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大和三山に登ろうで紹介したことのある耳成山には
戦時中の防空壕の跡が残っていると聞いていました。
耳成山のある橿原市内には、戦争末期海軍経理学校の分校がおかれていました。
現在の畝傍高校です。そして近くには天理の柳本飛行場もありこれらへの
空襲を避けるための防空壕でしょうか?
耳成山の山の中腹にこのような柵があります。
この柵の向こうに穴が開いており、これが防空壕の跡です。
中の様子です。
あまり広くはなさそうです。
このような穴が数箇所は確認できましたが
崩壊が進んでいるところもありました。
こちらも耳成山という超身近な場所に残る戦争遺跡でした。 |
奈良の戦跡
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大和海軍航空隊大和基地(柳本飛行場)の給水設備跡は以前にも紹介していますが、
前回の訪問時は夏で木の葉草が生い茂り、全体が分かりにくかったので再訪しました。
前回の記事はこちらを参照ください。
大和基地への給水を目的としたこの設備は矢矧塚古墳の墳丘上に作られています。
メインの水槽と思われる場所には瓦礫が入れられています。
ポンプの台座と思われます
写真では分かりにくいですが墳丘を削ってかなりの広範囲に作られています。
こちらは建物の基礎と思われます。
どのような物が建っていたのでしょうか?
用途不明の丸い穴です。
井戸なら墳丘上には作らなかったと思いますが、さてさて??です。
冬場は草も枯れ全体が見やすかったです。
興味のある方はこの時期、冬場に見学される事をお勧めします。。
夏場は蛇や虫がでますよ。それに柿畑なので収穫の時期も避けたほうがよいと思います^^。
また飛行場の掩体壕関係の記事はこちらをご覧頂ければと思います。 |
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先日の記事でも掲載した地図ですが、再度の登場です。
この時は水路跡を紹介しました・・・こちらです。
今回は①の池にある掩体壕の紹介です。
①は以前にも記事にしています・・・こちらです。
記事を読んで頂くとより分かりやすいと思います^^。
そしてこの時の記事で最初に載せた画像がこれです。
この掩体壕の半分は池に沈んでいます。
水が少なくなれば見えるようですが、先日通った時に偶然に見えていました。
その時の画像がこれです。
道路から見ていますが、あれはまさしく掩体壕の残り半分ですね!
早速調査です。
近づくと分かりますか?
水面下にコンクリートの床面が見えています。
これらの画像は上画像の奥側になります。
こちらもコンクリートの床面がありました。
普段は水に使っているので痛みが激しいようですね。
逆方向を見た所です。
前回記事の画像と今回の画像と他のネット情報から判断してこのような掩体壕だったと思います。
(おっとこの図は力作ですね^^) 畑にあるのが前回記事の竹藪にある部分。
池にあるのが道路から見える部分です。
尾翼が納まる部分は狭くなっていますね。
そして爆撃機が入るほどの大きさがあったようです。 冬場は池の水が比較的少ないので見える確率が高いと思いますよ。
興味のある方はぜひ見学を!
ちなみに一番最初の地図の
②③は壕跡(指令壕?)です。
以前の記事はこちらになります。
④は掩体壕跡です。
こちらも以前に記事にしていますので、こちらをご覧ください。
柳本飛行場跡についてはこれからも調べて記事を書いていきたいと思います。
見に行かれる方は、冬場が良いですよ。
草が枯れており見やすいです。それに蛇や虫も出ませんからね^^;。 |
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今まで何度か紹介している「大和海軍航空隊大和基地(柳本飛行場)」ですが、
今回また分かった事を紹介します。
(1)まずこの地図をご覧下さい。拡大できます。
(ヤフー地図を拝借しました)
(2)次はこちらをご覧下さい。拡大できます。
(こちらもヤフー地図から拝借です)
(1)と(2)を見比べてください。 (3)そして上の写真をもう少し拡大したのがこちらです。拡大できます。
(2)の画像の上部2本の黒線の部分が(3)画像の真ん中少し上に何となく
線が見えませんか?これが今日紹介の水路跡です。
(2)の斜め上下に引いた黒線が第一滑走路跡です。
(1)地図でも分かるように輪郭がはっきりと残っています。
(2)画像の上部2本の黒線が第3滑走路の跡です。
第2滑走路もありましたが、ほとんど痕跡は残っていません。
第2第3滑走路は建設途中で終戦になったようです。
(3)画像のA地点から見た現在の状況です。
A地点から画像右方向 A地点から画像左方向
この畑地に残る道のような物が滑走路の排水のための水路跡です。
水路は暗渠になっていました。
そしてここにはたくさんの石があります。
畑地に戻すときに出た石を集めて置いたのでしょうか?
(3)画像のB地点から見た現在の状況です。
B地点から画像右方向 B地点から画像左方向
地上でこれを見てもたぶん何も思わないと思いますが、
航空写真で見ると明らかに飛行場の跡と分かります。
この飛行場には第1から第4滑走路まで建設する予定だったそうです。
これ以外の痕跡を探すのはもう難しいかもです。
そして(2)画像上の数字にについては改めて紹介させて頂きますね。
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前回紹介した1箇所目、2箇所目の掩体壕跡に続き3箇所目の紹介です。
こちらは、今までに紹介した物に比べ、はっきりと残っています。
場所は、天理市に接する田原本町の東井上地区にあります。
地図をご覧下さい。矢印の指す「極楽寺」の右側にカーブした用水があります。
極楽寺から斜め右上の橋を渡った辺りにこの掩体壕跡はあります。
そして、この用水は、飛行場跡の周囲を囲むようにあります。
実はこれも飛行場に関係しています。
飛行場に降った雨水を流すための排水溝でした。
1枚目の写真を正面から見ます。 右上に延びるコンクリートは、1枚目
下に延びるコンクリートは後ろの部分です。 写真の左に延びるコンクリートです。
1枚目写真の拡大です。
3枚目写真の右上に延びるコンクリートの先にも大きなコンクリートの構造物があります。
こちらには複数の掩体壕があったようで、もう1基の基礎部分だと思います。
全景です。
非常に分かりづらいと思いますが、右側畑の中には1枚目写真部分が
真ん中の茂みの左側(ゴミを積んでありますが)に5.6枚目部分があります。
基礎は階段状に残っています。
今までに確認出来た掩体壕跡は以上です。
また探してみたいと思いますが、もう残っている可能性は低いと思います。
次は滑走路の排水溝が当時のまま残っている部分もあるらしく、また滑走路への
誘導路跡も残っているらしいので、その辺りを調べに行きたいと思います。 |





