ポケットにミステリを

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歌野晶午が江戸川乱歩の幻想を現代に蘇らせた短編集。

作家・原口涼花には秘密があった。出世作のキャラクター設定もプロットも、かつて交際していた渡辺明日路によるものだったのだ。現在の夫に乗り換える格好で縁を切った明日路からの「再びコンビを組もう」という連絡を無下に断った涼花に対し、明日路は“復讐”を宣言する。(『椅子? 人間!』)

擬似古典というのではないが地の文の文体は少しだけ古めかしく、文豪の作品への敬意みたいなものを感じつつ読み出した。現代的なとげとげしさを持った会話のなかで説明される“人間椅子”を成り立たせる仕掛けには、
なるほど科学を駆使したらこんなことはできるなと納得する空恐ろしさがある。科学が人間をリアルな身体性から解き放つのは現実に起きている流れで、居ながらにして時間的空間的に離れた情報を収集することができるし、他人に直接の影響を及ぼすこともできる。時代による犯罪の変化、トリックの変化というわけである。他の作品にも“人工知能”“バーチャルリアリティ”といった現実と電脳世界の境界を危うくするアイテムが盛り込まれ、身体性が薄れることで人間と人間の間に生じる距離感の誤認が重要な意味を持つ。「まだ親しくないのにあたかも親しいかのよう」だったり「既に蜜月は終わったのにそれを認められない」といった誤認は作中で悲劇を引き起こすのみならず現実でもすぐ隣にある。社会派歌野氏らしい料理法だった。

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Xに対する逮捕状

 今年1冊目も翻訳もの。フィリップ・マクドナルド氏に初挑戦したのは、このほど創元推理文庫から刊行された、“名探偵ゲスリン”シリーズでも代表作とされる作品。

 自作公演のためロンドンを訪れた米国の劇作家ギャレットは、ふらりと出掛けたノッティング・ヒルの喫茶店で隣り合わせた女性客の会話を耳にした。どうやら一方の女が相手を脅したりすかしたりして犯罪の片棒を担がせようとしているらしい。女の計画が幼児誘拐だと推測したギャレットはスコットランドヤードに駆け込むが警察は動いてくれない。しかし友人を通じて相談をもちかけた名探偵ゲスリンはギャレットを信じてくれた。ゲスリンは犯罪が起きる前に阻止することができるだろうか。

 著者は経歴に明かされていない部分の多い作家だそうだが、英国の出身でのちに米国に渡った方だそうで、両方の国の事情に通じる経歴がこの作品にも生かされているようだ。作中で「誘拐などという犯罪は米国でおきるもの」といった発言がたびたびあり、「英国もだんだん活気はあるが荒っぽい米国社会のようになってしまうのか」と登場する人々に嘆かせたりしている。米国人のギャレットが英国の警察にやきもきさせられるあたりが物語の雰囲気作りに大きく影響しており、「警察がのんびりしているから民間の探偵の出る幕がある」と言わんばかりなのも、当時で言う“探偵小説の未来”を暗示するようで興味深い。実はそれでいてゲスリンの功績には、元大佐の威光を武器に警察上層部と上手くやり、敏腕の捜査員を手足のごとく使って集めた情報が必要不可欠なのだから、やはりホームズ以来の伝統的なスタンスを崩してはいないわけなのだけれど。

 この作品は「本格」と言うには展開に偶然の要素が多すぎる気はするのだけれども、冒頭の謎めいたシチュエーションをじっくりと解き明かしていく様に引き込まれるし、旧式のラブストーリーの顛末が微笑ましくて読後感が良いことも魅力で、新年をすっきりさわやかに迎えるにはちょうど良かった。

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Zの悲劇

 エラリー・クイーンの“レーンもの”を読んでいたつもりが、これは同じシリーズにくくっていいのかどうか。『Z』という文字はかなりこじ付け的な使われ方をしている。『Y』から11年経っていて、サム警視は退官して探偵になっているし、ブルーノ検事は知事になっていて、レーンはひたすら体の具合が悪い。

 そして最大の違いとして、本書はサムの娘・ペーシェンスが語り手の一人称小説(正確には「後から聞いた話」として部分的に三人称表記が含まれる)なのである。「探偵」としては優れた観察眼とそれら手がかりから大胆な推論を組み立てる論理性を兼ね備え、ヒロインとしては美しさと行動力と進歩性を持った、「どこにもいない」タイプの女性である。彼女を好むか否かでも物語への好悪が左右されそうな強烈なキャラクターだ。ひょっとして二階堂氏には蘭子の先祖として彼女の面影を追うお気持があったかもしれない。但しパティのほうがずっと好ましいキャラであることは衆目の一致するところであろう。

