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「秋水」と言うロケット戦闘機をご存知でしょうか?
秋水(しゅうすい)は太平洋戦争中に日本がドイツ空軍のメッサーシュミットMe163の資料を基に開発を目指したロケット推進戦闘機である。機体は海軍、エンジンは陸軍が担当、陸海軍共同して開発研究した。正式名称は十九試局地戦闘機秋水、海軍の略称はJ8M、陸軍はキ-200。〜詳しくはウィキを参照ください。
(ウィキより画像拝借です)
この秋水はロケットエンジンの為、専用の液体燃料を使用しました。
その燃料を貯蔵する為に、常滑焼で大甕が作られました。
画像では大きさが分かりづらいですが、かなり大きな甕です。
これほど大きな甕を焼いた、当時の技術は大したものです。
しかし、金属でタンクを作れないほど、戦況はひっ迫していたのでしょうか?
それとも金属タンクは液体燃料により腐食をおこし貯蔵できなかったのでしょうか?
このような場所で、このような物に出会うとは驚きでした。
この大甕は常滑の登窯広場にありました。 |
各地の戦跡、遺産
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これは祖父の形見の「将校行李(たぶん)」です。
塗りつぶした所には祖父の名前が大きく書かれています。
画像では分かりづらいですが、かなり大きいです。
素材はたぶん金属製です。
縁どりなどは、かなりしっかりと作られています。
細部はこんな感じです。
鍵の部分ですが鍵は残っていません。
中はこのようになっています。
このような本も祖母宅にありました。
この本によると、祖父は歩兵第128連隊で昭和18年12月時点で中尉で中隊長でした。
直接の部下が180名です。京都で編成された部隊のようです。
そう言えば、母は小さい頃に京都の園部で住んでいたとも言ってました。
昭和19年6月には、ビルマ方面で大尉で中隊長をしていましたが、最後はインパールで戦死したようです。
この本を読むと、悲惨な戦争体験が綴られています。無事に復員された方が、祖父の事を書いてくれていました。
この行李だけ残っていたのは、ビルマ方面に転進する前に身の回りの物を行李に入れ、自宅に送ったのでしょうか?
今となっては分かりませんが、大事にして行きたいと思っています。
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いつもお世話になっています稲口町さんより、またまた貴重な画像を送っていただきました。
旧日本軍が使用していた「依佐美送信所」に関する画像です。
依佐美送信所(よさみそうしんじょ)は、愛知県碧海郡依佐美村(現在の刈谷市高須町山ノ田1番地)に建設された長波の使用を主とした無線送信所である。1929年(昭和4年)に運用を開始したが、戦後は米軍に接収された。1993年(平成5年)、米軍より閉鎖する旨の通告を受け、翌1994年(平成6年)に日本に返還されたのに伴い、アンテナ鉄塔、建物は解体され、その役目を終えた。
送信設備の一部は記念館に保存され、2007年に高周波発電機が機械遺産に認定、2008年には送信設備一式が未来技術遺産に制定された。さらに、2009年(平成5年)5月19日には、IEEEよりマイルストーンとして認定された。
いつもながらのウィキペデイァを参照です。もっと詳しい事はウィキペディアを参照してください。
現在公開されている記念館の様子です。
機械遺産に認定されている発電機やモーターです。
米軍に接収されていた当時に使用、表示されていた物です。
真珠湾攻撃時の無電をこのアンテナで送信したと言われています。
高さ250mあった鉄塔は、10分の1の高さ(25m)で保存されています。
高さ250mのアンテナが8本も立っていれば壮観だったでしょうね。
解体直前の送信所の写真です。これもウィキペディアより拝借しました。
稲口町さん、ありがとうございます。また宜しくお願いしますm(^^)m。 |
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いつもお世話になっている稲口町さんより、またまた貴重な画像を頂きました。
愛知県豊橋市二川(JR東海道線 二川駅近く)に残る、旧日本陸軍のトーチカです。
中央にあるのが二川トーチカです。
二階建ての大きさぐらいあります。手前の車と比べるとその大きさがわかると思います。
もう少し近づいてみましょう。
前面は正方形に近い形になっています。
階段状になっているのは、至近弾などの被害を軽減する為だそうです。
横から見た様子です。
まるでコンクリートの塊ですね。
反対側です。
コンクリート面が粗いのは、当時は山を堀りそのままでコンクリートを流し込んだ為だそうです。
このトーチカより見た景色です。前方は遠州灘です。
当時、本土決戦の祭、米軍は遠州灘方面より上陸すると考えられていました。
この際、このトーチカに据えられた銃砲により敵を殲滅する任務を負っていたそうです。
場所は、この辺りです。
今も残る戦争の負の遺産。近くに行く機会があれば見学してください。
稲口町さん ありがとうございました。またお願いしますね!
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今回紹介の倉庫はNo.10〜12と番号が付けられています。 国道に面しているので見やすいですが、撮影は国道反対側からの方が全景を撮りやすいです。 手前からNo.10、11、12倉庫となります。 No.10倉庫:明治34年竣工 煉瓦造2階建 被服庫 海上自衛隊所有 No.11倉庫:明治34年竣工 煉瓦造2階建 被服庫 海上自衛隊所有 No.12倉庫:大正10年竣工 煉瓦造2階建 第三被服庫 海上自衛隊所有 No.10と11は同じ形の倉庫です。 No.10倉庫の妻面です。ツーツーツートントントンなのでイギリス式の積み方ですね。 妻面角です。 手前No.11倉庫、奥側がNo.10倉庫です。 No.12倉庫です。 時代が新しい分、造りはシンプルです。 今まで紹介したのが舞鶴で普通に見れる赤煉瓦倉庫群です。 この他に旧舞鶴工廠(現ユニバーサル造船)にも多数の赤煉瓦の建築物が残っています。 こちらは日を決めて公開されているようです。 ながながとお付き合いありがとうございましたm(^^)m。
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