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廃小学校を訪ねての第44回は、宇陀市内にあった守道小学校の紹介です。
守道と書いて「もち」と読みます。地名の読み方は難しいですね。
まずはこちらの地図をご覧下さい。
地図を見て貰うと山間部?田園地帯?にあった小学校です。
まだまだ新しいコンクリート造りの校舎です。
門には表札も残っています。
大宇陀町時代に創立100周年を迎えています。
大宇陀町が合併で宇陀市になったのは、2006年(平成18年)です。
かなり歴史のある小学校だったんですね。
そして校舎は新しいはずです。
平成元年二月に建てられていました。
この守道小学校は、2010年(平成22年)に統合により廃校となりました。
わずか22年で学校としての役目を終えてしまいました。
この時は同じく宇陀市立田原小学校も統合により廃校となっています。
このような閉校記念碑がありました。
閉校時の在校児童は32人だったんですね。
1年:6人、2年:2人、3年:8人、4年:6人、5年:3人、6年:7人
の総勢32名でした。
これだけの児童が通っていても閉校になったとは・・・。
現在は農産物の加工場等に使用されています。
運動場は草が生えています。活用されていないようです。
学校前の道路を挟んでプールがありました。
水色の塗装がなぜか鮮やかに見えました。
そして校舎の中を覗くと・・・。
下駄箱があります。
この見える下駄箱だけで90足は入ります。
昔はたくさんの児童が通っていたと言う事ですね。
このように一輪車もありました。
廃校当時のままなんでしょうね。
手洗い場と奥の建物は体育館です。
体育館は使われているのかなぁ・・・。
宇陀市では町村合併後、10校近くの小学校が統廃合で
無くなっています。
効率化もあると思いますが、またこれだけ子供が減っていると言う事ですね。 |
廃小学校を訪ねて
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廃小学校を訪ねての第43回は、奈良市内にあった水間小学校の紹介です。
郡部の小学校ではなく奈良市内の小学校が廃校とは、何となくピンと来ない奈良県民の私です^^。
しかし、こちの地図をご覧下さい。
奈良市内は広い市です。
このような山間部も多くあります。
このような山間部では、廃校になった学校も多くあります。
今年の3月でも一つの小学校が廃校になりました。
精華(せいか)小学校です。
さて今回紹介の水間小学校は2004年(平成16年)に廃校
隣の地区にある田原小学校に統合されました。
学校は、水間地区の小高い山にありました。
鉄筋コンクリート造りの立派な校舎です。
しかし、耐震工事がされてないのが、現役の学校ではない事を証明しているように思います。
(最初から耐震の基準にあった工事がされていたら別ですが・・・。)
まだ立派な表札も残っています。
校舎は地域の避難所に、運動場はゲートボール場になっていました。
これは体育館でしょうか?
地図を見ると、体育館の向こうにプールがあります。
このような物もありました。
卒業記念の制作でしょうね。
ではもう一度校舎の全体を見てしましょう。
あれ!右端に何か写ってますよ。
丸ポストがありました。
教材用に払い下げを受けたポストでしょうね。
昭和32年新東洋製
もう10年以上放置されているので、汚れが激しいです。
ポスト自体の傷みは少ないと思うので、まだまだ現役復帰出来ると思います。
そしてこの小学校から南西に約3〜4km行くと
映画のロケ地があります。
河瀬直美監督、尾野真千子主演の映画 「殯の森(もがり の もり)」 です。
このロケ地もまた紹介したいと思います。
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今回も3月18日、平日の代休取得でウロウロとした時に行った小学校の紹介です。
先ずはこちらの地図をご覧下さい。
クリック
赤い印が運動場になります。
かつらぎ町立新城(しんじょう)小学校は国道370号線の新城地区にあります。
和歌山県伊都郡かつらぎ町立新城小学校
平成24年(2012年)分割統合により廃校
ついこの前まで現役だった小学校です。
しかし、統合された小学校はここから20km位離れた場所になってしまいました。
校門の表札はありませんでした。
向こうに見えるのが小学校の全景です。
木造の小さな校舎です。
校門から左後ろを振り返るとプールがありました。
運動場越しに校舎を見ます。
止まっている車は地元の人の車のようです。
運動場には草一本生えてません。
手入れが行き届いていますね。
奥の平屋の部分が教室です。
最初から複式学級対応で教室は3室しかありませんでした。
玄関には新城小学校の立派な表札が残っていましたよ。
裏に回って見ましょう!
