なおのブログ

毎日更新頑張ります(*^o^*)

ブラなおさん

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
奈良県のテレビ局で奈良テレビがあります。
この奈良テレビで毎週金曜夜に放送されている番組で
ならフライデー9」と言うのがありますが、そこで興味深い放送がありました。
イメージ 1


この日の放送に春日大社がありました。
この放送での内容を確認したいので早速行ってきましたよ!!

イメージ 2
この日は連休の最終日と言う事もあるのでしょうか、
普段より参拝の人が少なかったです。


イメージ 3



まずは、参拝をしましょう。
イメージ 4



イメージ 5



イメージ 6



イメージ 7  イメージ 8


イメージ 9  イメージ 10


春日大社と言えば、藤の花と燈籠が有名ですね。

今回は燈籠に関しての記事ですよ。

春日大社には石燈籠が約2000基、吊り燈籠が約1000基あるそうです。
今は年に数度しか全部の燈籠に火が灯りませんが、昔は毎日灯していたそうです。
その為に毎日約280リットルもの油が必要だったとか。

奈良市の近鉄奈良駅近くに油阪と言う地名がありますが、
昔はここにたくさんの油屋さんがあったそうです。



燈籠でも石燈籠のお話です。

春日大社には石燈籠は約2000基あると書きましたが、
大半はこのような「春日社春日宮」と彫られています。
イメージ 11


イメージ 12


イメージ 13




この2000基分の15基は、違う文字が彫られています。
イメージ 14  イメージ 15
この左側の燈籠に注目!〜分かりますか??    このように春日大明神と彫られているのです。



春日大明神と彫られているのは、約2000基中の15基、
これを3基見つけるとお金持ちになるとか〜嘘か本当か分かりませんよ^^。


そこで探しました!
他にも探している人がいました。
テレビの威力は大きいですね(笑)


まず上の写真で1基


2基目
イメージ 16
この3本の中の真ん中ですよ。
イメージ 17




3基目
イメージ 18
ここも真ん中奥です。
イメージ 19



何とか3基見つけました。
でもこれ以上は見つけられませんでした。
また探しに行こう!!



そしてここも紹介されていました。
イメージ 20
春日大社の奥の方です。
イメージ 21




ここには有名人の書いたしゃもじがたくさん奉納されているのです。
イメージ 22
一番左がこの時の取材で書いたものです。
イメージ 23
タモリはブラタモリで来た時かなぁ・・・。
他にも色々、皆さんも見に入って下さいね。




以上、ならフライデー9の放送を参考に行った春日大社でした。




最後に
春日大社はたくさんのポケモンが出る事で有名ですが、
奥さんがこれをGET!!
左です〜金色のコイキング
4000分の1の確率とか!!
イメージ 24 イメージ 25
ちなみに右は普通のコイキングです。


東大寺法華堂〜三月堂の愛称で知られています。
そして最近、御朱印を集めようで紹介したばかりですね^^。
イメージ 1
この法華堂(三月堂)には、ある秘密(大袈裟??)があるのをご存知でしょうか?
イメージ 2
 
私は4月23日に初めてしったのでした^^汗
この日、修学旅行生が多くこの辺りに来ていました。
確か群馬県高崎市の高崎中学も来ていましたよ。
その集団への説明だったと思いますが、私も一緒に聞いてました。
そして建物に関して初めて知る事実が!!!
 
 
では、法華堂を正面から左回りで裏まで見てみましょう。
(右側には回れませんので^^)
イメージ 3
 
素晴らしい国宝の建物です。
イメージ 4
 
 
 
右側が正面で左の方へ行きますよ。
イメージ 5
 
 
イメージ 6
 
真横です。
イメージ 7
 
 
 
イメージ 8
 
 
イメージ 9
 
 
 
イメージ 10
 
 
ここが裏側です。
イメージ 11
 
 
さぁ半周ですが見てきました。
皆さん、何かに気づかれましたか??
知ってる人には、何を今更と言われそうですが・・・。
 
分からなかった貴方!もう一度真横の写真をご覧ください。
(この写真だけネットから拝借です)
イメージ 12
真ん中辺りに注目!!
 
 
まだ分からない??
ではもう少し近づいて。
イメージ 13
あっ!何か見えませんか?
 
