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「大和の古墳を巡る」第8回目は、
奈良県北葛城郡河合町にある川合大塚山古墳です。
河合町にあるのに川合大塚山古墳とは、何となく違和感がありますね^^。
そして記事の後半で少し書きますが、なかなか興味深い事もありますよ。
まずは、いつも通り航空写真をご覧ください。
周濠こそ水田になっていますが、痕跡は綺麗に残っています。 この古墳の全長は215メートル、全国第26番目の大きさです。
大きすぎて分かり難いですね。
手前が後円部、向こうが前方部になります。
ちょうど水田が周濠のように見えて良い感じです!
後円部と周濠痕です。
こちらも良い感じ!!
前方部から後円部を望みます。
前方部です。
古墳全体的に大きな崩れも無く、状態は良好のようですね!!
ここで改めて航空写真をご覧ください。
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大和の古墳を巡る
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「大和の古墳を巡る」第7回目は、
奈良県橿原市五条野町にある見瀬丸山古墳です。
見瀬丸山古墳は、奈良県最大の古墳で全国的に見ても
第6番目の大きさの古墳になります。
今回もまずは航空写真をご覧ください。
そして前方部は国道が横切っています。
国道から見た丸山古墳です(以後、丸山古墳と書きます)。
あまりにも大きすぎて、これぐらい離れないと古墳とは分かりませんね!!
そして後円部には樹木が生い茂ってますが、それ以外は草原です。
以前の丸山古墳は、後円部以外は開墾され畑等に使用されていたからです。
後円部に近づきました。
草刈されてたので、見やすいです。
これは周濠です。幅は15メートル位あるでしょうか。
ここから丸山古墳に登れますよ!
小さい文字ですが、拡大すると読めると思います。
この後円部だけ御陵墓参考地に指定されています。
これは案内板からの抜粋ですが、この丸山古墳にある石室です。
横穴式石室。その石室の大きさは、国内最大です(今発見されてるもので)。
石室の長さは28.4メートルあるそうです。
そして石室内には石棺が2個あります。
この石棺の石材も兵庫県加古川市辺りから運ばれて来たそうです。
では墳丘上から。
後円部から前方部を見ました。
くびれ部が分かると思います。
正面に見える山は、大和三山の一つ畝傍山です。
こちらは反対側のくびれ部です。
大きすぎて分かりませんね(笑)
草刈されている平面部分は周濠部分になります。
遠くに耳成山が見えてますよ!
後円部から前方部を真正面に見た様子です。
何かさっぱり分かりませんね。
前方部は草刈が終わってないので、行きませんでした^^;。
この写真なら何とか古墳と分かるでしょうか・・・。
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「大和の古墳を巡る」第6回目は、
奈良県高市郡高取町にある市尾墓山古墳です。
そして、これぞ前方後円墳と言う綺麗な形を間近で見る事が出来る古墳です。
まずは航空写真をご覧ください。
この古墳は墳丘の木が1本しかありません。
なので古墳の様子がよく分かります。
こちらが市尾墓山古墳の遠景です。
国指定史跡 市尾墓山古墳
墓山古墳は墳丘の長さが約」70m、高さが10mの前方後円墳です墳丘は二段に築かれ、 周濠と外提をあわせると全長100mの規模になります。
昭和53(1978)年の発掘調査で、後円部からは横穴式石室が検出され、 家形石棺が確認されました。
また石室内からは武器、馬具、玉類、土器などが出土しました。平野部にある前方後円墳であり、
大和盆地においては初期の横穴式石室や巨大な凝灰岩製の刳り貫き家形石棺をもつこと
などから、昭和56(1981)年に国史跡に指定されました。 平成16(2004)年度から平成18(2006)年度に行われた調査では、古墳築造に使われた 多くの粘土の固まり、石室をつくるときに地下に埋め込まれた基礎石、墳丘一段と二段目の間の
テラス部分に立て並べられた埴輪列、周濠から鳥、笠、石見型などの木製品が出土しました。
墓山古墳の築造された時期は、出土遺物などから6世紀初めごろと考えられえます。 古墳時代後期を代表する貴重な古墳で、当時この地域に権力をもった豪族が葬られていたと
考えられます。
墳丘に階段が見えるのは、石室を見る為のものです。
後円部を見た様子です。
墳丘は2段に築かれているのが、はっきりと分かりますね。
整備はされていますが、周濠部も綺麗に残ってます。
この古墳には石室があります。
遠景で階段が見える場所、後円部にあります。
石室は頑丈な鉄扉の向こうです。
石棺があるのが分かりますか??
では墳丘に登りましょう!
全長70メートルでもこの大きさです。
向こうに我がパジェロミニが見えますね^^。
後円部から前方部を見た様子です。
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「大和の古墳を巡る」第5回目は、
奈良県磯城郡川西町にある「島の山古墳」です。
川西町近辺を走るとカーナビに大きな古墳が現れます。
これが島の山古墳です。
島の山古墳
全長200メートルの前方後円墳
周濠を備えた全国的に見ても大きさ30番台の古墳になります。
前方部
後円部
後円部から前方部を見ました。
何となくくびれ部が分かると思います。
古墳の内部には入れませんので外から見るしかありませんね^^。
これで古墳の記事は終わり??ではありません。
こちらは古墳の横にある神社です。
比売久波神社
(ひめくわじんじゃ)
創祀年代は不詳。一説に鳥羽天皇天仁年間(1108〜1109)の鎮座であると言われてます。
比売久波は「姫桑(ひめくわ)」で桑の葉を神体としているとも言われているそうです。 拝殿です。
この神社の境内にはこのような場所がありました。
案内板によると箕輪寺跡だそうです。
詳しい案内板もありました。
無住になり最後は倒壊とは、悲惨なお寺です(><)
神社を後にしようとしてこのような案内板を発見。
この神社の拝殿と本殿の間の踏み石が、隣にある島の山古墳の
石室の天井石が3個使われていると書かれています。
これは見ないと!と言う事で、また戻りました。
確かに長方形の石がありますね。
望遠で。
反対側に回って見ましょう!
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「大和の古墳を巡る」第4回目は、
奈良県明日香村にある「都塚古墳」です。
この古墳は、蘇我稲目の墓と言われており
近くには、稲目の息子、蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳があります。
また数年前の発掘調査で「階段ピラミッド」形状を持つ古墳と分かりました。
少し前の撮影です。
草が芽吹く前ですね^^;。
中央が都塚古墳、方墳です。
真ん中辺りの凹みは石室の入り口です。
羨道部の天井石は無くなっています。
墳丘に登ってみました。
整備されていますが、何か分かりませんね(笑)
墳丘を見るなら遠くからに限ります!!
ちなみに2枚目の写真は、前方に見える道路から撮影しました。
墳丘は遠くからは何となく方墳に見えますが、
この古墳の見所は石室内の石棺でしょう!!
柵があるので中には入れません。
石棺が見えますね。
柵の中に手を突っ込み撮影です。
この古墳もかなりの巨石が使われていますね。
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