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先日、夫が大津市歴史博物館で開催された「壬申の乱」のセミナーで
大友皇子に興味を持ち、大津市役所の裏(西側)の 弘文天皇陵や天智天皇に縁の石座神社へ午後から出かけて来ました。 何とビックリ!!
弘文天皇(大友皇子)の命日が今日8月24日だったのです。宮内庁の管理人が教えてくれました。 資料から
弘文天皇 天智天皇の第一皇子(648〜672)。 母は伊賀采女宅子娘(いがのうねめ・やかこのいらつめ)。天智後継者として統治したが、 壬申の乱により叔父 大海人皇子に敗死する。 672年の壬申(じんしん)の乱で、天智天皇の弟・大海人皇子に敗れた大友皇子(天智の皇子)は、「山前(やまさき)」の地で自殺したと記録にある。皇子は、ながく天皇と認められなかったが、
明治3年(1870)ようやく弘文天皇とおくり名され、死地とされた長等山麓の塚が陵墓とされた。 新羅善神堂 園城寺の境内神社ですが、園城寺から入ってません 弘文天皇陵の真正面に鳥居があった。宮内庁の管理人に鳥居の事を聞き、行って見る事にしました。 大木の森林におおわれちょっと怖いなーと思ったが鳥居をくぐり抜けて歩くと
板塀に囲まれた社殿が見えて来ました国宝の新羅善神堂です。 新羅明神座像が祭られている、あいにく神殿は檜皮葺きの屋根の修復だろうか? 石坐(いわい)神社 大津膳所の石坐(いわい)神社は天智天皇・弘文天皇など縁の神社です。 弘文天皇陵の後、お参りしてきました。膳所西の庄の住宅街に石座神社です 資料から
天智天皇の頃の創建と伝える。 祭神は天智天皇・弘文天皇など6柱。
「延喜式」に記される古社。 かつて御霊殿山の山中の大岩上に祠があったことが 石坐の社名の由来。
八大竜王社とも呼び水の神でもある。本殿は県指定文化財。 祭神は彦坐王(ひこいますおう)と、
天智天皇、伊賀釆女宅子媛命(いがうねめやかこひめのみこと)と その子大友皇子(おおとものおうじ)(弘文天皇)、豊玉比古命、海津見神です。 前四柱の神像は平安および鎌倉時代の作で、重要文化財に指定されています |
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