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今日は、気になった古い自販機と古い橋の紹介です。
近畿日本鉄道、吉野線葛駅
ホーム1本だけの小さな駅です。
この駅の改札口を出て、すぐ左手にこの自販機はあります。
非稼働のUCCの自販機です。
UCCが自販機事業から撤退したのは平成12年
少なくとも14年間はこの状態でここにあるのでしょうね。
売られていたのは、今でも見かけるのが多いですね。
この自販機を見て、駅前の道をまっすぐ進みます。
100メートル少々でしょうか、この橋に出会います。
コンクリート造りの橋ですが、何となく古そうに見えませんか?
旧309号線の曽我川に架かる橋です。
欄干部分も装飾されていますよ。
橋の名前や竣工日が書かれた銘板は外されていました。
いったい、いつ頃の橋なんでしょう??
この橋を渡りすぐに右折
また100メートルほど進むとこの自販機があります。
UCCの自販機と左側は?自販機です。たぶんコカコーラかも・・。
横には「上島○○〜上島珈琲」と書かれていると思うのですが。
左端はUCC,右端はサンガリア、真ん中2本は分かりません^^;。
このように、ごく近い場所に二つの古い自販機が残っています。
橋との取材?を入れて、3か所で10分程でした^^汗
また古い何かを探しますね!! |
近くのレトロを探せ!
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このブログでも時々紹介している木製電柱ですが、
今回はちょっと珍しい電柱の紹介です。
この電柱はブロ友のkazagasiraさんからの情報です。
では、その電柱をご覧下さい。
幹線系(たぶん)の立派な木製電柱です。
そして、何か気づきませんか?
電力の木製電柱ですが、なんと信号柱も兼用しています。
木製信号柱なんですね!!
電柱は木製と古いですが、付いている信号機はLEDの新しい物でした。
歩行者用信号機も付いてますよ。
たぶん木製の信号柱は全国的に見ても、珍しいと思います。
よくぞ残っていました!ですね^^。
この木製電柱はここにあります。
地図で印の付いた信号機がそうですよ。
木製電柱だけでは寂しいので、このような画像もど〜ぞ!
懐かしい農協のマークです。
ホーロー看板のある小屋です。
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久しぶりに近くのレトロを探せの記事です^^。
息子の古い建物があるとの情報で、早速見に行って来ましたよ。
場所は奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)談山神社に向かう道路の途中です。
談山神社は桜と紅葉の名所でもあり、関西でも比較的有名な神社になります。
そして残っているのは、この建物でした。
右半分はたぶんオリジナル状態で、左半分はかなり改造されていると思います。
JAならけんの多武峰支店だったようですが、今は営業していません。
玄関から向かって右側には、このような窓口があります。
何に使っていたのでしょう??
左側部分です。
そして屋根に目を向けると、このような瓦が!
「多武峰村役場」と書かれています。
この建物は、元は多武峰村役場の建物だったんですね。
ウィキによると、
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、十市郡倉橋村, 今井谷村, 横柿村, 北山村, 西口町, 多武峯, 鹿路村, 飯盛塚村, 八井内町, 針道村, 百市村, 南音羽村, 北音羽村, 下居村, 下リ尾村, 粟原村が 合併し、多武峰村が成立。 1896年(明治29年)3月29日 - 所属郡を磯城郡に変更。
1954年(昭和29年)3月3日 - 安倍村、朝倉村とともに桜井町に編入され、消滅。
明治22年に多武峰村が発足してますが、この建物は明治22年の物ではないと思います。
しかし、村が無くなる昭和29年以前の建物には間違いないですね。
そして隣には、このような建物も残っています。
古い農業倉庫です。
この倉庫に付いていた看板には「多武峰農業協同組合」と書かれています。
この文字で次のように推測しました。
(誰でも分かるか^^汗)
〜昭和29年3月2日まで、多武峰村役場。その後、多武峰農業協同組合の本所となる
平成11年4月1日より奈良県内にあった農協が一つになり、奈良県農業協同組合
(JAならけん)となり、多武峰農業協同組合は、奈良県農協の多武峰支店となる。
