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カテゴリを歴史にしてもよかったのだけど、大東流の話をする。 先日、透明な力を入手した。 不世出の武術家・佐川幸義についての本である。 この人は拳法漫画の傑作「拳児」で「佐上幸義」として登場しているのだけど、大東流合気柔術の名人、武田惣角の高弟であり、その術を受け継ぐ者としてこの世界ではかなり以前から知られていた。 透明な力ではこの人の考え方や時折に語る武田惣角の思い出話が書いてあり、興味深い内容だった。中でも面白いのは「合気」という言葉についてで、「秘伝」などではこの語は実は出口王仁三郎などが作った言葉ではないかという説がでていた。これが植芝盛平から武田惣角に逆に伝わったというのである。しかし透明な力では植芝と会う以前の日付で「合気」という言葉がでていることに触れている。つまり「合気」は少なくとも大東流起源の言葉であるということだ。 大東流の起源については、ほとんどよくわかってない。 一応の発祥の伝説はあるが、まさに「伝説」であって真面目に受け取れるようなものではない。 某所からのコピペだが 八幡太郎義家(源義家)の弟である新羅三郎義光(源義光)(しんらさぶろうよしみつ/みなもと・の・よしみつ)を流祖とし、甲斐武田氏に伝えられ、甲斐武田氏滅亡後は会津藩主・保科家に引き継がれた後は御留流の御式内として上流階級武士にのみ極秘裏に修行され、明治維新後に一旦世に埋もれたものの、中興の祖である武田惣角(たけだそうかく・万延元年(1870年)〜昭和18年(1943年))が、会津藩家老であった保科近悳(西郷頼母=西郷四郎の養父)から御式内の技法を伝承されたといわれる。 ……まあこの手の始祖伝説の常で、八幡太郎だのなんだのという話ははったりである。 他の流派では聖徳太子を始祖としていたりもしているので、このくらいはまだかわいらしいほうかもしれない。 上の話はさすがにそのまま受け取れないにしろ、現在では西郷頼母から伝承された御式内に武田惣角が自ら修行してきた古流剣術(小野派一刀流と直心影流を主に修行したとされている)や槍術・柔術の技法を加えて体系付けられたとする説が一般的である。 それでこの「御式内」であるが、松田隆智氏の「秘伝日本柔術」を読むと「「武芸流派大事典」によれば好要流となっている」と書いてある。この松田氏は前出の「拳児」の原作者で、古流や中国拳法を現在に広めた功労者だ。 ところが「武芸流派大事典」を読むとそんなことは書いてない。 「(柔)明儒五峰を開祖とする。体挫術ともいう。会津に伝承」とあるだけだ。 これをどういう意図、理由で松田氏が御式内だとしたのかは謎である。 もっとも、透明な力では、西郷頼母は武術はやらなかったのではないかといわれているのだが……。 つづく。 |
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大東流の起源については、生家の会津では荒唐無稽の創作と見られ武田惣角は奇人変人のままでした。津本さんの作品をもとに調査した結果、戊辰戦争後、農民竹田(武田)家に同居した藩士(藩主護衛役の武芸の達人)に殿中護身術の柔術を教えられた。
さらに、隣村の易者から真言密教・修験道・易学を学び、気の力を武術に導入して合気を創始しました。
借金返済に困った惣角が保科近悳に依頼して、大東流の史実を仮託創作した。36年間西郷頼母研究家も、津本さんや私の調査結果を認めて、史実を修正しました。子孫の代になって、史実がさらに美化されてしまいました。
地元における名誉回復がなされております。「合気の創始者武田惣角」の著者より。池月映
2013/9/18(水) 午前 9:16 [ 池月映 ]
あら、池月先生が書き込まれるとは。
ずっと放置していたブログの記事なので恥ずかしいです。ご著書はかねがね拝読いたしたいと思っていながら、なかなか手に取れず今に至っております。恥ずかしい限りです。
惣角の祖父かだれかが正式な陰陽師だったという話も聞いたのですが、そこらは影響はなかったのですか?
2013/9/19(木) 午後 6:56 [ 佐上典明 ]