ポケットにミステリを

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鋼鉄都市

 アイザック・アシモフ氏のSF作品を読んだことないのは邪道扱いされるらしい。じゃあどうしようかと思った時に、大長編シリーズに手をつけるのも荷が重いし、『私はロボット』もなんだかなぁ。。。と二の足を踏んでしまったのだけれど、持つべきものは友である。ちゃんとこんな手頃な作品を教えてくれた。いつもありがとうございます。

 友人でもある警視総監・エンダービイに呼び出された刑事・ベイリーは、宇宙人惨殺という前代未聞の事件の担当にされた。指定されたパートナーはロボット・ダニール。捜査を始めたベイリーはロボットへの強い反感をあらわにする市民に脅かされつつ、自らもダニールとのコミュニケーションに悩みながら次第に真相に近づいていく。

 主題となる事件を「この状況下だからこんなロジックが成り立つ」という条件で解明していくわけだから、背景に関しての理解が不可欠。この未来都市の設定はわかりやすいし、そこで起きている人口増加の問題、機械化と雇用の問題などは現代から直結する状況として十分リアルにとらえられるから、十分にその要求に応えられているはずだ。

 そしてまた、この時期のSF小説を読むといつも感じるのは「科学の進歩」への期待。現実の世界は描いた理想通りには進んで来なかったなと落胆せざるを得ない。先人は道を示しているのにね。
 滝田務雄氏の新シリーズが“田舎の刑事”シリーズと同じくミステリ・フロンティアから登場。

 知的で凛とした主人公のロマンスと激しい戦闘シーンが売りの大河ロマンマンガの著者・マーチ宇佐輝は黙っていれば爽やかで落ち着いた美形。しかしその実態はオネエ言葉で気弱なちょっとみっともない男で、担当編集者・小亀ミドリにやられっぱなしである。ある日講演の下準備のため小亀の父・上月と待ち合わせていたふたりは、雑踏のなか男性が和弓で射殺された事件に遭遇してしまう。

 “田舎〜”シリーズにはあまり相性が良くなかった私だが(だっておじさんなんだもん)気を取り直して読んでみた。「得難いコメディセンス」(裏表紙著者紹介文より)かどうかはともかく、軽いようでいてロジックはしっかりした作品で、全体的に悪くない。探偵役のマンガ家先生の造形もオネエキャラ増殖の流行に乗ったばかりではなく、ミドリの父たち向けの好青年キャラの根本にあるものを暗に示唆したりしながら、今後の展開に興味を持たせ得る人物像に仕上がっている。

 敢えて難癖をつけるとすれば、いわゆる殺人トリックがちょっと解りにくいこと。私も学生時代にちょこっとだけ和弓をやったことがあるのだけれど、和弓の射法でこの殺し方、やりにくそうだけどなぁ。

球体の蛇  ☆

 道尾秀介氏の作品を即買いしなくなってしばらく経つ。『ラットマン』まで読んで『花と流れ星』『龍神の雨』『光媒の花』と放置中だ。嫌いになったわけではないのだけれども、まぁ確実に文庫化されるよなと安心感があって、なんとなく単行本を買う気がしなかった。東野圭吾氏なんかも同じ思考を辿る。しかし不思議なことに、そう思っていると文庫化されても手に取りそびれるのはどういうわけだろう。そんなわけで久々に本書を買ってみた。

 結果的には大当たり。早く読めば良かったなぁと思った次第。

  既読の作品に関して言えば、道尾氏のテーマは一貫して「嘘」だ。作中で相手を騙したり、読み手を騙したり、対象の違いはあれど騙し騙される状況のドラマを描いてきたのだと思う。それは今回の作品でも共通しているが、今まで以上に鋭く研ぎ澄まされた緊張感をはらんで展開される語り=騙りに目が離せなかった。ひとを騙す以前に自分自身をも欺かねばならない登場人物たちのもの哀しさが際立っていたためだろう。最後まで嘘で固めた物語は、所詮「なにが真実なのか」など解りはしないのだと開き直るのがフィクションで、どれだけ嘘を重ねられるかが職業的なストーリーテラーとして立って行ける資質なのだと自負するかのようだった。

