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廃小学校を訪ねての16回目は、
奈良県吉野郡東吉野村日浦にあった「高見小学校日浦分校」です。
このシリーズでは初めての分校紹介となります。
今回もまずこちらの地図をご覧下さい。
ここをクリック!
航空写真が出ると思いますが、赤く囲まれた場所が小学校跡です。
(拡大出来ますよ)
この航空写真を見ると、山の中にポツンとある集落です。
数えても戸数は10軒もないように見えますね。
では、この集落に向かいます。
このブログでもたびたび登場する丹生川上神社の近くに
この集落に行く道路の分岐があります。
集落まで6kmあります。かなりの距離ですね!
この橋を越え右方向が日浦地区です。
山道を延々と進みます。
途中で出会った車は、道の補修をしていた役場の軽トラだけでした。
山道と雪が残っていたので、15分位は走ったでしょうか。
このような看板がありました。
地図には道が書かれていますね。
右に「小」と書かれていますが「オムラ」と読みますが、
ここには綺麗な公衆トイレもあり、ちょっとビックリ^^。
立派な神社もありますよ。
でも集落はまだ見えません。
そして、ここから先の道がまた凄かった!!
ここはまだましですね。
ようやく集落が見えてきましたよ。
いったい何軒の家があるのでしょう?
そしてこの道を見てビックリ@@/
山の斜面に鉄板を敷いて作った道です。
「ここ走ってええの??」
と思いましたよ。
県道から分かれて6km
ようやく山の頂上まで来ました。 到着しました。
高見小学校日浦分校跡です。
高見小学校 日浦分校
明治41年児童11名で日浦尋常小学校設置。
大正15年、ブラジルへの集団移住により児童数半減。
昭和63年に最後の1名が卒業し休校。
平成3年廃校となりました。
平成の時代まで残っていたんですね。
今は地区の集会所に使われているようです。
中を覗くと・・・。
スチールパイプの机、
まさしく学校で学んだ机がそこにありました。
前にバスの路線図が貼られていました。
村のコミュニティバスはここまで来るようですが、予約が必要のようです。
右側下の青い四角が日浦への路線です。
これを見るだけでも、かなり奥にあると分かって貰えるでしょう!
学校の建物が残っていた事にも驚きましたが、
この日浦地区のある場所にも驚きました。
前回紹介の大峰小学校も山の中でしたが、ここは更に山深い所でした。
でもどちらかと言えば大峰小学校は谷、日浦分校は山、
その時の天気にもよりますが、明るさが全然違うように思いました。 |
廃小学校を訪ねて
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廃小学校を訪ねての15回目は、奈良県五條市西吉野町大峰にあった「大峰小学校」です。
現在は五條市になっていますが、以前は吉野郡西吉野村大峰でした。
今回も先ずはこちらの地図をご覧下さい。
ここをクリック!
航空写真が出ると思いますが、赤く囲まれた場所が小学校跡です。
この航空写真を見ると、今は人家はあまり見られない場所ですね。
大峰小学校
明治6年、檜川郷六ヵ村にて研精舎設立。大正11年、
檜川迫川の北岸に移転。2教室、裁縫室、教員住宅を備えていた。
昭和33年の児童数56名、同57年は12名、63年廃校。
(やまとびとより)
はるばるとやって来ました!
どうやら、ここが小学校があった場所らしいです。
この写真でも周りに人家はほとんど写ってません。
この橋を渡って学校に通っていたんですね。
校門右手に何か見えませんか?
あれはまさしく二宮さんです。
ここに学校があった証です。
校門脇にはこのようなタイルを貼って作ったモザイク画?もあります。
卒業記念で作ったのかなぁ・・・。
この苔生した二宮さんが、廃校からの年月の長さを物語っているようです。
運動場の端から撮影してみました。
左に二宮さんが建っているのが、分かると思います。
この建物は現在は「大峰桧川迫集会所」として使用されています。
元々の校舎の建物ではありませんよ。
そしてこの建物の横に回ると・・・。
足踏み式オルガンに木の机や椅子がありました。
子供達がこれらを使って勉強していたんですね!
