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昨日に続き名古屋城の記事です。
ちなみに昨日、第1回目の記事はこちらをご覧ください。
本丸御殿の修復現場を見た後は、天守閣に行きましょう!
天守に入りましたが、中は凄い人です。
外人さんが一杯です。
一通り見ましたが、早々に退散しました。
写真はこれを撮っただけです^^;
名古屋城の鯱です。
それに内部はビルですからね!!
内部は近代的?なので、やはり外から見るに限ります^^。
裏に回るとこのような物がありました。
天守を支えていた礎石です。
こうして見るとかなりの数ですね!凄い!!
しかし、大きい!
昔は木造でこれを作ったのですから、凄いの一言ですね。
鯱
青空に天守が映えます。
石垣の石に刻まれた紋を探すのも楽しいですね。
お城を一周して正門から出たのでした。
最後に、再建されたお城は外から見るに限りますね。
以上で名古屋に行った記事は終わりです。
長らくのお付き合いありがとうございました。
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日本の城を見よう!
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昨年末に名古屋に行きましたが、その時の記事をまだ書いています^^;。
名古屋関係の記事は今回紹介の名古屋城2回分で完結なのでもう少しお付き合いを!!
では、名古屋城の記事1回目です。
まずはこの地図をご覧ください。
私は名古屋城へは45年振り位でしょうか?
まったく記憶がございません^^。
名古屋城へは東門より入城です。
向こうに天守が見えますが、こうして見ると大きいですね!
まず目についたのがこちらの像です。
これは東南隅楼です。
そして堀の中にはたくさんの石がありますね。
石垣を積みなおしているのですね!
こちらの門から入りました。
この門は戦災にあわなかったようです。
門を入ると目に留まるのが、この本丸御殿です。
人が多すぎるので、屋根だけです^^汗
中も見学できましたが、同じく人が多すぎるのでパスしました。
本丸御殿は復元中の部分もあります。
こちらは見学できるので行ってみましょう!
しかもこちらはガラガラですよ。
ヘルメットを被りますが、何と良く似合う事か(笑)
これは戦災で焼失前の天守、本丸御殿です。
復元工事はかなりの規模で行われているんですね。
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宇陀松山城の紹介2回目です。
1回目の記事はこちらをご覧下さい。
宇陀松山城前回は喰違虎口が見える場所まで紹介しました。
喰違虎口を過ぎ、天守跡に向かって歩いていると
いきなりこれが現れました。
鹿の骨!!
と思いましたが、木でした。
しかし、鹿の頭に見えませんか??
上に登ると広場がありました。
ここは、本丸跡になります。
前方に見える一段高い場所が、天守跡になります。
天守郭は、本丸より4m上にあり南北6間、東西5間半。
上空から見ると十字形で、90cmの鯱瓦が4体出土したので
2階建て以上の天守があったと思われます。
天守跡から本丸を望みます。
これは航空地図で見た城跡の様子です。
真ん中に天守跡(白丸部分)、その左が本丸跡、右側が二の丸跡になります。
このような、瓦が散乱しています。
これは当時のお城の瓦でしょうか?
ここは眺めの良い場所に認定されているようです。
こちらが大峰山脈方向
確かに眺めが良いですね!!
こちらは奈良盆地方向ですが、奈良盆地ははるか先ですね!
大宇陀の町は左下の方向になります。 横から天守跡を見てみましょう。
二の丸跡から天守跡を見た様子です。
こちらはけっこうな高低差がありますね。
二の丸跡と天守跡の間には、空堀らしきものもありました。
今年で破城400年の宇陀松山城。
どのようなお城が建っていたのか気になります。
これで宇陀松山城跡の紹介は終わりです。
中途半端な記事で終わってしまいますが、ご了承を^^;。
宇陀松山城
場所はこちらです。 |
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先日の宇陀松山ばるウォークのタイトルは
「1615年宇陀松山城は小堀遠州により破壊されるが城下町は今も元気!」
でした。
今年は破城400年の年で宇陀松山城を一生懸命PRしているようです。
今日は、その宇陀松山城に登った記事です。
登ったと言うのは、宇陀松山城は山城で、山頂に城があったからです。
それでは、松山城に登りましょう!
まずは、この門をご覧下さい。
これは、松山城西口門です。
そして、下の地図をご覧下さい。
赤○が、上の西口門のある場所です。
西口門は街中にありました。
西口門を見た後は、緑○の場所に行きます。
この神社にも城の遺構があります〜春日門跡です。
立派な石垣ですね!
何か丸い印の掘られた石もあります。
この春日門跡から松山城に登ります。
地図の青○が城があった城山です。
標高473メートルの山頂に松山城はありました。
このような道を歩きます。
山頂に近づくとこのような物が見えて来ました。
ちょっと分かりにくいですが、空堀でしょうか。
空堀?を過ぎると一気に視界が広がります。
破城されたので、高い石垣は残ってませんが、このような石垣の一部が残っています。
石段の一部も残ってます。
ここはしっかり残ってますね!!
少し高い位置から見るとこのように見えます。
このようなクネクネと曲がった通路を「喰違虎口」と言うらしいです。
一気に攻め込めないような構造です。
ここで地図と西口門に戻って下さい。
この場所も、よく見たら、喰違虎口になってるんですね!!
今日はここまで、2回目に続きます。 |
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少しずつですが、城関係の記事も増えて来たので新しい書庫を作ってみました。
以前の城関係の記事も順次移動して行きたいと思います。
今回の紹介は「水口城」です。
水口城は、江戸幕府3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)が上洛の際の宿館として築城された後、
水ロ藩2万5千石の居城となり、湧水を利用した薬研堀(やげんぼり)に
水をたたえていたことから「碧水城(へきすいじょう)」の別名がありました。
その他詳しくはウィキをご覧ください。
この姿が、碧水城(へきすいじょう)と言われた所以ですね。
入館料は100円です。
復元模型です。
まずはビデオを見ました。
お茶のサービスがありましたよ。
入館料100円なのにサービス抜群ですね^^。
この建物は復元ですが、天井の梁などは当時の物を使用しているそうです。
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