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本日は、天候もいまひとつで、薄曇りで視界もぼんやりの英虞湾(あごわん)の写真です。 写真としてはいまひとつかと思いますが、地理の勉強でも思い出しつつ見てってください。 英虞湾(あごわん)。なんてインパクトのある名前。 初めて聞いたのが中学時代だか、小学時代だか覚えていないが、この名前だけは忘れなかった。 もちろん、漢字では書けないが、忘れられない名前。あごわん。 私は、伊勢旅行の際に、どうしてもこの「あごわん」が見てみたかった。 複雑に入り組んだ海岸線に筏が浮かび、カキや真珠が養殖されている場所・・・。 あごわん。 なんど口の中で繰り返しても味わいのある名前だ。 伊勢から二見が浦を通って海伝いに南下すると鳥羽。 そこからさらに南下すると志摩につながっていく。 志摩一帯は複雑に入り組んだ海岸線が特徴的で、こういったのこぎりの歯のようなに入り組んだ海岸のことを「リアス式」海岸という。 なんだか、中学時代の地理の授業のようだが、いろいろ写真を撮って歩くようになると、地理の勉強は意外に面白い。 リアス式海岸として有名なのは岩手県の三陸海岸。 日本地図で見ても岩手県の海岸線のほとんどがギザギザで、大きな製材鋸のようだ。 リアス式海岸は、地面の沈下によって、それまで陸地だった部分が水没し、山の中腹くらいが水面になったため、砂浜状の浅い部分がなく、そのままズドンと深くなっており、さらに、山の中腹の凸凹した感じがそのまま海岸線になったため、複雑な入り江を形成する。 暇な時に地図を見てみるとわかることだが、等高線(地図の同じ高さを線でつないだもの)は、海岸線に近い程間隔が広く、なめらかだが、標高が高い程複雑なラインを描き、間隔が狭くなる。 リアス式海岸は複雑な等高線がそのまま海岸線になったイメージだろう。 近いのは、ダム湖の形状。 無理して水をせき止めたダムは、リアス式海岸のような複雑な形状になる場合が多い。 ということで、古代、このあたりは急激に地面が沈下したことが分かる。 入り江の水深も深く、船の行き来の楽であり、波も穏やかであるため、カキや真珠の養殖にも適している。 写真を見ても、住居からさほど遠くない場所に筏が浮いている。 窓から筏の様子が見えるくらいの場所なのに、カキ筏を浮かべるに十分な深さがあるということなのだろう。 だから平地はほとんどない。 急な斜面に無理やり建てられた別荘の数々。 志摩あたりでは、こういった別荘が非常に多い。 緑の森に、カラフルな建物がアクセントになって、面白い風景ではある。 ちなみに、フィンランドなどの氷河による侵食によってできた複雑な入り江の海岸線は、フィヨルドというらしい。 以上、今日の内容は次のテストででるから復習しておくように。 一同、起立。礼!
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伊勢・志摩
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伊勢神宮の正式名称は「神宮」である。 内宮と言われる「皇大神宮」、外宮と言われる「豊受大神宮」の二つの正宮を中心に、別社、摂社などあわせて125の神社の総称だという。 伊勢参拝では、まずは外宮から参拝するのが習わしである。 最初の写真は外宮の手水舎。 新緑を水面に映ってひときわ美しい。 神社には必ず手洗い場がある。 これは、川で沐浴して身を清めた「禊」の形を簡略化したものだと言われる。 手を洗い、口をすすぐことで、神社にお参りする(神様に面会する)という心構えを作る効果もあるのだろう。 冷たい水で手を洗うと、身が引き締まる思いがするから不思議だ。 そして鳥居をくぐり、参拝に向かう。 外宮の落ち着いた雰囲気からすると、内宮は賑やかだ。 どうしても「観光地」という感は否みえない。 外宮から内宮へはタクシーで移動したのだが、運転手さんいわく、 「昔はこのあたりに女郎屋さんがいっぱいあって、1000人以上の遊女がいたらしい」 と教えてくれた。 そういえば、岡山の吉備津神社のそばにも歓楽街があったという話を聞いたことがある。 現代人の感覚からするとお伊勢参りに来て、遊女を買って遊んだのでは、清まったのか穢れたのか意味が分からないのだが、昔はおおらかだったということか・・・。 あいにく、伊勢神宮のシンボルである橋は架け替えの工事中だった。 橋を渡ってしばらく歩くと、右側に手水舎もあるが、その先を右側に下ると五十鈴川のほとりに御手洗場がある。 まさか沐浴はできないが、ここで手を洗って気持ちを引き締めて参拝に向かう。 清らかな水に新緑が移りこんで美しい。 こうしてみると、外宮の手水舎が、禊のための川の姿が形を変えたものだということが腑に落ちてくる。 「禊(みそぎ)」が済んだ、なんてことを言う。 罪穢れを落として、清い体になるという意味から、たとえば、国会議員がいろんな問題で辞任したあと、選挙で当選すると「禊が済んだ」と言ったりする。 「洗礼を受けた」という意味で「選挙」「芸能人の謹慎期間」などが「禊」と表現されるのだろう。 ただ、不思議なことに、禊という字は「しめすへん」に契約の契、「ちぎり」。 しめすへんは一般に、神様に関わることに使われるので、禊とはすなわち、神様との約束に他ならない。 そすると、禊は済ますものではなく、果たすものだということになる。 選挙が「禊」であるとすれば、国民との約束を果たすことこそ、本当の「禊」なのであって、それを果たすまでは「禊が済んだ」なんて軽々しく言ってほしくないものだ。 もうすぐ選挙になるが、口先の約束には騙されないように気をつけよう。
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夫婦岩に着いてみると、まだ5時半だというのにたくさんの人が御来光を見に来ていた。 その時はまだ、ぼんやりと強い明かりが雲間にあり、しっかりとした形にはなっていなかったが、次第に日輪の丸い形が姿を現し始めた。 太陽はすこしずつ高度をあげながら、はっきりとした輪郭を描き始め、それとともに、強い光を海に落とし始める。 海は金色に輝き始め、空間全体を包んでいた。 おそらく、太古の昔から同じように太陽は登り、人は思わず手を合わしたに違いない。 数えられないくらいの朝を迎え、そして今、自分自身がその太陽を拝んでいるということに深い感慨を覚える。 今日も朝が来た。 そして、これまで、一度たりとも朝の来ない夜はなかった。 人々は、明日も朝が来ることを当たり前だと思っている。 しかし、それは本当に当り前のことなのだろうか? 少しだけでも朝が来たことに感謝できれば、きっと素敵な一日が始まるに違いない。 調べてみると、日本各地に夫婦岩と名の付く岩があるようだ。 二つが一対になった形は、新しく命が生まれてくるための基本形なのだろう。 二つの岩の間にかけられた太い注連縄。 その注連縄をまたいで登ってくる太陽の姿は、まさしく新しい生命の誕生を連想させる。 この夫婦岩と注連縄は、沖合660mに沈んでいるという興玉神石の鳥居だと説明板に書いてあった。
夏至の前後には、夫婦岩と興玉神石と遠く富士山が一直線に結ばれ、富士山の背後から太陽が昇ってくるという。 なんとも、壮大なスケールの大自然のドラマだ。 |
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奈良で奈良公園を堪能した翌日。朝4時半起きして撮影しに行った写真です。 |
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