なおのブログ

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廃小学校を訪ねて

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廃小学校を訪ねての21回目は、
広島県尾道市向島町岩子島(いわしじま)にあった「岩子島小学校」です。
昨日に続いて連続の廃小学校を訪ねての記事になりますが、ご了承を^^;。
そしてこの岩子島小学校は映画のロケ地にもなっています。
 
 
 
岩子島小学校は尾道市街の対岸にある向島町の岩子島にあった小学校です。
 
今回もまずは地図をご覧下さい。
地図を縮小すると島のちょうど真ん中辺りにあるのが分かると思います。
岩子島はワケギの産地として有名で、岩子島郵便局の前には
丸ポストもあります。
イメージ 1
 
 
校門には「向島町立岩子島小学校」と書かれています。
イメージ 2
小学校があった頃は、御調郡向島町でした。
今は尾道市に編入されています。
 
 
 
イメージ 3
今は、岩子島農業構造改善センターが建っている場所には、
素敵な木造校舎があったようです。
 
 
校歌に応援歌まであったようですね。
イメージ 4
 
 
二宮さんも健在です!
イメージ 5  イメージ 6
 
 
 
では、タイトルにも書きましたが、この小学校ではある映画の撮影に使われています。
さて、どのような映画だったでしょう??
尾道と言えばやはり大林宣彦監督ですね。
その大林監督が撮った映画です。
イメージ 7
片岡義男原作の同名小説を映画化したものです。
主演は竹内力
あの難波金融伝の竹内力ですよ!!
竹内力の映画デビュー作になります。
そして原田貴和子 時をかける少女の原田知世の実姉になります。
日本での映画デビュー作になります。
 
そして彼女の島に選ばれたのが岩子島で、
その島でのシーンの一部にこの小学校が使われました。
 
 
これは学校跡記念碑の銘板を拡大した物です。
イメージ 8
このような木造校舎がありました。
真ん中辺りは玄関です。
 
 
その場所がこれです。
イメージ 9
左が原田貴和子  右が竹内力  です。
 
 
銘板通りの建物ですね!!
イメージ 10
竹内力が原田貴和子のバイクの運転を見ている場面です。
校舎の姿がもっと写ってないか見ましたが、ありませんでした〜(><)
 
 
この写真はたぶん上と同じ場所を写していると思います。
イメージ 11
何となく右奥に生えている木が同じように見えませんか^^。
 
 
そして左奥のバスケットのゴールに注目!
イメージ 12
 
 
 
枠しか残ってませんが、ズバリこれでしょう!!
イメージ 13
 
最後は映画の1シーンをど〜ぞ!
 
この小学校で盆踊りをしている場面です。
イメージ 14
 
 
盆踊りの櫓の上でご詠歌を歌う田村高廣です。
原田貴和子の父親役でした。
イメージ 15
 
 
この映画もなかなか良いと思いますよ!!
 
 
廃小学校を訪ねての20回目は、
広島県尾道市浦崎町戸崎地区にあった「戸崎小学校」です。
この小学校の写真はかなり以前に一度載せた事があります。
かなり初期からお付き合い頂いている方なら記憶にあるかもです。
 
 
今回もまずはこちらの航空地図をご覧下さい。
地図を拡大すると、赤く囲まれた場所が戸崎地区の公民館になりますが、
その上に運動場、そして校舎が分かると思います。
この小学校は海の真横にありました。
 
 
校門には「尾道市立戸崎小学校」の表札が残っています。
イメージ 1
 
 
 
反対側の門柱には「尾道市立戸崎幼稚園」と書かれていました。
イメージ 8
 
小学校と幼稚園が併設されていたんですね。
 
 
 
それでは、戸崎小学校をご覧下さい。
3月22日の撮影ですが、快晴です。
青い空、小さな木造校舎が素敵だと思いませんか^^。
イメージ 2
 
 
 