 そうか、これが直木賞を取らなかったのか。。。それは軽く驚きだ。

ツィス

 2008年から続けて改訂刊行された広瀬正氏の小説全集のうち、最後まで読みこぼしていたもの。広瀬氏というとタイムトラベラーのイメージがあるが、これはカテゴリ的にはSFパニック小説。

 神奈川県の田舎町で精神科医をしている秋葉は、知人女性・逸見から奇妙な音についての相談を受けた。絶えずツィス(嬰ハ音)が聞こえ、気になってたまらないと言う。優れた音感を持つ逸見の訴えを幻聴と片付ける気にならない秋葉が音響の専門家・日比野に相談すると、日比野の開発した測定器は確かにツィス音を捉えた。初めはごく僅かな人だけが聞こえると認めたその音がだんだん多くのひとに感知されるようになり、ひいては聞こえる範囲も広がり始め、社会は一種のパニックに陥る。果たして音の正体とは?

 SF作品はどんなものが好きですか?と訊かれたら、現実をちょっとズラすことによって社会風刺をする作品と答える私にはストライクゾーンの作品。もしかしてそういうこと?と思うような結論に持っていかれても、不満に思うより「まったくおっしゃる通り」と賛同できることを心強く感じる心境だった。書かれた時期(昭和50年代?)と現在とで社会の変化があるから多少の違和感もあるのだけれども、本質的な部分では変わっていないからそんなに問題はないのだと思う。新聞やTVなどのリアルな描写に筆力が存分に発揮されていることも楽しめる。やはりこの人の実力はショートショートよりみっしり中身の詰まった長編に向いているようだ。

ふたりの距離の概算

 米澤穂信氏の“古典部シリーズ”最新刊。第5弾にして、こんどは初ハードカバー。なんでそうコロコロ装丁を変えるかなぁ(怒)!? 本棚で並べられないシリーズって評価下がるわ!! 米澤氏自体の立ち位置が変わってるのはわかるけどさ。

 新勧にはさほど熱心でなかった古典部にも入部を申し出てきた1年生がひとり。奉太郎と同じ中学出身だという大日向友子である。仮入部の期間をおいて本入部を待つのみとなった頃、友子はいきなり「入部しない」と言いだした。理由ははっきりしないが、えるは「自分のせい」と責任を感じているらしい。納得行かない奉太郎は、友子が来てからの出来事を反芻し理由を推理しようとする。

 今回の物語の舞台は“星ヶ谷杯”。平たく言えば全校マラソン大会だ。学校の裏山を一回りする公道を使い、20劼眩る。走る間に奉太郎は里志、摩耶花、えると順繰りに話を聞き、自分の記憶と突き合わせて推理を組み立て、友子と「対決」する。

 似たモチーフの大傑作『夜のピクニック』とつい比較してしまうことになるのだが、本書では舞台がマラソン大会である必然性が感じられなかったのがマイナス評価。奉太郎は衆人環視のなかでそんな目立つ行動をとりたがる奴だったか?  2年生になったからとか、春休みの体験が彼の省エネ主義に変化を及ぼしたとか、そういうことで変わる性質でもなさそうに思うのだけれど。むしろGWにでも学校外でこっそり話を聞いてやればいいのだ。

 心変わりの真相も若干浮いている感じはする。米澤氏の青春ものの作品を読んでいていつも思うのは「大人の影がないよなぁ」ということで、今回も例外ではない。大学生の話だったらむしろこうでもいいような気がするけれど、高校1年生の話だからなぁ。個人差の大きい年齢ではあるけれど、そこそこの進学校の子なんでしょ。おうちのひとの干渉がもっとあってしかるべきじゃないかと思うぞ。

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