一円300石を知行地とし、家臣らの願いもあって領内に当寺を建立。寺領4石7斗余を給。元禄7年住僧作成の寺請状や境内の六地蔵(寛延3年頃)銘などでは寺号を「正福」と記し、享和元年に書き改められた過去帳から「聖福」の表記が用いられています。明治26年と昭和12年の火災により堂宇と古記録類を焼失。昭和57年旧寺地の字南下田より現在地へ移転。寺宝として白鳳期作と推定される金銅製聖観音立像(県重宝)を所蔵。この像は県内最古の仏像彫刻であり、町内の観音森内の堂に安置されていたものを文化年間頃に当寺へ移されたと伝えます。2度の火災によって鍍金を失い、表面は焼き肌となるなど被害を受けています。像高220.8cmの小像ですが、三面宝冠を頂き、蓮台の上に直立し、右手に水瓶、左手に天衣をとっています。体躯に比べて頭部の大きな古様式を伝えております。
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秋田県仙北市田沢湖潟中山。たつこ茶屋前。田沢湖湖畔南方。
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かっぱの淵の松。
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その昔、この松は馬を繋いでおく木でしたが、馬が行方不明になることがありました。ある時、繋いでいた青馬が勝手に厩に戻っていて、飼い葉桶の中に河童が隠れていました。その河童を働かせようとしましたが、役に立たないので湖に戻してやると、以降悪さをしなくなったと伝えます。
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石碑は読み取れず。
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千葉治平詩碑。
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『靄森山なぜかその名優しけれ 汝が頂に雲を巻き濃き憂いを吐く白 みずうみに風立ちて 白鳥の波はよするなり』
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蚕魚墳。
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蚕魚墳…『田沢湖を巡る沿岸の集落は、外輪山から湖への距離が短いことから、耕地に適する平坦地が少なく、昔は湖に産する国鱒などの漁業と養蚕、それに製炭などで生計を立てていた。とくに、世界中でこの湖よりほかに生息をみなかった国鱒は、田沢湖の神話を起源とする高級魚として、慶事などの贈答魚として珍重され、湖畔住民の最大の収入源となっていた。ここ大沢の集落では、漁網や衣類の原料となる絹糸を吐く蚕と、国鱒などの魚族のために塚を築き、その霊を供養するとともに生産と豊漁を祈願したのであった。塚は駐車場整備のために取り崩されたままであったが、平成12年に古老の記憶をもとに往時の姿に復元したものである。向かって右が蚕塚、左を国鱒塚と言い、二つの塚をもって蚕魚墳と呼ばれていたものである。平成13年4月1日田沢湖町』
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かっぱの淵の松と蚕魚墳。
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辰子錐。見えるわけではありませんが。
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靄森山方面。
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辰子錐…『このルリ色の深さは、1km沖合で400mの水深に達し擂鉢状に落ち込んでおります。正面御座の石方向500mの前に水面下28mに小高い山があります。これは、田沢湖陥没の当時火山噴火によってできたものでもう少し噴火が大きかったら顔を覗かせておったでしょう。』
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飲水思源像 (田沢湖)

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秋田県仙北市田沢湖田沢春山。
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田沢湖共栄パレス前。
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田沢湖マリーン・田沢湖遊覧船乗り場付近。
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海面下の深さ(潜窪)…『田沢湖の水位は海抜249mで水深423.4mです。これを差し引くと海面下174mとなります。海面下の部分を潜窪といいますがこの湖が潜窪でも日本一であることは意外に知られておりません。潜窪の国内2位は池田湖の167m、3位は支笏湖の117m、4位は洞爺湖の96mの順になっている。田沢湖は典型的なカルデラ(ここでは桶状の凹地形)湖で、その昔海底隆起と造山運動による日本列島形成の頃地下の物質が火山爆発で大量に噴出し外輪山を形成、この噴出した空間を埋めるため大陥没したものと言われています。この湖は厳冬でも凍らない。湧水によるものか暖塊水の対流が起っている。』
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飲水思源像があります。田沢湖・澄清湖姉妹湖提携記念とありました。
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飲水思源像。
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台座碑文「趣旨」…『昭和61年度の田沢湖町商工会地域活性化事業の一つとして、観光国際化を目指して発足した田沢湖町国際交流促進協議会と、中華民国台湾省自来水公司との間で、田沢湖と澄清湖畔との姉妹湖提携について合意に達し、昭和62年11月4日澄清湖畔に於いて当町訪問団と自来水公司との間で調印式を行った。これを永久に記念するため、相互に記念像を交換建立することとなり、提携3周年を期して田沢湖より有賀敬子氏制作の「辰子飛翔の像」を贈り、澄清湖より「飲水思源」像が贈られた。平成2年12月5日38名の当町訪問団が澄清湖に訪問して「辰子飛翔の像」の竣工除幕式が行われ、本日澄清湖側より訪問団を迎えて「飲水思源」像の竣工除幕式を行った。澄清湖は台湾第2の都市高雄市から7粁の地点にあり、自然美と人口美の調和のとれた沿湖八景等、台湾の西湖と称せられる美しい湖で南部台湾の観光拠点である。澄清湖も水源、水質等に苦心しており、湖畔の台地に「飲水思源」の石像が建てられている。【「飲水思源」訳文】飲水思源は「本を忘れないこと」の意という。陽光・空気・水は人類生存の三大要件である。昔、用水は井戸・池・川などから取るので持ち上げ担ぎが苦労で且つ不安全であった。今は水道水があり、使用便利で衛生的であるが、このようにするためには大変な時間と労力、費用を要する。従って我々は用水する場合その本源の重大さを忘れてはならない。平成3年10月28日田沢湖町国際交流促進協議会』
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台座碑文「飲水思源雕像説明」…『飲水思源・即喩「不忘本」之意、陽光・空気・水是人類生存的三大要件 昔時用水取之於井・池・河等、提・挑・均極辛勞且不安全、今有自来水、雖使用便利又衛生、但其處理亦甚費時費力、故吾人用水、當思其来之不易、而多加珍惜!』
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みそたんぽで一服。
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