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廃小学校を訪ねての第48回は、奈良県天川村塩野にあった
塩野小学校の紹介です。
天川村関係は色々と記事にしてきましたが、今回で最後になります。
まずは航空写真をご覧ください。
○で囲まれた場所が塩野地区です。
旧大塔村(現五條市)とは隣接しています。
また左に見える水面は、猿谷ダムです。
少し拡大しましょう。
塩野地区は山肌に沿った集落で
集落の入り口にはこのような看板がありました。
朽ちかけてますが、まだはっきりと見れます。
昭和60年(1985年)の案内図でした。
地図のほぼ真ん中に「文」の文字があります。
そして名前があるのは現住です。白丸は空き家でしょうね。
この時点でも空き家が多いです。
塩野地区は昭和初期には戸数90を超える集落でしたが、
昭和34年(1959年)の伊勢湾台風でかなりの被害を受けたそうです。
この時点で旧塩野小学校と表示されています。
この案内板の場所から上を目指します。
集落の上の方は、このような場所です。
山深い場所だと分かると思います。
そして集落の真ん中辺りにありました。
入り口横にある石碑の文字でここが小学校跡だと分かりました。
そして、この集落に似合わないほど大きなポストが横にありました。
為塩野小学校創立百周年記念
文部大臣 奥野成亮書
と彫られていました。
塩野小学校、1982年(昭和57年)休校、1988年(昭和63年)廃校
現在は建て替えられ、地区の集会所として使用されています。
しかし、この塩野地区では、家は何軒もありますが、人の気配はありませんでした。
たぶんまだ住んでいるであろうと思われる家は2〜3軒しか分かりませんでした。
そして、車があると住んでいると分かるのですが、車も見かけませんでした。
近いうちに無くなってしまいそうな限界集落です。
天川村塩野地区
場所はこの辺りです。 |
廃小学校を訪ねて
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先日、奈良県五條市の阪合部地区を車で走っていてふと思い出しました。
以前どこかのブログか何かの記事だったと思いますが、変わった橋があることを!
橋の記事は思い出しても、場所がどこだったか全然思い出せなかったので
思いだしスッキリしましたよ!!
その橋が、こちらです。
分かりますか?
でも普通の橋にしか見えませんね。
でも良く見ると、欄干が片方にしかないのです。
反対方向から見ると・・・。
立派な橋だと分かりますね。
でも橋の下には水は流れてません。
建物まで建ってます。
欄干にはこのような文字が書かれています。
かくかうはし? 坂本五條?
橋の名前と道路の名前でしょうか??
とりあえず不思議な橋でした。
これだけでは、記事として寂しいので続きがありますよ。
電柱の向こうに橋があります。
そして道路の右には大きな倉庫があります。
ここは農協の経済センターです。
ちょうど橋の向かいの木の下にこのような碑がありました。
草でよく分かりませんが、阪合部尋常小学校跡と書かれていると思います。
そうです!この場所には小学校がありました。
廃校前の名前は、阪合部第一小学校です。
第一があれば第二があるの??が素朴な疑問ですね。
実はあったのです。
場所はこちら。
五條近辺の方なら分かりますね! 国道24号線沿いの昔は「オアシス」と言った場所です。
阪合部第一、第二小学校は昭和32年に統合され阪合部小学校となりました。
大深小学校は、2003年に阪合部第一阪合部小学校に統合されています。
そしてこの地区には、学校はもう一つありました。
その学校は中学校でした。
阪合部中学校〜今でもその校舎の建物は残っています。
それがこちらです。
以前は製薬会社の工場として使われていましたが、今はどうなんでしょう。
なかなかユニークなドリンクを作っている会社ですよ。 少し離れて見ると学校の建物と分かると思います。
阪合部中学校は昭和42年に統合で廃校になりました。 変わった橋から思わぬ方向に行ってしまいましたが、
この地区に中学校があったのはつい最近まで知りませんでした(^^汗
橋、阪合部第一小学校、阪合部中学校の場所はこちらです。
この3つは半径50メートル内にありますよ。
一粒で三度美味しいですよ^^。
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廃小学校を訪ねての第47回は、広島県呉市豊町御手洗にあった
御手洗(みたらい)小学校の紹介です。
今年の2月に行った御手洗の町
その時の記事はこちらになります。
雨の中ウロウロしていたら、このような標識を発見!
