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5月25日のダイジェストで紹介したように、奈良県吉野郡野迫川村の廃校巡りをしてきました。
野迫川村は、奈良県南部にあり奈良県の自治体としてはもっとも人口の少ない自治体です。
ウィキによると今年(2014年)の2月1日の人口は461人です。
1970年の野迫川村の人口は1400人を超えていました。
それが今では3分の1以下の人口になっています。
野迫川村は集落が点在しており、人口が多い頃はその各集落に小学校がありました。
その集落を回り廃校巡りをして来ました。
廃校の紹介は行った順番ではなく、休校廃校になった順番で紹介しますね。
今回は土砂崩れの為に通行止めになって行けなかった小学校があり残念でしたが・・・。
その小学校は「中津川小学校」です。
1969年(昭和44年)休校、1997年(平成9年)廃校、
この頃にこの集落自体も廃集落になったようです。
ここはいつか行きたいですね!
では、休校廃校の順番で紹介スタートです。
第27回:旧平小学校 〜 奈良県吉野郡野迫川村平
廃小学校を訪ねての27回目は、
奈良県吉野郡野迫川村平にあった「平(たいら)小学校」です。
2枚目写真の看板が見えたら、反対側を見ます。
そこに小学校跡があります。
平小学校:1971年(昭和46年)休校
1971年と言えば万博のあった翌年に休校になっています。
今から40年以上前ですが、しっかりと残っています。
ただし、学校自体はかなり改装されていますが。
第28回:旧今井小学校 〜 奈良県吉野郡野迫川村今井
廃小学校を訪ねての28回目は、
奈良県吉野郡野迫川村今井にあった「今井(いまい)小学校」です。
まずはこちらをクリック
航空写真が出ます。
少し縮小するとこちらも小さな集落だと分かります。
そして赤い印の建物が小学校跡です。
この地区は村営バスが走っています。
地図でも分かるように、この今井集落の奥まった場所に小学校がありました。
校門が残っていますが、表札はありません。
今井小学校:1977年(昭和52年)休校
こちらも休校になり35年以上、比較的状態よく残っていますね。
今でも地区の何かに使われていると思います。
校舎裏側です。窓は木枠ですね!
運動場には遊具が残っていましたよ。
今日の紹介は2校です。
いずれも休校後35〜40年経っているのですが、校舎が残っていました。
このあとまだまだ紹介が続きますので、飽きずに見に来て下さいね。 |
廃小学校を訪ねて
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廃小学校を訪ねての26回目は、
奈良県五條市西吉野奥谷(旧吉野郡西吉野村奥谷(おくだに)にあった
「奥谷尋常小学校」です。
場所はこちらです。
この小学校跡には大きな「ヤマモモ」の木があります。
このヤマモモの木は、奈良県の天然記念物に指定されています。
そして、このヤマモモの木がある場所に「奥谷尋常小学校」がありました。
当時は白銀村(しらかねむら)奥谷と言いました。
開設年は分かりませんが、明治時代です。
上の案内板にも書かれているように、この小学校には、
明治43年(1910年)11月から明治44年の3月までですが、
直木三十五が代用教員をしていました。
19歳の時です。
直木三十五とは、あの「直木賞」の語源になった人物なんですよ!!