校門を入ってすぐの場所に校歌の碑がありました。
イメージ 3
 
 
またこのような記念碑も。
イメージ 4
 
 
この戸崎小学校は、2006年(平成18年)に浦崎小学校へ統合の為、閉校となりました。
浦崎小学校は、ここから直線でも3km程離れています。
閉校した平成18年に、132年の歴史に幕の文字が見られることから、
明治7年頃に設立されたのですね。
 
 
向こうのフェンスの先は海です。
イメージ 5
 
 
ありがとう戸崎小学校の文字が閉校当時のまま残されています。
イメージ 6
今でも地区の何かに使われているようで、運動場には雑草も生えておらず、
綺麗に管理されていました。
 
 
イメージ 7
 
 
海沿いの小さな木造校舎は絵になります。
 
 
そしてこの地区に学びの舎があった事は、忘れずにいて欲しいですね。
廃小学校を訪ねての19回目は、
奈良県東吉野村中黒にあった「小川第三小学校」です。
以前に同じく東吉野村の「小川第二小学校」を紹介していますが、
その時の記事はこちらをご覧下さい。
 
今回もまずこちらの地図をご覧下さい。
                                
                             ここをクリック!
航空写真が出ると思いますが、赤く囲まれた場所が小学校の運動場です。
その左の方に校舎が見えると思います。
 
 
ここは東吉野村を散策中、県道16号線を走っている時に、
偶然学校跡らしき建物を発見、その時に撮った写真がこちらです。
 
道端に石段と一段高い門、木造の建物、どう見ても学校跡にしか見えませんね!
イメージ 1
 
 
 
イメージ 2
 
 
少し違う角度から。
 
イメージ 3
 
 
この道路は今まで何回も通っていますが、
この時までこの建物にまったく気づきませんでした。
 
 
イメージ 4
 
表に薪がたくさん積まれていますが、良い感じですね。
 
 
イメージ 5
 
 
 
運動場です。
イメージ 6
 
 
イメージ 7
 
 
この時は、学校跡だろうと言う事で帰りました。
誰か居たら訊ねたのですが・・・。
しかし、何小学校?幼稚園?か気になります。
 
 
そして後日、またこの道を走っている時に人を発見!
訊ねてみました。
ここは「小川第三小学校」と分かりました。
小川第三小学校は1963年(昭和38年)に小川第一小学校に統合され廃校になりました。
今から50年以上前ですね。
 
学校が閉鎖になったあと、京都?の織物業者が
ここを工場にして操業していたそうです。
またこの建物の他にも建物があったそうです。
開校年などまだ分かりません^^;。
 
ここは小川第三小学校、前回紹介は小川第二小学校、そして小川第一小学校もありました。
小川と言う地名はありますが、なぜ地名以外の場所に小川小学校がと疑問に思っていましたが、
1958年(昭和33年)に小川村、四郷村、高見村の三村が
合併して出来たのが東吉野村だったのです。
 
廃校巡りは歴史に地理の勉強にもなりますね^^。
 
 
 
廃小学校を訪ねての18回目は、
奈良県宇陀市菟田野下芳野にあった「下芳野小学校」です。
下芳野と書いて「しもほうの」と読みます。
 
今回もまずこちらの地図をご覧下さい。
                                
                             ここをクリック!
航空写真が出ると思いますが、赤く囲まれた場所が小学校の体育館です。
その左の方に校舎運動場が見えると思います。
(拡大出来ますよ)
 
下芳野小学校の近くには、下芳野簡易郵便局もあります。
 
イメージ 1
校門には学校名が書かれています。
菟田野町立下芳野小学校ですね。
菟田野町は2006年(平成18年)1月に町村合併で宇陀市になりました。
そしてこの小学校はその年の4月に学校統合で廃校になりました。
宇陀市立下芳野小学校として活躍したのは、わずか数か月だったんですね。
 
 
 
校門を入ってすぐにある記念碑です。
100年以上の歴史がある小学校だったんですね。
イメージ 2
 
 
 
そしてこのような物も!
イメージ 3
卒業記念の制作品でしょうか?
まるで太陽の塔ですね。
もしこれが太陽の塔をモチーフにしているなら40年以上前の制作でしょうか・・・。
 
 
 
それでは校舎を見てみましょう。
イメージ 4
下芳野小学校も木造校舎でした。
こじんまりした校舎ですね!
 