大峰小学校、このような場所にも小学校があったとは正直驚きでした。
しかも、昭和63年(1988年)廃校で25年経ってますが、まだまだ最近に思います。
廃小学校巡りは、色々な小学校に出会えるので楽しいですね! |
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最近、廃小学校巡りになぜかはまっている私です^^;。
色々な小学校を巡ってますので、紹介させて頂きます。
廃小学校を訪ねての14回目は、奈良県吉野郡下市町にあった「才谷小学校」です
先ずはこちらの地図をご覧下さい。
緑の矢印辺りが小学校跡です。
才谷(さいたに)小学校のある地域は、今は奈良県吉野郡下市町才谷ですが、
昭和24年まで奈良県黒滝村才谷でした。
才谷小学校は当初は「黒滝第五小学校」でした。
黒滝村才谷は昭和24年に秋野村に編入、その時に秋野村立才谷小学校になり
更に秋野村は昭和31年に下市村に編入され下市村立才谷小学校となりました。
その後下市村は昭和33年に下市町になっています。
それでは、小学校跡へ行ってみましょう!
上の地図の緑の矢印の下に「才谷」のバス停が見えると思います。
それがこちらです。
平日のみ1日2本のバスが来ます。
このバス停から山の上の集落を目指します。
(車で行ってますよ^^)
クネクネ道を上がって行くと・・・ありました!
これが「才谷小学校」:「黒滝第五小学校」になります。
昭和45年(1970年)に下市小学校に統合され廃校になりました。
廃校後40年以上経ちますが、まだ校舎が残っていたとは驚きです@@/
こじんまりした小学校ですね。
1クラス何名くらいだったのでしょう??
少し高い位置から見てみましょう!
これは枝垂桜でしょうか。
この花が咲く頃は綺麗でしょうね!!
また花が咲く頃に訪れたいと思います。
しかし、こんな山の中に小学校があるのは驚きでした。
場所はこの辺りです。
そしてこの小学校近くには木製の電柱も残っていました。
コールタールが塗られ真っ黒で木製とは分かり難いですが、間違いなく木製電柱ですよ。
左の電柱は微妙にカーブしており、木製と分かるかと思います。 |
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皆さん、そろそろお正月関連の記事でお腹がいっぱいになってきた頃では?
私もお正月関連の記事はまだありますが、今日は一休みです^^。
廃小学校を訪ねての13回目は、奈良県吉野郡東吉野村にあった「小川第二小学校」です。
東吉野村と言えば、日本オオカミが最後に捕獲された場所です。
そのような今でも自然がたくさん残っている村です。
小川第二小学校も昔懐かしい木造校舎です。
上の写真の右に見えるのは校門です。
見辛いですが「小川第二小学校」と彫られています。
大きな石に学校名が彫られているのが凄いです。
小川第二小学校
明治7年(1874年)創立
この校舎は昭和29年(1954年)に建てられたようです。
そして昭和57年(1982年)、小川第一小学校と統合され廃校
小川第一小学校は小川小学校に改称されました。
現在は東吉野村リハビリセンターとして第二の人生を歩んでいます。
正面入り口の上には校章でしょうか「二小」のマークがあります。
今でも遊具の一部が残っています。
子供たちの声が聞こえて来そうですね!!
この写真は校門から左右を望んだ様子です。
山深い街にあるのが分かると思います。
小川第二小学校・・場所はこちらです。
県道から一段上にあるので、道を走っているだけではたぶん分かりません。
そして、ここに来る途中で、明らかに学校と思われる建物を発見しました。
また調べて報告したいと思っています。
東吉野村には、昔は最低でも12校の小学校分校がありました。
それが今は1校を残すのみです。
過疎化と児童の減少をまざまざ見せつけられる地域です。
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廃小学校を訪ねての12回目は、奈良県吉野郡下市町にあった「広橋小学校」です。
広橋と言えば梅林でも有名な場所になります。
広橋小学校も昔懐かしい木造校舎です。
そして、今はこのような施設として再利用されているようです。
校門には広橋小学校のプレートが今でも残っています。
二宮さんも健在です^^。
この二宮さんは、どこかで見たような・・・・・。
帰ってから調べると、
第7回で紹介した「粟原小学校」の二宮さんと同じようでした。
ここには、小学校と幼稚園が併設されていたようです。
裏面を見ると・・・。
平成11年に閉校、閉園になったのですね。
少し回りを見てみましょう!
この建物は講堂です。
決して体育館ではないですね!
奥には幼稚園がありました。
こちらが広橋幼稚園です。
幼稚園の全景です。
しかし、この狭い敷地のどこに運動場があるのでしょう??
校舎の裏側に回ると坂道が!
校舎2階との渡り廊下もありますね。
そして上がるとそこには運動場がありました。
この辺りでは一番高い場所にあると思われます。
そしてこの運動場からの眺めは素晴らしいです。
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