たぶん、こんなもんだと思うのですが・・・。
農業倉庫も少し見てみましょう。
倉庫は今でも使われているようです。
多武峰支店も支店としての役目は終えてますが、何かに使われているようです。
右端には火の見櫓も残っていますね。
多武峰村時代の物と思います。
今はもう役目を終えています。
懐かしい農協マークのホーロー看板です。
この建物の前の道路は何度も通っていますが、全然気づきませんでした^^;。
そして昔は小さな町村が、たくさんあった事も知りました。
何となく村の変遷も面白そうですね。 |
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前回、近畿日本鉄道 吉野線吉野神宮駅から出ていた
貨物引き込み線跡調査の報告をしましたが、
「ちなみにその時の記事は
ご覧下さい。」
引き込み線調査の時に興味深い話を聞いたので記事にしておきたいと思います。
まずはこの写真をご覧下さい。
これは奈良県吉野郡吉野町辺りにあった「美吉野運動競技場」です。
吉野川の中州に作られた競技場でした。
ウィキにも少し載っているのでご参照ください。
(ディープな吉野の歩き方からの拝借です)
こちらはウィキから拝借の画像です。
分かり難いですが、写真の真ん中辺りに競技場が見えますね。
こちらもウィキから拝借の概略図です。
そして、こちらの航空写真もご覧ください。
引き込み線調査でよく見た航空写真ですね^^。
赤い線は引き込み線跡です。
オレンジ線の左は野球場、右はトラックを表しています。
トラックは昭和14年頃から吉野貯木場として利用が始まりました。
次はこの写真をご覧下さい。
左に蛇行する引き込み線、真ん中に貯木場、右に2階建ての建物が写っています。
(ディープな吉野の歩き方からの拝借です)
吉野木材組合連合会の建物です。
違う角度から。
たぶんトラックがあった辺りからの眺めになります。
次は、この写真の真ん中に水門らしき物が見えますね。
ここは筏で集められた水中土場と呼ばれる貯木場の水量をコントロールする水門でした。
3枚上の写真に筏が写ってますね。
水門の左の橋は「材木橋」と言われていました。
(概略図は木材橋と書かれていますが・・・)
(ディープな吉野の歩き方からの拝借です)
その水門は今でもこのように残っています。
航空写真の黄色い★印の場所になり、
また青い線は川があった辺りを表しています。
古い写真では水門の横には材木橋が写っていますが、
今は航空写真でも分かるように埋め立てられています。
1枚目の競技場の写真の下側の川部分が水中貯木場として使用されてたんですね。
その部分は今ではすっかり埋め立てられていますが、川があった証が他にもあります。
これです。
埋め立てられた川に残る橋の跡です。
欄干だけが残っています。
そして競技場の下側の川を埋めた事により、吉野川の川幅が狭くなりました。
伊勢湾台風で大きな被害が出たのをきっかけに川幅を広げる工事が始められました。
航空写真の川の真ん中にある黄色の線まで中州はありましたが、
写真の通り川幅が広げられたのです。
航空写真の川中の黄色の線辺りをよく見ると何やら筋のような物が
見えると思いますが、それはこれです。
これは堤防の跡です。
この堤防跡から手前が広げられた川なんですね。
この吉野町界隈にこのような歴史があったとは、全然知りませんでした。
まったくまとまりの無い記事になりましたが、歴史だけは何とか分かって頂けたかも^^汗
吉野はまだまだ何かがありそうです。
また何か発見したら記事にしますね! |
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今回は、この時に見てきた跨線橋の紹介です。
桑町跨線橋
旧近鉄伊賀線〜現在の伊賀鉄道(近鉄になる前にも伊賀鉄道でした)に
架かる総煉瓦造りの跨線橋です。
竣工した時期は不明ですが、鉄道が開通したのが1922年(大正11年)
なのでこれ以前だと思われます。
この跨線橋は線路に直角に架かっていません。
少し斜めに架かっているので、結構複雑な形をしていると思います。
そして総煉瓦造りなので欄干も煉瓦です。
車がぶつかれば壊れそうですね^^。
そして欄干の十字の模様もなかなかのデザインだと思います。
竣工からそろそろ100年今でも立派に活躍しているのは凄いですね!!
場所はこの辺りです。
この病院の前になります。
頭の中で演奏されてますよ。
私の好きな歌です^^。
歌を聞かれたら地図をじっくりご覧ください。
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