 
玄関部分です。
イメージ 5
 
 
 
イメージ 6
 
 
一クラス何名ぐらいが学んでいたのでしょうか・・・。
 
 
イメージ 7
 
 
運動場です。
イメージ 8
向こうに幼稚園らしき建物があります。
 
少し拡大して見ました。
イメージ 9
そばまで見に行けばいいのにね(笑)
こちらも閉園になっているようでした。
 
 
 
帰りがけに見かけた看板です。
イメージ 10
 
 
宇陀市も町村合併をきっかけに多くの小学校が廃校になりました。
学校まで遠いのでスクールバスで行くことが多いです。
田舎の小学校では、歩いて登校する姿も見られなくなっていますね。
寂しい事です。
廃小学校を訪ねての17回目は、
奈良県吉野郡下市町丹生(にう)にあった「丹生小学校」です。
このシリーズでは初めての本校&分校の紹介となります。
 
今回もまずこちらの地図をご覧下さい。
                                
                             ここをクリック!
航空写真が出ると思いますが、赤く囲まれた場所が小学校跡です。
(拡大出来ますよ)
 
この航空写真で見ると大きな校舎が見えると思います。
周辺部の民家の数からしてもかなり規模の大きい学校に見えます。
 
 
丹生小学校
昭和27年(1952年)設立、昭和63年(1988年)移転により閉校
イメージ 1
 
 
イメージ 2
 
 
木造2階建ての立派な校舎です。
しかし、閉校から25年以上、近くで見れば傷みが目立ちます。
イメージ 3
 
 
イメージ 4
これだけ大きい校舎に多くの子供たちが学んでいたのでしょうね。
今の周辺部の人家の様子からは想像できません。
 
 
これは、講堂です。
講堂も立派な建物ですね。
イメージ 5
なお航空写真の四角に囲まれている建物は、講堂の横にある
下市町コミュニティー体育館で今も使われています。
 
 
 
 
丹生小学校長谷分校(ながたにぶんこう)
丹生川上神社下社にお詣りに行った時、神社の隣に学校跡らしき建物を発見!
調べてみると、丹生小学校長谷分校跡であると分かりました。
イメージ 6
 
またこちらをクリック
 
四角に囲まれた建物は、上写真の右側の建物になります。
 
イメージ 7
 
昭和42年(1967年)に閉校となっていますが、それ以上は分かりませんでした^^;。
 
イメージ 8
こじんまりした良い建物ですね。
閉校からまもなく50年、よくぞ残っていました!!
 
 
 
丹生小学校
また丹生小学校の文字が出て来ましたね。
またまたこちらをクリックして下さい。
四角く囲まれた場所の左側にあるのがこの学校です。
長谷分校とは数百メートルの場所になります。
 
最初の木造丹生小学校は、昭和63年(1988年)に移転により閉校と
書きましたが、移転した学校がこちらになります。
イメージ 9  イメージ 10
この場所には元は「下市町立丹生中学校」がありました。
この中学校は昭和45年(1970年)に下市中学と統合で廃校になっています。
 
その中学校校舎に、木造の丹生小学校が移転してきたのです。
そしてあらたな丹生小学校となりました。
昭和63年(1988年)です。
イメージ 11
この新生丹生小学校も平成10年(1998年)に休校になりました。
廃校や閉校でなく、書類上はいまだに休校となっています。
 
 
わずか10年で一応役目を終えたんですね。
イメージ 12
 
 
 
そして運動場に回ると遊具がこのような状態です。
遊具で事故が起こるのを防ぐために、わざと外してあるそうです。
イメージ 13
 
このような小学校の歴史を見ると、何か複雑な気持ちになりますね。

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