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廃小学校を訪ねての11回目は、三重県亀山市関町にあった「坂下小学校」です。
昭和13年(1938年)に坂下尋常小学校として建てられました。
昭和54年に廃校になりましたが、現在は鈴鹿峠自然の家として利用されています。
そして平成11年には国の登録有形文化財に登録されました。
この旧小学校はドラマ撮影にも使用されているそうです。
最近ではこのドラマ撮影に使われました。
今年の8月4日に放送された「二十四の瞳」です。
こちらはその時の伊勢新聞の記事です。
写真に校舎の一部が写っていますね。
青空の下、白い校舎が映えますね!
廃校になって35年、きちんと整備されているので状態は物凄く良いです。
そして廃校と言えば暗いイメージがありましたが、
こちらは白い校舎でもの凄く明るく感じました。
何気なく立ち寄った、旧坂下小学校、良い学校でした^^。
場所はこちらです。 |
廃小学校を訪ねて
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廃小学校を訪ねての10回目は、奈良県五條市大深町にあった「大深小学校」です。
大深と書いて「おぶか」と読みます。
大深小学校は2003年に阪合部(さかいべ)小学校と統合されその役目を終えました。
しかし、廃校ではなく休校状態と思います。
五條市大深地区は五條市でもかなり山奥にあります。
この正面に見える集落の中にあります。
左下に道路が見えますがその位置で右に見ていくと道らしき物が見えると思います。
これが今走っている道路の延長です。大深地区はこの道路から更に山を上がります。
この道路からは集落はまったく見えません。
少し拡大してみましょう。
コンパクトデジカメなので見難いですが・・・。
左下に吉野建ての建物がありますが、その建物のちょうど上の大きな木に注目です。
この木を憶えておいてください。
ようやく上写真の吉野建ての建物の近くまでやってきました。
この道が学校への通学路です。
学校が見えてきましたよ!
2枚目写真の大きな木・・・この木です。
ここが小学校の玄関になります。 大深小学校の看板もまだ残っています。
今も何かで使われているようですね。 玄関脇にはこのような記念碑がありました。
休校時は4名の児童が通っていたのですね。
校舎は木造です。
小学校の全景です。
山深い場所にありまた平地が少ないので運動場も小さいです。
でもここで運動会など賑やかに行われていたのでしょうね^^。
これを見るとやはり休校状態だと思いますね。
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このシリーズは1年以上振りになりますね^^汗
廃小学校を訪ねての9回目は、奈良県宇陀市菟田野にあった「宇太小学校」です。
2006年に小学校としての役目を終えた校舎が、この度見事復活しました。
「奈良カエデの郷 ひらら」と言うカエデ(木ですよ)を集めた施設として、
この4月28日にオープンしました。
宇太小学校跡〜カエデの郷 ひらら です。
木造2階建ての校舎が残ります。
この校舎の裏には平屋の校舎が残っています。
(次の記事に出て来ますよ)
コンクリート造りの「講堂」ですね。
体育館と呼ぶより講堂と呼んだ方がいい造りだと思います。
「あすか」は竹内結子が和菓子職人を目指すドラマでしたね。
このような物もありました@@/
「消火弾」の入れる箱です。
昔の航空写真もありました。
さぁ、ここで昔を思い出しましょう。
ただし40年位前に小学中学生だった方にしか分からないかと思いますが・・・。
上の写真のほぼ真ん中にこの「宇太小学校」が写っています。
そして、小学校の右側に工場らしき物が写っています。
ここで問題です。
「この工場らしき物」は何でしょう?
当時の小学中学の社会の地図帳をお持ちの方は
奈良県のページを見て下さい。
そこに水銀の鉱山が載っているはずです。
その水銀鉱山がここなんですね。
大和水銀鉱山として有名な鉱山でした。
ちょっと横道にそれてしまいました^^;。
運動場跡には色々なカエデが植えられています。
雨降りだったので、肝心のカエデの写真はこれだけです。
また天気のいい日に行きたいですね。
駐車場もあり入場も無料ですよ。
場所:奈良県宇陀市菟田野古市場135-2
この関連記事はもう1回ありますので、お楽しみに! |
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廃小学校を訪ねての8回目は、奈良県桜井市吉隠にあった「吉隠小学校」です。
さてここで問題です。吉隠と書いて何と読むでしょう?
この地名も超難読だと思います・・・・正解は『よなばり』です。
吉隠小学校跡です。
校庭には遊具が残っており今にも子供達が校舎から出てきそうです。
現在は吉隠公民館として使用されています。
下駄箱でしょうか。
下駄箱の数から見ても小さな小学校だったと思いますね。
一段高い場所から見た様子です。
これぞ学校、懐かしさがいっぱいですね。
この吉隠小学校は、いつ廃校になったのか調べても分かりません。
誰かご存知の方がおられましたら、教えてくださいね。
場所はこちらです。
おまけ
吉隠は『日本書紀』『万葉集』にみえる地名で、『万葉集』には「吉名張」とも書かれ
「降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養(いかい)の岡の寒からまくに」
(巻2・穂積皇子(ほづみのみこ))などの歌がある。
こちらの前に同歌の歌碑がありましたが写真を撮るのを忘れました^^;。 |
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廃小学校を訪ねての7回目は、奈良県桜井市粟原にあった「粟原(おおばら)小学校」です。
この小学校も「やまとびと」と言う雑誌の情報により訪問しました。
小学校への石段です。
ここに門があったのでしょうか?
石段を登ると・・・・
運動場とその向こうは校舎の建物でしょうか?
そして間違いなくここが学校であった証、二宮さんの像が残っています。
粟原小学校(おおばらしょうがっこう)
明治7年粟原・下り屋の二か村組合連合による「道生舎」を創立。
大正12年には農繁期託児所「双葉会」が併設され、5才から10才
までの児童約60名が在籍した。
小学校は昭和38年廃校。
保育所は昭和44年廃所。
(やまとびとより)
ところでこの学校跡にある二宮尊徳像は立派な像だと思います。
物凄く精巧に出来ています。
背負っている薪のリアルなこと!
この像を作った所でしょうか?
「堂鉄」と書かれていますが調べてもわかりませんでした。
そして手に持っている本にも字が書かれています。
しかし達筆すぎて何と書かれているのか読めません^^;。
一家○一○興○・・・・
どなたか読んでください^^;。
この小学校跡は、今は粟原地区の公民館として使用されています。
この二宮さんと共にいつまでも残して欲しいですね。
場所はこちらです。
この粟原公民館になります。 |