近づいて見ると・・・。
学校ありの標識ですね。
しかし、足が長いです。
地元では「足長小学生」と呼ばれているそうです。
戦後すぐの頃の標識だとか・・・。
また後ろにある石垣は、戦国時代のものですが、
つくり人知らずの石垣と言われているそうです。
そして、この標識の近くにこのような場所を発見!
これは、もう学校跡ですね。
門柱がしっかりと残っています。
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このシリーズは、約半年ぶりの投稿です^^;。
投降は久しぶりですが、廃校の写真は見かければ撮ってますよ。
廃小学校を訪ねての第46回は、奈良県五條市内にあった
大阿太(おおあだ)小学校と南阿太(みなみあだ)小学校の紹介です。
この小学校があったのは、五條市阿田地区で、
地名は阿田と書きますがですが、小学校は阿太と書きます。
大阿太小学校
年表です。
昔は阿田小学校だったんですね!
そして昭和33年(1958年)6月1日廃校
廃校から57年経ってますが、ここに小学校がありました。
学校跡には工場が出来ましたが、今はその工場も廃業しています。
しかし、門は小学校時代の物だそうです。
近所の方に聞きました。
大阿太小学校のあった場所はこちらです。
南阿太小学校
年表です。
こちらは昔から南阿太でした。
そして昭和33年(1958年)6月1日廃校
こちらが小学校跡です。
現在も校舎の建物が残っており、麻袋の工場として使われているようです。
校舎はL字形に建ってますが、こちらの建物
こちらの建物は
五条市立南阿太中学校
昭和37年(1962年)4月1日、統合により廃校
L時形の角の部分に職員室があったそうです。 南阿太小学校(中学校)のあった場所はこちらです。
大阿太小学校、南阿太小学校は統合され阿太小学校となりました。
昔は木造校舎だった記憶が・・・。
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廃小学校を訪ねての第45回は、大宇陀町内にあった本郷小学校の紹介です。
大宇陀町は2006年に合併で宇陀市になっています。
まずは、今回も地図からご覧下さい。
この小学校は地図を見ていて偶然に発見したのでした。
大宇陀町立本郷小学校
(ほんごうしょうがっこう)
昭和61年(1986年)統合により廃校
小さな敷地の小学校でした。
校門には本郷小学校の表札が、しっかりと残っていましたよ!
校門は石製です。
裏面に昭和17年7月寄贈の文字が彫られていました。
何かの石碑がありますね。
現在は、「本郷憩の家」として使用されていますが、この建物は学校の建物ではありません。
そして、石碑は校歌でした。
拡大すれば、読めるかも??
裏面には昭和55年の文字が見えます。
遊具が残っています。
滑り台は新しそうですが、鉄棒は当時の物だと思います。
このようなローラーもありました。これも当時の物でしょうね!
少し高い所から見た様子です。
そして、たまたま通りかかった方に話を聞くことが出来ました。
校舎は右側(ブランコの向こう)に建っていたそうです。
複式学級だったので教室は3室。
職員室などは現在の憩いの家がある場所に建っていたそうです。
それに興味深い話も一つ聞けました。
本郷小学校には長らく校歌が無かったそうです。
そしてようやく校歌が出来たとおもったら、
その後数年で廃校になってしまったとのこと。
校歌の書かれた石碑は昭和55年と書かれていました。
たぶんこの年に出来たのでは??
そして昭和61年廃校です。わずか6年の寿命の校歌だったのではないでしょうか・・・。
小学校が廃校になった後は、スクールバスの乗り場になっているようです。
今でも教育に関係してると思うと何となくホッ!とするのは私だけ^^。 またこの本郷小学校の近くにはある有名な物があります。
奈良県人なら知ってる人は多いはずです。
それは桜の木
又兵衛桜と言います。
ウィキにも載る位有名な桜です。
本郷小学校から500メートル位でしょうか。
8月12日の又兵衛桜です。
ちなみに満開の時はこんな感じですよ。
教室3室の校舎
昭和32年に改築されたそうですが、
きっと可愛い木造校舎だったんでしょうね。
見たかったなぁ・・・。 |


