|
これは、母から聞いた話である。
結婚するもっと前、母が三重県の白子に住んでいた時の話だ。
白子と言えば海が近く、母のいた寮もすぐ南が海とゆう海好きには羨ましい土地だ。
当時、母はマッサージの仕事をしていて、仕事を終えて家に帰るのは深夜から朝方にかけてだった。
ちょうどそれを見た時も、仕事帰りで8月の早い朝焼けに辺りが染まり始める頃だったらしい。
駅前で友人の車から降りて北へ歩くと、仕事仲間と暮らす寮に着く。毎日往復している道を、その日も何気なく歩いていたそうだ。
それに気付いたのは、歩き始めて間も無くのことだった。
北へと歩く自分の後ろから、何か音がする。
足音のようで、そうでないような・・・
始めは大して気にも留めず歩いていたのだが、次第にはっきりとしてくるその音に、母は聞き耳をたててみた。今ほど多くないとはいえ、不信人物である可能性もあるし、こんな時間の女の1人歩きだ、警戒はしている。
もしもそんな人物ならば、振り向いてしまって追いかけられるより、慎重に、音から距離をはかり、逃げ出したほうがいいかもしれない・・・そんなふうに思ったのだと言う。
そうして、音が近くなるにつれて、はっきりと「足音」だと気付いた。それも1人、2人ではない、大勢が歩く音だと。
それは、まさに一糸乱れぬ足音で、普通の人間がバラバラに歩く音とは違う。
何かおかしいと、怖いながらも母は振り返った。
まだ、薄暗い中に夏の早朝には珍しく靄がかかり、その先から歩いてくる人影の先頭が見えた・・・
目を疑ったが、それは「兵隊さん」だったのだという。
細かい服の様子や1人1人の顔形は、いくら見ようと思っても見えない。ぼんやりとして、度の合わない眼鏡で物を見るのに似ている。
それでも、水筒を肩からかけ、帽子をかぶっている様子は分かった。
先頭の2人の後ろにも更に霞んではいるが、何人もの兵隊が続き、今、母が来た道を同じように歩いて来るのである。
生きている人ではないことは一目で分かった。その服装といい、見え方といい。
母は走って彼らと距離を置き、そこから又振り返る、とゆうのを繰り返した。
やがて、もう少しで寮に着くとゆう所で、その隊列は四つ角を右に曲がりその足音と共に母の視界から消えたと言う。
緊張と奇妙な興奮で振り返ってはいたが、消えてしまうと途端に恐怖にかられ、そこからは寮の階段を駆け上がったらしい。
自分はなんとゆうものを見てしまったのか。
現実であったのか。
母は今しがた見たものを、相部屋の友人に話し、それは、その隣、その又隣の部屋へと、あっという間に広がって寮は「兵隊さん」の話題で持ちきりになった。
「その角曲がったら、神社だよね?」
「いや、お寺だよ〜。・・・・うわ・・・怖い・・・」
母は友人達が騒ぐのを聞き、ようやく気付いたそうだ。
確かに、お寺がある。普段歩くのは寮から駅に行く道ばかりで、すっかり忘れていたが引っ越してすぐに散策した時に一度だけ歩いたっけ・・・。
そんな話をしていると当然のように「そのお寺に行ってみよう」ということになる。
みんなは1度眠り、昼になってから母を含め数人で例のお寺へと向かった。
そして、恐々手をつないで入ったお寺の片隅には、戦争で亡くなった人達の慰霊塔があったのだという・・・。
「間違いない!南からだと海から来たことになるし、ホントに兵隊だったんだ!」と、又大騒ぎになったが、母は1人手を合わせ、こぼれそうになる涙をこらえていた。
亡くなってもなお、いや、亡くなったからこそ、と言うべきか、海を渡り母国に帰って来るのだ。
心があるのならば、一体どんな気持ちで日本を目指すのか・・・
戦争で国を離れ、東南アジアへ出兵したまま戻らなかった人の数は膨大で、その最後は凄惨なものだったろう。もちろん、東南アジアだけではなく、もっと前にはシベリアへ向かった人達もいる。亡くなるその時、脳裏をよぎるのは日本に残した家族の事、育った土地の風景なのだろう。
そんな痛烈な感情は僕らには想像もつかない。
今でも母は言う。
「亡くなった後くらい自由に帰って来ればいいのに、それでも隊列組んで、足並み揃えて帰ってくる。それを思うと、哀れに思うよ・・・今じゃ考えられないけど、この国のためにああやって何人が死んだのかね・・・みんなが帰って来られればいいね」と。
母は彼らを見たその日は8月15日。終戦記念日だったのだという・・・
END
|