|
今回は大正飛行場関連遺産では大物物件の紹介です。
それは今も残る「掩体壕」です。
掩体壕とは飛行機を敵の攻撃から守る、飛行機の防空壕です。
国道170号線(通称:外環状線)の八尾市垣内南(ダイソーがあります)の交差点を
山側に入って行きます。北向きでは右折できないのでご注意を。
そしてその道を突き当たるまで進みます。この辺りで車を止めて、
左へ細い道を歩いて行きます。
すると見えてきました。巨大な掩体壕です。
近くで作業をしている方の許可を得て近くに行きました。
近くで見ると一層迫力がありますね。
屋根部分等ヒビ割れしているので、注意するようにと言われ更に近づきました。
下部左側写真:昔は画像の左一杯まで屋根があったそうです。
壊してくず鉄回収を目論んだようですが、あまりの鉄筋の少なさに諦めたとか。
下部右側写真:確かに鉄筋が少ないですね。資材不足が伺えます。
全体です。このように前面が大きく開いているのは「陸軍式」です。
ちなみに海軍式はこちらです。
松山空港近所に残る物です。
飛行機の形になっています。
(ウィキより画像拝借です) 後ろ側です。後ろは最初から開いていたかはわかりません^^;。
一段高い場所から見た様子です。
さらに大きさが良く分かると思います。
この掩体壕は撤去するのに費用がかかるため、暫くはこのまま残ると思います。
しかし、今から65年以上前に作られたものなので自然崩壊することも考えられます。
私有地にありますので、見学には許可を得てください。
なお、周辺の道からでも充分に観察できますよ。
そしてこの近くにはもう一つの掩体壕がありました。
こちらは壊されて跡地には家が建っています。
しかし、場所は確認できます。
石垣に不自然に取り込まれたコンクリート。
これが掩体壕の一部だと思われます。
場所は最初の突き当たりを右に曲がりすぐです。 |
全体表示
[ リスト ]





ぽっぷさん こんにちは。
戦時中は敵襲を避けるために飛行場の近くには多くの掩体壕が作られました。
今でも全国的に見るとかなりの数が残っているようですが、東北地方は調べても無さそうでした。
三沢以外、大きな軍関係の飛行場が無かったような・・・・。
☆ありがとうございます。
今年は全国的に梅雨明けが早い=猛暑がそれだけ多い〜嫌な公式ですね^^。
面積的には家が一軒入る位の大きさですよ。
2011/7/11(月) 午後 0:18
fmyさん こんにちは。
こちらは私有地にあるので、保存するにも撤去するにも自腹のようです。
大阪では唯一残る(たぶん)掩体壕なので、個人的には後世に残して欲しいですね。
しかし、一見の価値はありますよ^^。
ポチ☆&トラバありがとうございます。
2011/7/11(月) 午後 0:21
資材の鉄筋が少ない割に今日まで残っているのはすごいことですね。
それにしても私有地だと管理は自腹ですか? ちょっと厳しいですね。
自然に崩壊を待つしかないのでしょうか。
戦争は悲しい出来事。二度と再び戦争の惨禍を繰り返さないように後世に残してほしいものですね。
2011/7/11(月) 午後 3:18 [ ********** ]
五里五里の旅人さん 再びこんにちは。
一応残っていますがひび割れが多く、中に入るのは怖くて止めました。
私有地なので解体にかかる費用は自腹と聞いたことがあります。
これだけの大きさなので、かなりの費用がかかると思われますね。
負の遺産として国や府が管理してくれるのが一番良いとおもうのですが・・。
他の地区では保存活動が盛んらしいですよ。
2011/7/11(月) 午後 5:21
大体が農家さんの倉庫と化してしまってる所が多いですね!!
