ポケットにミステリを

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ディーン牧師の事件簿

 しばらく前に読んでいたものだが記事をさぼっていた。新鋭(なんだと思う)ハル・ホワイト氏のデビュー連作短編集。

 80歳の退任牧師が主人公。「事件のほうで彼を放っておかない」タイプ、巻き込まれ型素人探偵である。日常系と思いきや、かなり血なまぐさい事件が多いのが意外だった。「信仰の名のもとに論理を無視することはできない、神の助けがあれば論理が事件を解明してくれる」という彼の持論は私なぞにはアッタリマエのように思えるけれど、キリスト教的信仰心のある読者だともしかして意外性のあるキャラ立てということになるのだろうか。

 「不可能犯罪」を強調するのだけれども、クラシックな舞台ならいざ知らず、現代科学に照らすと一見不可能に見せるからくりが早々に明らかになりそうで、現代ものの限界というか味気なさを感じたりもする。

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 個人的にこのクラス(名づけるなら“ノベルス級”?)の作家さんでは図抜けて好みな汀こるもの氏の最新作。THANATOSシリーズとリンクしつつも独立してシリーズ化することにしたようだ。

 前作の顛末で廃部になった“完全犯罪研究部”だったが、そのまま大人しくするタマではない。図書準備室を部室に新顧問・藤田を迎え“ゼロ年代探偵小説研究部”として生まれ変わった彼らは、捨てさせられた過去に追いつかれそうになっている古賀を救うべく元顧問・ゆりっぺのもと立ちあがる。

 前作が照れ隠しのように小ネタを散りばめながら本筋の物語そのものの力で読ませたのに比べると、今回本筋が地味である。古賀の母親に関するトラウマから彼を解き放つために「彼を暇にさせない」という方法を取る、というところまでは良いとしてTHANATOSシリーズからの独立性を強めようとしてそちらの設定にあえて触れない展開をしたことで逆にそっちシリーズのユニークな魅力の欠落が意識されてしまった。たぶん“ネットで話題沸騰のロリ顔女教師・ゆりっぺ”に萌える層であればこのほうが良いんだろう。自分がこの一連の世界観のなかで不幸な刑事さんに萌えているのだと思っていたけれど、無意識にどれほど死神兄弟に魅力を感じていたのかを改めて意識することとなった。作者自身、この第2作は予定外のことだったようなのだけれど、あんまり編集者の言葉にのせられて二匹目のドジョウを狙わないほうが良いのではなかろうか。そこまで頼もしい編集者が最近のKノベルスチームにいるとは私には思えないので。

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ドゥルシネーアの休日

 詠坂雄二氏の書き下ろし長編ミステリ。読み始めてからわかったのだが『遠海事件』に引き続く作品だった。読んでいなくて困る作品でもないしネタばらしがあるわけでもないのだけれど、どうせなら登場人物の人柄を知った上で読みたいからこういうときはがっかりする。

 警視庁捜査一課の刑事・雪見は、死体の周辺にタンポポの綿毛を遺して行く連続斬殺魔の捜査に携わっている。刑事生活を振り返ってみても例のない、理解に苦しむ事件だと思う。自分たちの通常の方法で捜査したのでは犯人にたどり着けないのではないかと危惧している。そんな時、相棒の後輩刑事・野間が「ひとつ気になることがある」と相談してきた。10年前にも類似の事件が起きているというが、解決済みのその事件には多くの謎があった。

 「事件関係者に会いたいから殺人を犯す」という設定はどっかで見たような・・・と思いつつ思い出せないのが悔しいが、そう言えば『八百屋お七』のバリエーションみたいなものだと思い当るとなかなか斬新なアイディアというものは残っていないものだと溜息をつきたくなる。結末で明らかになる犯人像は「意外」というよりは定石通り、プロファイル通りでつまりは著者が常識人なのだろうと推測させる。クライマックスにきての展開がアクション映画的になるのは世間一般的(=商業的)には正解なのだろうけれど、“新本格的”に描いてくれたほうが個人的には好きかも。

 それにしても、どうして“ドゥルシネア”なのだろう。この女性を指すのだろうに、立ち位置にも行動にもちっともドゥルシネアを思わせるところなどないが・・・?

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太陽黒点

 角川文庫で山田風太郎ベストコレクションの刊行が続いている。2001年には光文社で“山田風太郎ミステリー傑作選”が編まれているし(本作は5巻『戦艦陸奥』に収録されていたらしい)、個人全集が何パターンもある作家さんをどう集めるかって悩むねえ。でもって今月の新刊棚にあったこの作品、解題は日下三蔵氏なのに帯の惹句が道尾氏なのはこれ如何に。帯でつい買ったけど(おい)光文社版のほうが収録作が多くて読みでがあったはずと反省。

 昭和30年代後半の東京。苦学生・鏑木明はアルバイト先で偶然に社長令嬢・多賀恵美子と知り合う。彼女を籠絡することで特権階級への復讐に代えようと夢想する明は献身的な恋人・容子さえも踏みにじり恵美子たちへ近づいて行くが、それが悲劇の連鎖を生む。

 戦中にも戦後にもわりをくってばかりの人生だった、という世代の慟哭が聞こえてくるような作品。著者のインタビューには「大戦で戦死した友人たち、同世代への鎮魂歌として書いた」とあり、発表された1963年当時には戦後育ちで繁栄を享受する若者がいかにも恨めしく、また羨ましくあったのだろうとしのばれる(ここからタイトルの意味を解するには「太陽族」という言葉を踏まえる必要があるだろう)。何人かの登場人物がそれぞれスポットを浴びながら役どころをこなす中で、やがて最も中心に立つ人物が明らかになったときにふたたびそこまでの物語展開を振り返ると、薄々つかめていた以上に根深い怨みつらみが理解でき、改めてゾッとする。途中までは「清張・・・?」と思ったけれど、終盤のケレン味はおそらくだいぶ違うはず。なるほど、鮮やかだった。

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罪人のおののき

 ルース・レンデルまつりはまたウェクスフォード主任警部ものに戻る。そろそろ順番通りに行かなくなる見込みだが、これはちゃんと5巻目。

 マイフリート館の当主夫人・エリザベスは、若やいだ容姿と気さくな人柄で使用人たちに敬愛され、世間にも好意をもって遇されていた。しかしある晩、森へ散歩に出た彼女が無残に殴殺された状態で発見されたことがきっかけで、館のひとびとの真の姿がウェクスフォードたちの前に明らかにされていく。

 作風が呑み込めてきたこともあって真相に「うっわぁ意外!」と驚かされることはないけれど(もともとそういうタイプの作家さんでもないし)、そのぶん人間ドラマの機微をゆったり楽しむ構えが身についてきた。いくつか読んできて、いずれも夫婦のあいだの複雑な感情を絶妙にすくう着眼点が良いと思う。そう考えると、裏表紙のあらすじに「ウェクスフォードが見出だした ある衝撃的な事実とは・・・・?」とあるのを見て、そこウリなのかなぁ?と多少引っかかる。

 それぞれのキャラについても馴染みが出てきて、ウェクスフォードとバーデンが息の合った役割分担で聞き込みを続ける様子が好ましい。ふと思ったのだけど、警官チーム(+検死をするドクター)以外はあんまりレギュラーらしい扱いではないのだな。その辺セント・メアリ・ミードとは違うのは町の規模の差かしら。

 

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