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先日の記事で八尾空港(旧日本陸軍大正飛行場)関連の戦争遺跡探索の紹介をしましたが、
その時に訪れた一つがこの旧陸軍大阪航空廠の通用門です。
現在は、門の一部だけが保存されています。
説明版によると、陸軍航空廠は飛行場周辺におかれ、軍関係者他、2000人以上の
従業員が航空機の組み立て修理整備に従事していたそうです。
右側の画像は説明版の一部を拡大してみました。
厳重な柵で囲まれているので見づらいですね。
大理石に彫られた「通用門」の文字です。
門柱の上には謎のマークが・・・これはまた調べないと!!
八尾市立大正中学校は航空廠の跡地に建てられているそうです。
場所はこの辺りです。
八尾木の本郵便局と大正中学の真ん中ぐらい、住宅地の
中の公園に保存されています。
そして、この後は大物の物件に向かいました。
さぁ何でしょう?お楽しみに^^。
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各地の戦跡、遺産
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先日の日曜日、大阪の姉の家にじゃが芋や玉ねぎなどを配達した後で、こちら八尾空港に行ってきました。
1933年(昭和8年)に開設され、1939年(昭和14年)に陸軍の飛行場となりました。
太平洋戦争後期には京阪神防空のため、二式単戦「鍾馗」、四式戦「疾風」装備の
陸軍飛行第246戦隊が駐屯していたそうです。
この飛行場周辺には戦争当時の遺産、遺構が残っているとの事で息子と探しに行きました。
まずは空港見学です。
空港の見取り図です。昔の羽田空港のようですね。
このように滑走路が交差している空港は珍しいそうです。
管制塔 レーダー
今は定期便の発着はないので、小型飛行機、ヘリコプターが駐機されています。
ヘリコプターの訓練をしていました。
小さい空港ですが、小型飛行機の離発着が頻繁に行われており、
見ていると楽しく時間の経つのを忘れます。
この後、戦争時代の遺産、遺構探しに行きました。
その前に姉に小遣い&お昼ご飯代を貰ったので、腹ごしらえに!
関西地方を中心にチェーン展開する「横綱ラーメン」へ。
これを食べました。
ネギは入れ放題なので山盛りです。
餃子とライスのセットにしました。
こちらはちょっと甘めのスープで個人的には好きな味です。
ごちそうさまでした^^。
そしてどのような旧軍関係の物に出会えたかは、次回以降の報告と言う事で・・・。
お楽しみに!! |
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京都府相楽郡精華町にあるJR片町線下狛駅の北側より戦時中に旧日本陸軍の引込み線が出ていました。
1940年(昭和15年)に大阪府枚方市の禁野火薬庫の代替として開設された大阪陸軍兵器補給廠祝園支処
へ片町線三山木信号所より約4.5キロにわたり、貨物引き込み線が引かれていました。
祝園は「ほうその」と読みます。そして今でもその引き込み線の跡を確認することができます。
この道路の向こうから分岐していたようです。
振り返ると
いかにも線路跡のいい感じのカーブが続いています。
更に進むと一直線の道が・・紛れもなく線路跡です。
直線道路の終わりにはこのような遺構が、鉄橋があった跡です。
手前(進んできた方) 向こう側(これから行く方)
10年程前までは鉄橋が残っていたそうです。
案内板が設置され実際の鉄橋の一部も置かれていました。
川の両側に案内板は設置されています。
対岸に渡り来た方を見た様子です。
一直線に続いていたのがよく分かると思います。
対岸から進行方向を見た様子です。
このカーブが堪らなくいい感じですね
このカーブの先で線路跡は道路用地に転用され痕跡は残っていません。
こんな感じですね。来た方向を望みます。
その道路をたどっていくとこちらに着きます。
陸上自衛隊祝園分屯地です。
ここから先は侵入禁止なのでここまでです。
道路の左側が線路跡のようです。
こちらのサイトでは航空写真で分かるようにう纏められていますよ。
宇治にも引込み線があったようでまた調べに行きたいと思っています。 |
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先日の記事でJR片町線星田駅から出ていた専用線の跡を紹介しましたが、
その中で飛燕に乗り撃墜された中村中尉の碑がありました。
中村中尉は大阪伊丹飛行場から飛び立ち交戦後、この近所で撃墜され戦死されました。
その時に乗っていた飛燕のエンジンをはじめいくつかの部品が道路工事中に発見されました。
そのエンジンが大阪府交野市の「いきいきランド交野」に展示されています。
まず、飛燕とはどのような戦闘機だったかご存知でしょうか?
陸軍の戦闘機で日本機としては珍しい水冷エンジンです。
エンジンはドイツダイムラーベンツのコピー品です。
日本製エンジンの名称は「ハ40」
液冷倒立V型12気筒 排気量:33900cc です。
詳しくはウィキを参照下さい。
またまた息子が作ったプラモデルです。 ちなみに以前に紹介したのはこちらです。
2005年3月16日に交野市内の第二京阪道路の建設現場で見つかりました。
当時はニュースにもなりました。(私は記憶にはなかったですが、息子は覚えていました)
発見当時のエンジン他部品を紹介したチラシです。
調査の結果、中村中尉の乗機と確認されました。
展示されているエンジン他です。
アクリルケースに入っているので、写真は撮りづらいです。
これが飛燕のエンジン「ハ40(ハ140?)です。
V型エンジンの様子が分かります。
側面です。 バルブの状態が良く分かります。
左側写真の前方にプロペラシャフトが見えています。
エンジン本体の前の部分は杭打ち機の杭で破壊されています。
シリンダーとピストンの形状です。 1気筒4バルブです。
V型がよく分かります。エンジンにある刻印、これはまさしく川崎航空機(現在の川崎重工)のマークです。
同時に見つかった機関砲です。左が20粍で右が12.7粍でしょうか。
プロペラです。3枚ペラの1枚です。
写真では分かりませんが、エンジン・プロペラ共にかなり大きいです。
このエンジンを見ると、実際の飛燕の大きさが想像できます。
こちらは無料で見学できます。スポーツ施設内にありますので、土日も見れます。
最後に、戦争の悲惨さを伝える遺産として、いつまでも残して欲しいものですね。
おまけ
飛燕に関する本もありますよ〜^^。 |
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大阪府交野市にあるJR片町線星田駅から陸軍大阪砲兵工廠香里製造所へまで専用線が出ていました。
1941年(昭和16年)から1948年(昭和23年)までと短期間ですが、線路跡の痕跡は今でも残っています。
この道が線路跡です。
星田駅方面を望みます。 同じ地点から専用線が伸びていた方向を望みます。
このカーブがいかにも線路跡を想像させます。
線路跡の途中に何か碑があります。
2枚目写真の続きです。
この先で大きな道路用地になり痕跡は分かりません。
しかし、道路のカーブがいかにも線路跡です。
画面の真ん中辺りに星田駅があります。
この駅からカーブを描いて上から左方向に線路があった跡が分かります。
3枚目の写真の碑は何でしょう?
拡大写真です。
1945年7月9日米軍のP51戦闘機約50機が来襲、大阪上空で空中戦があり
鹿児島県出身の中村純一中尉が操縦する陸軍の三式戦「飛燕」が撃墜され
星田に墜落しました。中尉は落下傘で脱出しましたが、米軍機が翼で落下傘の
ロープを切り、中尉は水田に落ち墜死しました。その事を書いた碑です。
そして、この「飛燕」には続きの話があります。
また記事にしますので、見に来て下さいね。 |