 閑話休題。

 この物語は、なによりもいちばんに死刑制度への懐疑を打ち出した作品に見える。誰かを罪に陥れる手口が巧妙かつ徹底的で、陪審員制度と絡めて今日にも通ずる「正しいジャッジの難しさ」を考えさせる。加えて死刑になる男の描写を微細に施すあたりも、死刑への嫌悪感を煽る効果大である。国内の作品で言えば『13階段』が引き合いに出せると思うのだが、これらの作品を読んだとしてもうっかり死刑廃止に賛同するには世の中あまりに凶悪犯罪が多い。犯罪の抑止力に期待しつつ冤罪をなくせる司法・警察のありかたを望むばかりである。

 

 

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Yの悲劇

 恥ずかしげもなく行っちゃいますよ。エラリー・クイーン氏のレーン3部作第2弾にしておそらくは最も有名かつ人気のある“不朽の名作”。

 サム警視(注:創元版『X』では警部だったけど出世した?  単に翻訳の都合?)が久しぶりにレーンの居城を訪ねたのは、名家ながら一族の異常なまでの放蕩で世間に知られるハッター家で起きた毒殺未遂事件について意見を求めるためだった。レーンはまだ「事実」が足りないと言って見解を示さず、この先も毒物騒ぎが続くだろうと予言する。しかし予想は裏切られ、ハッター家を牛耳る老婦人がマンドリンで殴られて殺された。

 初読は子ども向けリライトだったが、その後ハヤカワ文庫版で読んでいる。その時「意外な犯人」が実はそんなに意外じゃない(三重苦の婦人ルイザの証言は思っていた以上に犯人を絞り込む特徴を正確に捉えている)ことと、レーンが犯人を指名するまでの論理がいやに整然としているなぁと醒めたことを思い出した。

 ところで今回読んでみていちばん興奮したのは、犯人が犯罪を重ねていくことで能動的な犯罪者に育っていく過程、特にターニングポイントとなる“レーンによる毒殺阻止”の場面である。この物語のことはなんとなく“操り殺人もの”の一種のように感じていたので、肝はそこではなかったと目から鱗の心境だった。そうなると、事件を終結させるためにレーンの取った行動がそれで良かったのか?という疑問もより強くなる。とりわけ、家族の他の者への影響を懸念して罪をあばかなかったというのが実に不安だ。犯人が犯罪者になったのは“血”(あるいはもっと風情なく言えば“トレポネーマ”)のせいだと嘆いてみせたところで、最も影響を与えた環境なり教育なりを無視できるはずはなく、そうなれば犯罪に走るのは彼のみならず、他の家族のあるものにしてもその可能性を持っているのだ。

 そんなわけで、残念ながらこの作品にさほどの思い入れがなかったことを思い出す結果になってしまった再読ではあったが、なんだかこういう古典の安定感が非常に心地よい今日この頃なのである。当分の間古い作品ばかり読むことになりそうな予感。

 

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Xの悲劇

 知ってるようで知らなかった古典シリーズ、エラリー・クイーン(バーナビー・ロスと言ったほうが良いのか?)のレーン4部作トップを飾る作品。今回読んだ創元推理文庫版テキストは、実は中学時代に買ったものである。いつか読むだろうと思ってとっておいたこの物持ちの良さに我ながら呆れる。

 株式仲買人ロングストリートが混み合った市電のなかで毒針を用いて殺された。容疑者は多いものの決め手に欠け、苦慮した捜査陣は引退した名優にして“素人犯罪学者”であるレーンの意見を求めるべく彼の住む古城を訪れた。

 この作品の犯人が某氏であることは各種ネタばれ本でしばしば見せられてきたから、どうも「今さら」感が強くて読みそびれていた。それでもフーダニットだけにこだわらない読み方をしさえすれば相当面白かった。

 持ち込まれた謎に対して即「殺した人間がわかっていると思う」と言ってしまうレーン。犯人を泳がせることを警察当局が危険と考える一方、レーンは早まった指名こそが危険であると指摘し、結局続く殺人を防ぎきれないというお約束の展開。捜査のためにレーンの見せる変装術の巧みさと、そんな俳優の設定をも伏線にとりこむ(それがなければこのトリックがすんなり真面目に受け入れられたとは思えないもの)作者の力技。読み手を欺くために作者の仕掛けた文章上のトリック。「古典ってシツコイなぁ」と苦笑いをしながらすっかり夢中にさせられたころ、最後の最後にタイトルの意味が明らかになり、そこまでやるか!と呆然となった。さすがにそこまではネタばれされてなかったよ。。。

 続く『Yの悲劇』は一応ちゃんと読んでいるけれど、最近話題になったことでもあるし、『Z』に進む前にもう一度読んどくか。また新しい発見があるかもしれないし。

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