全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
ご朱印を集めようの53回目は丹生官省符神社です。
また難しそうな名前ですね。
丹生官省符神社と書いて「にゅうかんしょうふじんじゃ」と読みます。
空海によって創建されたと伝えられています。
ここは和歌山県九度山町にある慈尊院です。
そして、その先に石段が見えますが、この石段の上に
丹生官省符神社があります。
石段の下に立つと、登るのを躊躇しそうです^^。
では、頑張って登りましょう!
途中にある鳥居です。
この鳥居は1705年生まれのようですね。
この石段は119段あるそうです。
到着〜!
こうやって見ると急な石段ですね。
上った所にも鳥居があります。
これはくぐっておかないとね!!
でも見るからに小さな茅の輪のような・・・。
最小の茅の輪でした。
かがんでくぐると結構疲れましたよ(笑)
拝殿です。
本殿です。
重要文化財、ユネスコの世界資産に登録されています。
そして、こちらがご朱印です。
丹生官省符神社
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835
場所はこちらです。
そして、この神社である物を見つけてしまいました。
何を見つけたかは近日中に記事にする予定です。
|
|
今回は、色々な建物に掛けられた、掛箱ポストの紹介です。
第(15)号
京都府木津川市梅谷池ノ谷
公民館の隣は、奈良交通のバス転回場があります。
ちょうどバスが待機してました。
|
|
昨日5月15日、広島県尾道の坂道写真館のご主人がこちらに来られました。
今年の2月に尾道に行った時、5月頃に九度山に行く計画を立てていると聞きました。
それなら、ご案内しましょうと言う事で、今回の案内になりました。
坂道写真館は尾道にある小さな写真館です。
今は本業の仕事が忙しく、月に3日位しか開館しませんが、
私が尾道に行く時は、ほぼ開いているのです^^。
坂道写真館も記事にしてますので、こちらをご覧くださいね。
仕事の関係で尾道から日帰りで来られました。
午前10時和歌山線、南海高野線の和歌山県橋本市にある橋本駅で待ち合わせです。
10時前に到着。少し駅でも見て待ちましょう!
ところで駅前に立つ黄色いのは何でしょう??
まことちゃんが、黄色い合羽を着てました。
橋本駅はキオスクが健在ですね。
奥には柿の葉寿司「たなか」の店もあります。
キオスクも真田人気にあやかりたいようですね。
向こうが和歌山市内方面です。
左はJR和歌山線、右が南海線
向こうは奈良、高野山方面
左が南海線、右が和歌山線
今は、確かに改札もまったく別の駅になってました。
仲の悪い駅ですね(笑)
JRのホームには怪しげな人影が・・・。
望遠で見ると駅員さんも真田丸、大変ですね!!
10時前に無事に出会う事が出来、早速出発です。
では今回の第一の目的場所、九度山へ。
九度山の道の駅に車を停めましたが、この時間から混んでます。
私は、すんなり停めましたが(^^)v
まずは慈尊院へ。
|
|
しかし、生前の資料では真田幸村の名前は使われてなく、実名は「信繁」が正解だそうです。
そして真田と言えば、和歌山県九度山町、
弘法大師にゆかりのある慈尊院が有名です。
その九度山町が、ドラマで盛り上がってるかちょっと見に行きましょう!!
でもなぜ九度山町は真田で有名なんでしょう?
出身地でもなく、戦を行った場所でもなく・・・・・。
実は九度山に配流(流罪とも言う)されたのでした。
ここまでは、前回紹介の記事と同じ文章です(^^汗
今回は九度山の町を少し紹介します。
まずは「真田庵(さなだあん)」へ行きましょう!
こちらが「真田庵」です。
一般的には真田庵と言われていますが、
正式な名前は「善名称院(ぜんみょうしょういん)」と言います。
善名称院(ぜんみょうしょういん)は、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院。
真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所であるが、諸説ある。
和歌山県の史跡に指定。別称は真田庵(さなだあん)。牡丹の名所としても知られ、
城郭風の本堂の八棟造も有名である。 (ウィキより)
いたるところに六文銭の飾りがあります。
真田家の家紋が六文銭でした。
こちらが善名称院です。
ウィキにも書かれてるように、確かに城郭風ですね!
この屋根の構造が複雑で凄いと思いませんか??
この鯱瓦もなかなか立派です。
六文銭のキーホルダーでした 善名称院には、門が三か所ありました。
入ったのが1個目の門、これは2個目の門です。
上の門を出ると見えるのがこちら。
横から見ても複雑な建物だと分かりますね。
そしてこちらが3個目の門です。
どの門が正門になるのでしょうね!
真田庵を出て、真田の抜け穴と呼ばれている場所に行きましょう!
これが真田の抜け穴です。
ウィキより
善名称院の約200m東に、昔から地元の人々に「真田の抜け穴」と伝わっていた穴がある。
また、その穴から善名称院までを真田氏の造った抜け穴と長い間信じられてきたが、
しかし、昭和28年(1953年)に行われた発掘調査によって、古墳時代後期(4世紀)に造られた
横穴式石室を持つ円墳であることが判明した。真田との関係性は無いが縁の地という事で、
真田古墳と名づけられた。
このような石もありました。
そして町を歩くと何やら見えてきましたよ!
いきなりこんなのが出てきたらビックリしますね(笑)
最後はホーロー看板をご覧ください。
真田庵を中心とした九度山の町だけなら1時間もあれば回れると思います。
皆さんもいかがですか!
|