さて、この奥谷尋常小学校は、その後「白銀北第二小学校」と名前を変え、
昭和35年(1960年)までこの場所に学校がありました。
その後、白銀北第二小学校は、白銀北第一小学校と統合され、白銀北小学校となりました。
白銀北第一小学校
地元のお年寄りの方に確認したらここが小学校のあった所だそうです。
現在は、梅の選果場になっています。
名残りは何もありませんでした。
場所はここです。
白銀北小学校
昭和35年4月に、白銀北第一小学校と白銀北第二小学校が
統合され出来た学校です。
こちらは中学校も併設されていました。
新しい学校に見えますが、1969年の建築でした。
統合当時の建物ではないですね。
この学校が無くなった時は、まだ吉野郡西吉野村でしたが、
この時に西吉野村の小学校はすべて統合され1校になったのでした。 |
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5月4日のダイジェスト記事でも紹介しましたが、
舞鶴に行った後は、廃小学校を見て来ました。
第24回:旧阿納尻小学校 〜 福井県小浜市阿納尻
廃小学校を訪ねての24回目は、
福井県小浜市阿納尻にあった「阿納尻(あのじり)小学校」です。
まずはこちらをクリック
航空写真が出ます。
航空写真では校舎の前を道路が通ってますが、
閉校後についた道路だそうです。
阿納尻(あのじり)小学校
明治6年創立
平成3年3月統合により閉校
この時は「阿納尻小学校」、「堅海小学校」、「矢代小学校」の3校が統合され
内外海小学校(うちとみしょうがっこう)が新設されました。
木造2階建ての校舎が残っています。
現在は「ふれあいスクール」と言う何かに利用されているようです。
閉校後23年経ちますが、何かしらに使われていれば傷みも少ないようですね。
二宮さんの像も残っていましたよ。
モミジ?カエデ?の新芽の赤が綺麗でした。
第25回:旧堅海小学校 〜 福井県小浜市堅海
廃小学校を訪ねての25回目は、
福井県小浜市堅海にあった「堅海(かつみ)小学校」です。
まずはこちらをクリック
航空写真が出ます。
集落の外れに校舎だけがポツンと残っているのが分かると思います。
石柱の校門が残っています。
しかし校名を書いた表札は外されていました。
立派な記念碑があります。
堅海(かつみ)小学校
明治7年創立
昭和29年3月当地に移転現校舎完成
平成3年3月統合により閉校
阿納尻小学校と同じ時に閉校統合されています。
ここは他には建物などは一切残っていません。
この木造2階建ての校舎が残るだけです。
このような廃校を見るのは初めてかも!
何か独特の雰囲気がありますね。
こちらは特に何かに利用されている様子は無かったです。
校舎内には除雪の道具が置かれていました。
この辺りも雪深い地域だと思います。
雪の影響で普通より傷みの進行が早いと思いますが、
いつまでも残して欲しい校舎でした。
もう1校統合された矢代小学校は分かりませんでした^^;。 |
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廃小学校を訪ねての23回目は、
広島県尾道市向島町にあった「有道小学校」です。
この小学校跡は、車で走っている途中に学校跡らしき場所を発見し、写真を撮りました。
その時は、有道小学校跡とは知らずに、帰ってから調べて分かったのでした。
今回もまずは地図をご覧下さい。
道路沿いに運動場と、大きな建物が見えると思います。
有道小学校:昭和62年(1987)年3月31日廃校。
開校日は分かりません^^;。
道を走っている時に見えたのが、この建物です。
そして航空写真でも見える大きな建物です。
この建物の前には、このような石碑が建ってましたよ。
左:講堂新築落成記念碑
右:総工費80万円 昭和26年1月
と書かれています。
この建物は講堂だったんですね。
木造建築の立派な講堂です。
これは裏側です。
こちらは玄関部分です。
ちょうど逆光だったので見辛い写真ですいません。
中の様子です。
現在は、有道ふれあいセンターとして使用されています。
運動場越しに写しましたが、逆光ですね!
今度は午前中に撮影したいです。
この建物以外は残っていませんでした。
学校跡の隣には渋いタバコ屋さんがありましたよ。
昔は文房具なども売っていたのでしょうか^^。
第21回目に紹介の岩子島小学校、今日紹介の有道小学校、
そして隣りの地区には津部田(つぶた)小学校(たぶんこれかと思います)があり、
いずれも昭和62年(1987年)3月31日で廃校になりました。
そして、3校統合で新設の三幸小学校になったのでした。
現在の三幸(みゆき)小学校の児童数は平成26年4月現在で116名だそうです。
今日も仕事です。
雨なので仕事でもいいか(笑)
もう少ししたら出ます^^。 |
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廃小学校を訪ねての22回目は、
奈良県宇陀郡御杖村菅野にあった「菅野(すがの)小学校」です。
まずはこちらをクリック
航空写真が出ます。
そして航空写真でも分かるように菅野小学校は、一直線の校舎でした。
校門の石柱が立派ですね。
裏には寄贈者(左)と右は昭和11年と書かれています。
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