 
この部分ですよ。
おぉ〜〜軒が繋がっています!!
イメージ 14
 
 
ここが修学旅行生への説明で初めて知った事なのでした。
ここでネット拝借の写真をもう一度ご覧ください。
イメージ 15
この法華堂の真ん中辺りで屋根が複雑になってますね。
法華堂は左半分が奈良時代の建築、右半分が鎌倉時代の建築なのです。
そして別々の建物だったのを一つの建物にしているのです。
その辺りはウィキに詳しく書かれているのでご参考に!
 
 
 
では改めてつなぎ目の辺りを見てみましょう!
イメージ 16
軒先が繋がっています。
左が奈良時代、右が鎌倉時代です。
 
 
イメージ 17
 
 
イメージ 18
 
 
ちょうどつなぎ目の箇所で瓦の模様も違っていました。
左が複弁蓮華文になってますが、右は法華堂の文字でした。
イメージ 19
 
 
 
最後に二月堂から見た法華堂の屋根の様子です。
屋根の形も複雑ですね。
イメージ 20
 
 
 
イメージ 21
 
 
以前から、法華堂の建物は少し違うなと思っていたのですが、
このような秘密があったとは、この時初めて知りました。
中学生と一緒に説明を聞かなければ、まだまだ気づかなかったでしょね。
知らなかった貴方!
今度行く機会があればこの境部分をよく見て下さいね。
 
 
 
法華堂(三月堂)の場所はこちらです。
 
 
 
 
 
昨日も最高なお天気の一日でした。
そしてまたまた奈良公園辺りに行ってしまいました^^;。
イメージ 1
 
 
 
実は、4月22日から5月7日まで、興福寺北円堂の特別公開があるからです。
連休になると混みそうなので、空いてる時に行きました。
イメージ 2
 
 
イメージ 3
北円堂の公開時は、期間限定で北円堂の御朱印が頂けます。
それが欲しかったもので^^;。
 
北円堂に関しては、また別記事で紹介しますね。
 
 
イメージ 4
 
 
こんな写真を撮ったりして^^。
イメージ 5
 
 
 
奈良公園にある消火栓ですが、でかいですね!!
イメージ 6
 
 
 
これは門扉ですが、車輪ですよ!
奈良公園鉄道でしょうか(笑)
イメージ 7
 
 
 
ふと頭上を見ると、そこには富貴蘭が!!
イメージ 8
 
 
このような道も歩きました。
イメージ 9
 
 
 
東大寺の屋根です。
しかし良い天気!!
イメージ 10
 
 
 
二月堂です。
その隣にあるのは(写ってませんよ)、三月堂。
この三月堂にもある秘密が・・・また別記事で。
イメージ 11
 
 
 
イメージ 12
鹿もウトウト気持ち良さそう。
そして、鹿の角を触ってみました。
ちょっと柔らかかったですよ。
イメージ 13
 
 
 
 
ニュースで万葉植物園で「ギョイコウ」が咲き始めたとのニュースがありました。
緑っぽい桜の花です。
でもどこかで見たような・・・・。
 
イメージ 14
自宅近くの公園に咲いてました。
イメージ 15
ニュースになる位貴重な桜なのでしょうか??
イメージ 16
 
 
 
おまけの桜
イメージ 17
 
イメージ 18
 
イメージ 19
4月2日は、mimippiさんとウォーキングデート!
その様子はダイジェスト記事で報告した通りです。
おまけの記事としてこんな記事も書きました。
 ダイジェスト記事の補足版も書きました。
今回は番外編と言う事で!
 
 
ウォーキングは14時過ぎに終了解散となりました。
これで終わるのは勿体ないと言う事でmimippiさんの案内で神社巡りです。
 
同じく市内の御霊神社へ行きました。
ここは五條市釜窪町(かまのくぼ)にある御霊神社です。
イメージ 1
井上内親王を祀っています。
 
そして釜窪の地名の由来になった物が近くにありました。
イメージ 2
 
イメージ 3
境内に「釜塚」と言われるものがあります。
井上内親王が皇子出産に際し産湯を使われた釜の塚の意味からの地名のようです。
伝説では荒坂で産気付かれウブヤ峯(宮前カントキ神社)で分娩され、
この地の民家で飯を煮ておひつに移した飯つぶの残った釜の湯を産湯に使ったという
伝承があります。
 
場所はこちら
ここはこの日初めて知ったのでした^^汗
 
 
 
 
 
ビュンと車で一走り!
次の場所に案内して頂きました。
イメージ 4
このような道を歩きます。
 
 
ここからは吉野大峰の山々が見えます。
雪が積もってますよ!!
イメージ 5  イメージ 6
 
 
ここは凄さ感を出す為に、写真の順番を入れ替えました^^。
 
このような石段を上ります。
イメージ 7
 
 
ようやく見えて来ました。
イメージ 8
 
ここは五條市小和にある御霊神社です。
こちらも井上内親王を祀っています。
実はここも初めてでした!!
 