こちらにも他のものですが畑の中に大きなドームが残ってます。
しかし飛行機の格納庫とは・・・知らないで初めて観ると未知との遭遇の感がありますね!ポチ♪
管理よろしくお願いしたい物です。
2011/7/11(月) 午後 5:28
またまた知らなかったものの登場です。長い年月の間に傷みも進んでいるようですが、解体するにもこれだけのものだとかなりの費用になりますね。
戦争の遺物がこんな形で残ってることを若い人はほとんど知らないでしょうね。伝えていくことも必要ですね。
2011/7/11(月) 午後 6:00
街中にこのような戦争遺構が残っているのは


びっくりしました
掩体壕は初めて知りましたし、陸軍式と海軍
式の形状の違いもよくわかりました
戦争を風化させて欲しくないですよね
ポチ☆
2011/7/11(月) 午後 7:25 [ TAKA ]
ねこじゃらし・Kさん こんばんは。
中部から東海地方は戦時中は軍需工場があったりと重要な地域だったので、基地もたくさんあったと思います。
ぜひ畑のドームなどを紹介してくださいね。
いつまでも残るとは限りませんし^^。
ポチ☆ありがとうございます。
2011/7/11(月) 午後 8:35
沙羅さん こんばんは。
私もこの掩体壕の存在を知ったのはまだ最近です。
和歌山では友が島には要塞があるので見に行きたいと思っています。
このように知られていない遺産がまだまだあるので、なるべく調べて紹介したいと思っています。
ここは費用がかかりすぎるので解体を免れている感じですね。
2011/7/11(月) 午後 8:39
TAKAさん こんばんは。
この掩体壕は近畿圏で残っている数少ない一つです。
九州は基地がたくさんあったので多くの戦争遺産や遺構が残っていると思います。掩体壕も多く残っているようなので、TAKAさんも機会があれば調べて下さいね。
ポチ☆ありがとうございます。
2011/7/11(月) 午後 8:45
大戦末期の・・・本当に末期の軍の様子が伺えますね。
住宅街の中にあるように見えますが、こういった負の遺産は後世に是非残していただきたいと思います。
2011/7/12(火) 午前 0:21 [ fancy ageha ]
まさに コンクリートの巨大なカタマリですね!!
それにしても すごい…ですね…
農家や民家に混じって ポツンと建ってるのが
馴染んでるのか 違和感があることなのか
混乱して よく分からなくなってしまいました…
戦争遺産が 今の生活圏と 共存してる…
いかに 戦争が 大きな事だったか 物語っているんですね…☆
2011/7/12(火) 午前 7:05 [ kemuri8264 ]
おぉ〜これは残しておかねば・・
珍しい・・ポチ
2011/7/12(火) 午前 7:17 [ かずよし ]
fancy agehaさん おはようございます。
大戦末期の資材不足が充分にうかがえる物件です。
これだけしか鉄筋が入ってないので、小さな爆弾でも貫通しそうでした。
今は住宅地になっていますが、当時は山の裾野で木々でカモフラージュしやすかったのだと思いますね。
2011/7/12(火) 午前 8:43
kemuri8264さん おはようございます。
今は回りに住宅も建っていますが、当時はポツンと掩体壕があったと思います。この状態なら空からなら丸分かりなのできっと土などを被せていたのだと思いますが、良く分かりません^^;。
北海道は女満別、計根別、標津、浅茅野、根室などに残っているようなので、もし機会があれば見学し報告して下さいね!
☆ありがとうございます。
2011/7/12(火) 午前 8:48
かずよしさん おはようございます。
写真などで掩体壕は見ていましたが、実際に実物を見ると大きさに驚きです。
福山には水上機の基地があったようなので、また機会があれば調査お願いします^^。
ポチ☆ありがとうございます。
2011/7/12(火) 午前 8:51
今となってはえらいところにあるのですねェ・・農作業の道具置きに重宝してそうです(^^)
それにしても鉄筋の少なさもあってか、60数年で屋根の一部分がヒビ割が生じるものなんですね・・とても当時の爆撃からも飛行機を守れそうにないですね(^^;
貴重で面白いものを拝見できましたァ☆pochi☆
2011/7/13(水) 午後 9:58 [ アッキー ]
アッキーさん おはようございます。
今は住宅地の中にありますが、当時は山の麓で何もない場所だったと思います。
この場所からみて、たぶん屋根部分に土をのせ草木を生やし偽装したのではないでしょうか。
天井部の厚みは30cmくらいで小型爆弾でも貫通しそうに思いましたよ。
全国に残っている掩体壕の多くはこのような倉庫に利用されているようです。
貴重な物を見ることが出来ました。ポチ☆ありがとうございます。
2011/7/14(木) 午前 8:54
なおさん こんばんは!
ご訪問頂きましてありがとうございます。
掩体壕の記事拝見いたしました。陸軍式と海軍式では構造が異なるのですね。
コンクリート船の存在も初めて知り、とても勉強になりました。
いつか訪れてみたいと思っています。
実は私の名前もなお○○なんですョ!
2011/11/21(月) 午後 8:03 [ じのもんた ]
じのもんたさん こんばんは。
コンクリート船にコンクリートの曳舟は当時の技術を知る上で貴重な資料だと思います。
初めて見た時は、おぉ〜これは凄いと思いましたよ。
わたしの名前はなおとは全然違います。単純な付け方なんですよ^^。
2011/11/21(月) 午後 8:53