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またまた大久野島関連の記事です。
今までこのような記事を書いてます。
大久野島でもっとも有名なのは、戦時中に毒ガスを作っていた島で、
地図から消されていた島だったことです。
今回から2度に分けてその毒ガス関連を始め軍事施設跡の記事を書きたいと思います。
大久野島では1929年(昭和4年)から1944年(昭和19年)あるいは1945年(昭和20年)終戦まで、
秘密裏に大日本帝国陸軍によって毒ガスが製造されていました。
詳しい事はウィキを参照して下さい。
ウサギに餌をやりながら島内を散策すると、このような何かの跡がありました。
何かの貯蔵庫?
最初に行ったのは南部砲台跡です。
大久野島は毒ガス製造の島として終戦を迎えましたが、
最初は芸予要塞としての施設が作られたのでした。
ウサギは島内のどこでも見かけました。
ただし、山の中では数は少な目でしたが^^。
この半円形の場所に大砲が据えられていたのでしょうか。
これは通気口?
幹部用防空壕跡
さすが幹部用、頑丈そうです。
ここで初めて毒ガスに直接関係ある施設跡が出てきました。
屋内貯蔵庫ですね。
タンクが置かれていた台があります。
こちらは、野ざらしタンク跡です。
台を見ると何となくリアルですね。
ちなみに左に写っているようなタンクが置かれていたと思います。
島の一番高い所へ行く途中にありました。
水タンク?
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