上から見ると凄い石段ですね。
イメージ 9
 
 
イメージ 10
 
イメージ 11
立派な神社でしたが、お詣りの人は来るのでしょうか?
そんなひっそりとした場所にありました。こちらです。
 
 
 
2箇所回っても、まだまだ時間はあります。
次は私の案内でmimippiさんの知らない所へ行きましょう。
 
 
御所市伏見の小さな仁王様のいる菩提寺に行く事にしました。
イメージ 12
これは仁王門を裏から見た様子です。
 
 
この仁王様は見覚えあるでしょう^^。
イメージ 13    イメージ 14
 
 
この日はこのお寺のお祭りでしたが、ちょうど終わった所でした。
もう少し早ければ十一面観世音菩薩様が見れたのに・・・残念(><)
ガラス戸越しには見えましたよ。
イメージ 15
 
御所市伏見 菩提寺
場所はこちらです。
 
 
 
 
 
ここから戻りながらもう一か所寄ります。
mimippiさんが近くまで行ったのに分からなかった神社です。
その神社はこのような場所にあります。
イメージ 16
爽やかな風が吹き抜けるような地名でしょう!!
 
 
 
イメージ 19
 
風の森神社
 
イメージ 17
この神社は「志那都比古の神」。
mimippiさんはこの神様の志那の文字が気になるとか・・・。
 
 
境内にはこのような石碑もありました。
イメージ 18
この場所も天誅組に関係あったのでした。
 
場所はこちらです。
 
 
 
 
ここで空を見上げるとお月さまが!
イメージ 20
 
 
そして、長屋門に戻りました。
mimippiさんお疲れ様でした。
今度は五條市吉野三山の神社に行きましょう!
 
 
これにて終わり。
 
 
4月2日は、mimippiさんとウォーキングデート!
その様子はダイジェスト記事で報告した通りです。
そしておまけの記事としてこんな記事も書きました。
 
今回は、ダイジェスト記事の補足版と言う事で^^。
実は写真があまり無かったのでした^^汗
 
 
ダイジェスト記事と重複すしてる部分も多々ありますが、気にしない気にしない。
イメージ 1
 
 
集合場所の五條代官所 長屋門跡です。
イメージ 2
 
 
 
集合時間まで少し時間があるので敷地内に展示されている蒸気機関車を見ましょう!
イメージ 3
 
 
イメージ 4
mimippiさんがこの機関車を記事にしていたのを偶然に発見したのでした。
 
 
私が子供の頃に現役の姿を見てますよ。
イメージ 5
ネットから拝借しました〜現役の頃の姿です。
 
 
出発時間になりました。
出発して500メートル位の場所にこのような案内MAPがありました。
イメージ 6
森田節斎宅跡です。
これは知らなかった^^;。
ちなみに森田節斎とは、こんな人物でした。
 
没年:明治1.7.26(1868.9.12)  生年:文化8(1811)
江戸後期の儒学者,志士。名は益,通称謙蔵,節斎,または節庵,愚庵と号す。大和(奈良県)五条の人。
父文庵は医者。文政8(1825)年京都に出て猪飼敬所に就き,さらに11年頼山陽に学ぶ。
12年より昌平黌に入り,安井息軒,塩谷宕陰らと相識る。弘化1(1844)年江木鰐水の『山陽先生行状』を
強く論難する。京都に塾を開き尊攘論を唱え,吉田松陰,乾十郎ら尊攘志士を輩出し
,また頼三樹三郎,梅田雲浜,宮部鼎造らと親しく交わる。文久1(1861)年倉敷に移る。
門人原田亀太郎が天誅組に参加し,自らは中川宮朝彦親王へ上申するなどの運動で幕府に
目をつけられたため,紀伊国に逃れ髪をおろし愚庵と号し,那賀郡花見村に没す。
 
 
 
吉野川の堤防を少し歩きましたよ。
イメージ 7
 
 
 
岡松家長屋門
野原代官所があった場所です。
イメージ 8
 
 
門辺りは人が多すぎて写真がありません^^;。
イメージ 9
でもこの建物の長さには驚かされますね。
 
イメージ 10
航空写真で見ると、こんなに大きいんですよ!
 
