|
前回は弾薬庫跡を紹介しましたが、今回は砲台跡の紹介です。
まずは現在地を確認してください。
加太要塞(由良要塞)は和歌山県と兵庫県淡路島の間の「紀淡海峡」を
守るために作られました。
この二つの島は手前が「地島」向こう側が「沖ノ島」
二つ合わせて通称「友が島」と呼ばれています。
沖ノ島にはかなり大規模な要塞跡が残っています。 この場所は加太の「深山第一砲台」と呼ばれ6門の「28糎榴弾砲」が据え付けられていました。
このトンネルの左に丸い場所が分かりますか?
拡大してみました。 この丸い場所が砲座跡です。
砲座の壁?には、このような「穴」があります。
これは伝声管の通っていた穴です。
隣りの砲座と連絡を取っていた物でしょうね。
そして各砲座はこのようなトンネルで結ばれています。
トンネルの下にも弾薬庫跡があります。
この加太要塞跡は、身近に戦争遺跡を見る事が出来ます。
機会があれば、一度は行って下さいね。
場所はこちらです。
おまけ
この砲台に据えられていた28糎榴弾砲のプラモデルです。
日露戦争の203高地に据え付けられた事で有名な大砲です。
いやぁ、何でもあるもんですね〜!
細かいパーツが一杯です。
プラモデルにはこのような解説書も入っていましたよ。 この冊子だけでも値打ちものですね^^。
|
各地の戦跡、遺産
[ リスト | 詳細 ]
|
12月2日和歌山の加太方面へ行きましたが、目的のひとつがこの要塞跡を見ることでした。
加太にある国民休暇村の近くに今回紹介の要塞跡はあります。
加太要塞跡と呼ばれていますが正確には
「由良要塞深山砲台」と言うらしいです。
詳しくはウィキを参照下さい。
国民休暇村のすぐ下にこのような看板があります。
車を置くスペースもありますよ。
ここからこのような遊歩道を少し歩くと要塞跡に行けます。
まずはこのような物が現れました。
新しそうに見えますが、石垣の上に煉瓦を並べているので、要塞関連だと思うのですが・・・。
そして、要塞跡が現れました。
これは弾薬庫跡らしいです。
内部はこのような感じです。
天井には換気用と思われる穴が開いています。
軍事施設跡ですが、煉瓦積が見事ですね。
敵の着弾に耐えるよう頑丈に作られているのでしょうか。
では、次は砲台跡に行きましょう。
つづく |
|
陸軍八日市飛行場の遺構紹介の第3回目、今回が最終回となりです。
第3回目に紹介の遺構は、八日市飛行場関連では最大の遺構だと思います。
それは、これです。
援体壕です。
竹やぶの中に残る陸軍式援体壕です。
私有地にあるので、近くには行けませんが、道路からでも十分に見ることが出来ます。
真ん中突起部分です。
この援体壕は前面屋根部分が壊されています。
そして途中の屋根部分も崩落しています。
画像では分かり難いですが、コンクリートは石が多く粗悪なコンクリートに見えます。
天井の厚みから見て、爆弾の直撃には耐えられなかったと思います。
上に草木を生やして偽装していたのでしょうね。
また1枚目画像の説明にある大阪八尾飛行場近くにある同等の援体壕は
以前に記事にしています。
こちらをご覧下さい。
八日市飛行場の援体壕は今回紹介の他にまだ何基か残っているようです。
機会があれば、また探しに行きたいですね。 |
|
昨日10月7日、滋賀県まで行きました。
目的は色々ありましたが、その目的の一つが、旧日本陸軍の八日市飛行場の遺構を見るためです。
この八日市飛行場について何回かに分けて紹介したいと思います。
八日市飛行場は、名神高速道路の八日市インター辺りにありました。
現在は、畑地や住宅地、工場用地になりほとんど遺構は残っていません。
飛行場があった辺りの風景です。
かなり広い平地ですね。
遺構ではありませんが、このような碑があります。
市立玉園中学と八日市自動車教習場の間にあります。
(向かいは凸版印刷の工場です)
この碑の存在により、この辺りに飛行場があった事は間違いありませんね。
裏面です。
碑の裏にはすぐにフェンスがあり浦正面から撮影できませんでした^^;。
沿革の部分を抜粋です。
『沿革 昭和十二年十二月十日第八飛行団隷下で 旧満州國牡丹江省海浪 飛行第十六連隊より
部隊編成に依り(第八飛行教育隊)が設立され 昭和十二年徴収兵を第一期とし
飛行兵としての特業 基礎教育が実施され 昭和十六年二月九日改正に依り
中部第九十八部隊(第八航空教育隊)として 滋賀県神崎郡御園村に移駐
昭和二十年八月十五日 終戰に至る迄 此の地に於いて幾萬の兵士が
航空機の技術を修得し護國の念に燃え 南溟又北満の戰場に飛び立って行った土地である。』
上の碑の近くにある「冲原神社」にも関連する碑とある遺構が残されています。
こちらが冲原神社です。
出撃の際は、こちらの神社に参拝して出撃したようです。
境内にある「慰霊碑」です。
|




