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11月突入致しました1 9月決算、11月申告のという毎年お決まりの構図なのですが、 10月末までは数字の最終決定、これからは納税資金の資金繰り。。。 市の制度融資や未だ残っているセイフティーネットは低利で魅力的なのですが 売上減少という縛りがあって借入できず、銀行さまに証貸で0.8でどうよ と囁いても1.0ちょうだいとサラ金似みたいなことを言うので今回は見送り。 かぼちゃの事件から融資状況は多少変わった感があります。 で、月末の定例業務も終わったので魔が差してしまい、 というか番田駅前の居酒屋さんのカウンターが満卓だったのもあるのですが 夕方駅と反対方向の焼き鳥家さんの前を車で通りかかるとお客さんも入っておらず オーナー社長さんも寂しそうな顔をしていたので車を家において 買い出しした冷凍食材を冷蔵庫にぶち込み近所の焼き鳥屋さんに迷いこんでしまいました。 明日からはサミットを下るだけだから まっ、いいか。。。 明日は6時起きでデスクワーク頑張ろっ… 1983年3月頃 土讃本線 須崎付近 再掲でしたらご容赦下さい。 大阪セメントDF50重連仕業の間合いだったのか解結貨物もどきにDF50の重連が入っていました。 そう言えばDFが落ちたあとは大阪セメントのセキはDE10の重連が後をついだのでしょうか? 自分が鉄撮影からフェイドアウトしてしまったので分からず。。。 .
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好きだった機関車
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骨の痛みもだいぶ楽になってきたので虫が騒ぎだしてきました。 関東はこの土日天気も良さそうですし。 で、何撮ろうかと... 風呂でも入りながらちょっと考えてみますか。 1983年4月4日 高知機関区 スノープロウの付きのDF50-28 .
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この書庫も放置状態ですが、今晩は少しだけポジをアサってみました。 1983年4月頃 土讃線 阿波池田かな?? この静かな駅構内の雰囲気が好きです。こうした景色はかつては地方の駅では結構ありましたね。 この日の行動はよく覚えていないのですが、前年の春に続いて第2回目の四国遠征した際のカット。 この年は四国ワイド周遊券を使い倒して1週間近く四国に滞在した記憶がありますが、 撮影記録していたノートを非鉄の15年の間に処分してしまい、撮影日もポジのマウントに 刻印されている日付だけが頼りです。 年月が過ぎる度にその刻印も薄れてきてしまい、さっさとスキャンして記録しておかないと いつ頃撮ったものなのかもわからなくなってしまいそうです。 1983年4月頃 土讃線 阿波池田 横の建物を拡大すると池田通運という看板が見えますのでたぶん阿波池田じゃないかなと思います。 斜光線に照らされるDE50-34のボディー。 運転台も撮影させていただいたようです。 .
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多ノ郷から延びる大阪セメント(現:住友大阪セメント)の専用線での撮影あと、吾桑駅付近の俯瞰ポイントへ向かいました。 上りの普通列車を待っている間に先ほど住友大阪セメントに行ったカモレが戻ってきてしまいました。 おまけに通過する「南風」も上下1本ずつタブレット受け渡しのスナップを押さえることができました。 多ノ郷駅からとなり駅の吾桑駅に向かう際、車窓からロケハンすると東側の丘の上には先客が数人。 1本目は遠慮して下の方から撮影してました。 2本目は先客もいなくなったのでもう少し上の方から撮影。 当時の詳細はあまり覚えていませんが、大阪セメント向けのカモレは臨時を含めると結構本数があったようです。現在ではこの吾桑駅の撮影ポイントの近くに高知自動車道が出来ています。 高知機関区のDF50重連は、斗賀野駅から分岐した土佐石灰工業大平山鉱山で採掘された石灰石を多ノ郷駅から分岐した大阪セメント高知工場まで輸送していました。後年この鉱山は閉山されたようです。 この石灰石輸送は最後の活躍をしていたDF50にとってまさに天地だったかもしれません。 .
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まだ寒い1983年4月の朝、土讃本線多ノ郷駅に降り立った。四国へ渡って来たのは2年ぶりのこと。 この頃はまだ土讃線にも気動車の夜行列車が運転されていました。 しばらくすると重連のDF50が大阪セメント(現:住友大阪セメント)の工場の専用線から貨物列車がやってきました。 ちょっと早く到着したようで発車時間まで暫し停車。 助役さんがタブレットを持ってきて、汽笛一声、早朝の土讃線を上って行きます。 陽が上ってから専用線の方へ歩いて見ました。ヤフーの地図を見ると廃線跡は出ていませんが、航空写真モードで見ると築堤らしきものがはっきり分かります。この鉄橋の先が工場の敷地です。 風のない朝、今でも忘れられない水鏡のカットです。 .
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