ここで昔話を少し
私が小学中学生の頃、この門の前にたこ焼きの屋台がいつも出ていました。
そして地図の長屋門上辺りの茂みの場所は、子供の頃は首切り場の跡と言い、絶対に行きませんでした。
この日の説明で、この代官所にはお白洲があり、裁かれた人の首が・・・。
 
 
 
そして、この長屋門の近くが辨天宗の発祥の場所だとか。
智辯学園で有名ですね。
ウィキに書いてある十綸寺
イメージ 37
 
 
その近くにある弁財天
イメージ 38
 
 
 
 
お昼休憩場所の御霊神社に到着です。
イメージ 11
井上内親王を祀っています。
 
 
この神社の隣には満願寺があります。
井上内親王の霊を慰める為に霊安寺(りょうあんじ)と言うお寺も建てられました。
その金堂跡に満願寺はあります。
現在、霊安寺と言うお寺はありませんが、地名にその名が残っています。
イメージ 12
井上内親王に関しては、こちらに詳しく書かれています。
 
 
満願寺前には三重塔の礎石と言われる大きな石もありますよ。
イメージ 13
 
 
神社で昼食休憩のあと、午後のスタートです。
まず向かった先は、井上内親王の子供である他部親王(おさべしんのう)の御霊です。
 
このような長閑な風景が見える場所にあります。
イメージ 14
 
 
 
ちゃんと宮内庁が管理しています。
イメージ 15
 
 
イメージ 16
 
 
次は、この他部親王陵の近くにあったお墓です。
イメージ 17
徳川家康の頃、野原助兵衛という武勇の侍がいた。助兵衛は大阪の役が起こると、ただちに豊臣方に招かれて入城し、たびたびの合戦に武勲をたてた。元和元年五月六日、鴫野口≪しぎのぐち≫で一隊の長となり、関東軍を大いに悩ました末、友軍と離れて深く敵地に入り、ついに疲労したので敵の面前で馬を下り、扇子を開いて涼を入れていた。すると戦死者の中にかくれていた敵兵に後方からねらい討ちにされた。子息何某が亡き父のかたきを討ち、父の首を奪いかえして郷里に帰り、厚くこれを葬ったのが、この墓であるという。
 
ここでも子供の頃の話しを。
野原すけべえ〜ただの助べえなおっさんが居るのだと思ってました。
実在の武士だったとは・・・実はこの時に初めて知った次第で^^汗
 
 
 
この近くで索道のコンクリート基礎跡を発見したのでした。
 
 
他部親王陵全景です。
イメージ 18
 
 
子供である他部親王の墓から5〜6分でしょうか。
ここがお母さんである井上内親王の眠るお墓です。
 
井上内親王宇智陵
イメージ 19
 
 
イメージ 20
 
 
ここで少し休憩
 
 
このような立派な門の残る山縣家の門を見学です。
イメージ 21
 
 
イメージ 22
 
 
ここを過ぎれば間もなくゴールの神社です。
黒駒(くろま)の御霊神社
鳥居には「落杣神社」と「御霊宮大明神」の二つの扁額が掛けられています。
イメージ 23
 
日露戦争の時の砲弾が飾られていました。
イメージ 24
 
 
 
拝殿です。
イメージ 25
 
 
普段は見学できませんが、この日は何かの行事をしており本殿を間近で見る事が出来ました。
イメージ 26
4年前に修復されたそうで、鮮やかな絵や彩色を見る事が出来ました。
 
イメージ 27
 
 
 
ここでも記念撮影です^^。
イメージ 28
 
 
 
そしてこの神社の近くには古墳があります。
イメージ 29
 
 
発掘調査され整備されました。
石室内に入れます。
 
イメージ 30
 
石室内ですよ。
イメージ 31
 
 
 
以上で、この日のウォーキングは終了です。
バスが来るまでに近くのお寺を見ておきましょう!
イメージ 32
 
イメージ 33
小さな無住寺です。
 
お寺は小さいですが、この木は大きい!!
イメージ 34
 
イメージ 35
大きなモミの木がありました。
この木の大きさから見て、このお寺も結構古いのかも??
 
 
 
 
バスが来ました。
イメージ 36
皆さん、お疲れ様でした。
 
 
 
そして、この記事は、番外編へと続くのです・・・。
 

.
なお
なお
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(38)
  • みゆこ
  • ラビット301
  • アッキー
  • 沙羅
  • ぽっぷ
  • ont**road*going*n
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事