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久しぶりの近くのレトロを探せの記事です。
この煉瓦作りの橋は、ブログを始めてすぐに一度紹介しています。
その時の記事はこちらです。
先日近くを通ると、この橋が「土木学会選奨土木遺産」に指定されている事に気づきました。
そして、この橋の名前も分かりました。
「薬水拱橋」読み方は「くすりみずきょうきょう」です。
拱橋とは「アーチ橋」の事を言うそうです。
薬水拱橋
1912年(大正元年)竣工
近鉄電車 吉野線が上を走っています。
吉野線の前身、吉野鉄道の為に作られました。
道路と水路をまたぐように作られた煉瓦橋です。
この銘板が「土木学会選奨土木遺産」認定を受けている証です。
随分高い位置に設置してあるため、写真が撮りにくい(><)
望遠で撮ってみました。
土木学会選奨土木遺産には平成25年に選奨されていました。
この文字が書かれている部分は「扁額」と言います。
お寺などの寺院名を書いた額も扁額と言うそうです。
以前の記事では「づみ薬」と読んでいましたが、
「門水薬」と書いてあるそうです^^;。
この辺りは薬水と言う地区でこの地区の入り口を表しているそうです。
反対側です。
こちらには扁額がありません。
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近くのレトロを探せ!
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少し前になりますが、奈良県香芝市を車で走行中に見かけた商店の紹介です。
三叉路に面するように建てられたこの建物が目に留まりました。
こちらから見るとまるで六角形に見えませんか?
先ずは左側の建物をご覧下さい。
この凸凹感がいい感じです。
次は右側です。
今は営業しているのか分かりませんが、
シャッター部分が商店の出入り口でしょうね。
ケースがたくさん置かれているので、もしかして現役?
瓦には家紋も入っています。
このような古そうな看板もありましたよ。
ポスターでよく見えませんが、この自販機も古そうですね!! 牛乳箱もありました。
一見すると毎日牛乳の普通の箱ですが、
この箱は少し大きめでした。
画像では分かりませんね^^;。
この建物を見かけたのは、JR香芝駅の東側。
道路改良工事などがされています。
なかなか味のある建物なので、いつまでも残して欲しいですね。 |
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昨日の記事の「海を見ていた午前。ギリギリ」は、
一応、ユーミンの「海を見ていた午後」にかけたものでした^^。
そして、コメントで「ソーダ水の中を貨物船が通る」と頂きましたが、
貨物船もちゃんと写してました!!
これだけですが^^;。
8時に家を出て10時到着。
お昼までまだ時間があるので、少し加太の町を散策です。
まずは、川の向こうに煉瓦造りの倉庫が見えます。
○に治の文字が分かりますか?
これは、旧○治醤油の倉庫だそうです。
なかなか立派な煉瓦倉庫です。
少し逆光ですが、このような建物もあります。
これは、旧加太警察署の建物で、現在は個人邸になっています。
大正11年(1922年)竣工
文化財に指定されています。
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今日の記事は最近見かけた古い物の紹介です。
弁当販売自販機
奈良県吉野郡吉野町矢治の国道370線沿い、
この辺りは夏場は川遊びで賑わう場所です。
海の家ならぬ川の家(現役?跡?)にあります。
左から
ビーフカレー 五目ごはん ソース焼きそば
になってます。
冷凍食品をチンする方式でしょうか??
しかし、650円とは高すぎ!!
クレーン車
奈良県大宇陀で見かけたクレーン車で、
ボンネットがあるトラックがベースになってます。
クレーンのアーム部も古いですね。
ナンバーが付いているので、現役だと思います。
旧名柄郵便局
奈良県御所市にある旧名柄郵便局
先日前を通ったら綺麗になってました。
古い姿はこの記事の一番最後の写真です。
それがこのように変身!
デジカメを持ってなかったので、スマホでの撮影です。
何に使われるのか検索してみると、このような記事がありました。
「大正初期建築の郵便局を地域住民と登山客が休憩するカフェとして再生させる」
かフェがオープンしたら、ぜひ行きたいですね。
場所はこちらです。
奈良県御所市名柄 |
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先日、自宅の比較的近くに石橋があるのを偶然に知りました。
その石橋がこちらです。
この橋には「行者橋」と言う名前が付いています。
そして橋は2トンまで大丈夫なので普通車なら余裕で渡れますね。
この位置からでは、石橋と分かり難いですね^^。
しかしこの位置からだと、立派な石橋だと分かります。
ネット検索でこのような記事を見つけました。
「行者橋」ともよばれるこの石橋は高野街道に残り、吉野大峰山への参けいで
今も賑わった昔をしのぶことができます
由来は、葛城山系の紀伊・和泉・大和・河内の四ヶ国の国境を西から東へ、 そして北へとカギ型となった総延長二十八里(112km)に及ぶ峯々に、
役行者が法華経二十八巻を各所に埋納して経塚を造り、
入峯修行者のため二十八ヶ所の山籠行場を作りました
これが「葛城二十八宿」といわれる修験道場で、西は加太・友ヶ島から 北端は大和川上流亀ヶ瀬に至ります
この葛城二十八宿修験道場が金剛葛城山にあることから、 修験行者がこの橋を渡ったことに因るものと思われます
新庄桑之町にある行者堂に納められた行者像(文政6年造)の台座に 「石橋願主大坂杉岡屋半兵衛…」とあり、七橋を架けた人物の名が刻まれています
この文章の中に役行者の修行地として「加太・友ヶ島」と書かれていますが、
その場所はこちらの記事に書いてますよ。
19世紀の初め頃に架けられたのでは?と言われています。
反対側には、今では使われなくなった水道管が残っていました。
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