一輪車もあります。今にも子供の声が聞こえてきそうですね。
廃校になる前数年は3〜6名の児童が学んでいたそうです。
校舎の裏側です。
少し高い位置から見てみましょう!
奥が教室、手前の2階部分は職員室などがあります。
運動場の向こうにあるのは講堂ですね。
立派な講堂です。 講堂の玄関部分です。
最後に学校から見た新城の町です。
地域から小学校が無くなり、そして子供の声が聞こえなくなり
寂しいと地元の方の声もありました。
では、これから日直に行ってきます!! |
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3月18日、平日の代休取得でウロウロとした時に行った小学校です。
先ずはこちらの地図をご覧下さい。
クリック
赤い印のある所が小学校です。
地図を拡大縮小してもらうとよく分かると思いますが、
この学校もかなりの山奥にありました。
周りに人家もあまりありません。
ここに行くにはこのような道を走ります。
途中で道が分かれます。
ここを左へ。
周りは杉林ですよ!!
カーナビの赤い印の下の分岐箇所が上の写真です。
久保小と出てますね!
しばらく走ると家が出て来ました。
ここでもかなりの奥ですが、学校はまだまだ奥にあります。
急坂を登って行きます。周りはやはり杉杉杉ですね。
そしてようやく到着です。
九度山町立久保小学校
2006年休校
1991年度は7名の児童が通っていたそうです。
赤い校門が印象的です。
まずは、正面から。
比較的新しく見えますね。
一度放火で焼失し、建て直されたそうです。
今は地区の集会所としても使用されているそうです。
玄関脇には二宮さんが。
少し小太りの二宮さんに見えませんか^^。
久保小学校の表札がしっかり残っています。
それもそのはず、この学校はまだ休校中で廃校になっていませんでした。
左から回ると裏にブランコがありました。
そして中を覗くと手作りの地区の地図がありました。
左上を拡大すると・・・。
平成14年(2002年)です。
この頃は何人の児童が学んでいたのでしょう?
それでは、運動場の方を見てみましょう!
ぽつんと残された朝礼台が印象的ですね。
遊具があります。そして向こうにはプールもありますね。
長さはそこそこありますが、幅が狭い!!
可愛いプールです。
しかし、山の中の小さな学校で、プールのある学校は初めてかも・・・。
なにかいいと思いませんか!
でも運動場に寝そべってはいけません。
鹿の糞だらけ〜〜(笑)
少し高い場所から。
この木は山桜でしょうか?
花が満開の頃は綺麗でしょうね!
もう一度校門越しに。
ここに表札がかかっていたんでしょうね。
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1月9日の記事で、三重県島ヶ原にある雷除けの神様の鵜宮神社を紹介しました。
その記事の最後にチラッと写っていたのが、今回紹介の小学校です。
田山小学校
2003年春に128年の歴史に幕を閉じた学校です。
校門には表札が残っています。
左 : 京都府相楽郡南山城村
右 : 村立田山正月校
と書かれています。
廃校後12年経ちますが、今でも現役の小学校に見えます。
運動場には草1本生えていません。
廃校になると1年も経たないうちに運動場は草原化する所が
多いのですが、非常に手入れが行き届いていました。
二宮さんも健在ですよ!
しかし、手入れの行き届いた校舎です。
手洗い場も当時のままでしょうね!
中庭にあるのは、卒業記念の制作物でしょうか?
この写真でも分かるようにこの学校はコの字型に建っています。
手洗い場から後ろを見ると、講堂の文字が!
こちらが講堂です。
講堂も木造でこじんまりとしていますが、良い建物ですね!!
こちらが小学校全景です。
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