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奈良の戦跡
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11月5日、奈良公園に行きましたが、毎回奈良教育大学の前を通ります。
すると学園祭の看板があります。
何のチャンス??
車を駐車場に停め、戻ってきました。
ちょっと前の方は見辛いですが
「はじけろ!いま鹿ない」
と書かれていました。
学園祭は、学校内に堂々と入れるチャンスです。
実は以前からこの校内にある、ある建物を見たかったのです。
受付に学生さんが居たので
「一般人でも入れますか」
と尋ねると
「大丈夫ですよ」
「実は○○が見たいのです」
「それならあの奥ですね、学祭の後片付けをしてるので、
ごちゃごちゃしてますが、気を付けて行って下さい」
と言われました。
そして、この時に気づきました。
今日は11月5日、学祭は4日まで、
もう頭の中は今日まで学祭だったのです(笑)
一応、学祭の雰囲気を少しでも^^
目的地に行くまでに古墳がありました。
前方後円墳で吉備真備の墓と言われているそうです。
そして、目的の建物がありました。
それは、これです。
煉瓦造りの建物です。
この建物を見たかったのです。
旧陸軍歩兵53連隊糧秣庫、
明治41年(1908年)の建築です。
現在は教育資料館として使用されています。
奈良教育大学は53連隊の跡地に建てられています。
そして連隊の唯一残るのがこの建物だそうです。
また大学の隣にはこのような碑もあります。
奈良連隊跡記念碑です。
学園祭とは違うのに入ってしまいました^^;。
学生さん、ありがとう。
おまけ
さすが奈良の大学です。
校内にも鹿がいましたよ!!
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今日、8月15日は71回目の終戦記念日です。
そこで今日の記事は、戦争に関する事を少し書きたいと思います。
過去に何度も紹介してる事の繰り返しですが、気にしないでくださいね^^;。
奈良県には戦時中に航空隊がおかれ、飛行場が作られました。
その航空隊は、大和(奈良)海軍航空隊、飛行場は大和海軍航空隊大和基地と言われています。
以前に飛行場跡関連の記事を書いています。
まずは航空写真をご覧ください。
赤い線で挟まれた部分に見える道路が滑走路跡です。
そして赤丸で囲まれた池に掩体壕の跡があります。
池部分を拡大しました。
黄色丸の部分に掩体壕跡があります。
昨日、この池の横をたまたま通りました。
冬場の渇水期なら水位が低くなり掩体壕跡が見えるのですが、
今年は雨が少なく水田に水を入れる為に、夏場には珍しくかなり水位が低いです。
前方に見えるコンクリート片が跡です。
少し望遠で。
普段は近づけませんが、こんなに水位が低いのは珍しいです。
これは近づかないとね!!
鉄筋が出ているのが分かりますか?
コンクリート片をじっくり見ると砂利や大きな石が多いです。
粗製乱造、突貫工事で作られたようですね。
このコンクリートにも鉄筋が見られます。
ここにも鉄筋が残っています。
コーナー部分です。
ここにも鉄筋が!
この鉄筋を使用して、覆い部分を取り付けていたのだと思います。
こちらの掩体壕は、大和航空隊の貴重な戦争遺跡です。
何とか保存をして欲しいと思いますが、池の中なので無理でしょうか・・・。
でも逆に言えば、池の中にある限りは現状維持だと思いますね。
掩体壕跡の場所はこちらです。
今が見学のチャンスかも! |
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このような記事を以前に書きました。
この過去記事に今日はコメントを頂きました。
ちょうど良い機会なので、以前新聞に載っていた記事を紹介したいと思います。
拡大すると見やすいと思います。
この新聞記事で、柳本飛行場に戦闘機が
駐機されている写真を初めて見ました。 2月14日、今日は実家に帰りました。
午前中は時々雨が降りました。
それに昨日からの雨で畑仕事は出来ません。
色々な雑用をし、墓参りにも行きました。
そしてお墓から見た、わが故郷です。
初めての方には、こんな所ですよ^^。
左真ん中辺りにあるのは、私が卒業した小学校です。
耐震工事はしてますが、小学3年3学期から卒業まで学んだ校舎です。
そしてお墓の入り口にある石碑です。
以前も載せましたね。
ここで、この地図をご覧ください。
これは遺跡地図です。赤い線の所に墓地があります。
そして赤い線の所は吉原城跡(振矢ノ岡城跡)と書かれています。
上の写真の石碑には、「古矢丘墓地」と書かれています。
振矢だと危ないと思ったのか(矢が降って)、古矢に変更されたのでしょうか^^。
地名は面白い!!
またこの地区には、吉原姓を名乗る家がたくさんあります。
この城主の末裔でしょうか・・・。
今日は作業は出来ませんでしたが、収穫だけしました。
鍋セット! |





