災害子ども支援ネットワークみやぎのブログ

東日本大震災で被災した子どもたちへの支援を行っています

震災日記

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イメージ 1毎年仙台七夕の期間(8月6〜8日)にメインストリート一番町に飾る竹飾りを作っている「みんなでつくる七夕プロジェクト」。いつもは子どもたちと作っているのですが、今年は被災した皆さんも一緒に作っていただこうと、今日は福田町南一丁目仮設住宅集会所で七夕づくりをしました。
10人ほどが参加して下さいましたが、手作業をしながらやはり話は地震や津波のことに及びます。実際に水につかった方のお話などは、聞いていてつらいものがありました。毎日手がけていた畑仕事がなくなってすることもないなどというお話もありました。
でも皆さんは、頑張ろうとご自分を励ましておられるようで、大きな声で笑ったり、冗談を言ったり、まぜっかえしたりと、にぎやかでした。同じ地域からいらしていることで、連帯感もあるのでしょう。
またあさって来ますと言ったら、「毎日でもきてけさいん」と言われてしまいました。七夕だけでなく、何かできるといいですね。考えてみます。
途中で、かぼちゃの煮物を作ってきてくださった方もありました。とても美味しかったです。
週末は「あすと長町」の仮設に行く予定です。
 
*写真に写ってているのはボランティアのみなさんです。

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地震発生からもうすぐ4か月になります。最近のみやぎの子どもたちの様子をおしらせします。
 
今学校は・・・
学校が避難所になっているところはだいぶ少なくなりましたが、校舎が流されてしまった学校の子どもたちが一緒に勉強しているところは過密状態です。また、応援メッセージなどがたくさん貼ってあったり、折り鶴が下がっていたりします。少し落ち着いた環境を取り戻すためには、それらを一か所にまとめるなどして、通常の学校の姿に戻してもらったほうが、子どもの心のケアに有効だと思いますので、関係者に考えていただきたいところです。
 
地震ごっこ・津波ごっこ・・・
地震や津波から遠かった地域の子どもたちにも、まだ地震ごっこ津波ごっこがみられます。そこに、津波を体験した子が被災地から避難してきていたりしますので、地震ごっこ・津波ごっこはやっても仕方のないことと学んではいるものの、先生方は、「やっぱり止めてはいけないんだろうか」と、被災した子の様子をはらはらしながらみています。
 
さびしい給食・・・
ほとんどの学校で給食が始まりましたが、給食センターが破損してしまった所は調理ができず、パンや牛乳、レトルトなどのおかず、パックのデザートなどで、カロリーは国の基準の7〜8割、ビタミンは10分の1という状況です。子どもたちは、「量が足りない、おかずらしいおかずが食べたい」と言います。まだ水が出ていない地域もありますので、お弁当をつくることもままなりません。
 
体力低下や栄養不足・・・
校庭や体育館を使えなかったり、廊下で体育をしているなどで、体力の低下が心配なのと、成長期に栄養不良で、今後の子どもたちが心配です。
 
夏休みの授業、熱中症も心配・・・
学校の新学期が始まるのが遅かったため、夏休みも授業を行う学校が多く、今年の夏休みは13日しか取れない学校もあります。暑い夏に学校で勉強をするため、学校では扇風機の寄付を呼び掛けています。
 
健康被害・・・
今被災地を悩ませているのは大量に発生しているハエ、がれきの中にあるアスベスト被害、さまざまな感染症。
放射能も心配で、給食があってもお弁当を持たせている保護者も出ています。
 
大人も大変ですが、子どもたちも大変! 一刻も早い復興を!!引き続きのご支援をよろしくお願いします。
 
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ゆうちょ銀行 02240−3−125954

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3か月がたちました

3か月たちましたが、まだ多くの方が避難所で過ごしておられます。先日石巻の避難所をいくつかたずねました。1か所は学校が避難所になっており、体育館・教室などで生活をしておられました。校庭では自衛隊が炊き出しをおこなっていました。校内いたるところに応援メッセージがはられ、千羽鶴などが飾られていました。まだまだ子どもたちが落ち着いて勉強をする雰囲気ではありません。被災した方たちが早く家をもって落ち着いた生活でき、子どもたちが学習環境を取り戻すことを願うのみでした。
他の避難所は、体育館だけが避難所になっていました。ボール紙で仕切りはありましたが、3か月もここで暮らすというのは本当に大変なことだと思います。子どもの数は少なかったのですが、せっかく持ってきたからと、学用品などを支援物資コーナーにおいたところ、たくさんの方が見に来てくださいました。聞けば、今度孫が来たときにあげたいとのことでした。これまでは、お小遣いなどもあげていたのでしょうが、何もあげるものがなくなってしまったみなさんの状況を考えると胸が痛みました。お孫さんたちが喜ぶ笑顔を見たら、少しは元気になってもらえるでしょうか。

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 今回の地震で、「あるべきものがない」生活は、とても大変でしたがどこかで懐かしさを感じる生活でもありました。子どもの頃、石巻の祖母の家へ行くと、まだ各家に水道がなく、鋳物のカギを持って外の共同水道に行き、鍵でひねって水栓を開けて水をくんだことを思い出しました。そのことがとてもめずらしく、水くみが楽しかったものです。今回の地震で水道が止まってしまい、近所の人が給水所に来て並び、順番を待つ間おしゃべりしている、こんなことも地震がなければありえませんでした。「井戸端会議」とはよく言ったものです。冷蔵庫に残っているものをなんとか工夫して調理し、食卓に並べたときの満足感は、普段忙しく生活している中で、調理をおろそかにしているときには味わえないものでした。電気がつかなければ出来ることは限られ、早々と寝て明るくなると目覚める生活で、自分がとても健康的になった気がしました。
 電気、ガス、水道が復旧すると、そんな生活は夢の中の世界のような気がするほど遠いものになってしまいました。でも、意識は確かに変わりました。あれだけの電気、あれだけの水で暮らすことは不可能ではないのです。原発事故のニュースを見るにつけ、こんなに電気を求めて、制御できないものにまで手を伸ばしてしまった人類の不幸を感じます。もう間に合わないのかもしれないけれど、もう一度、戻れるところまで戻ってやり直してみるのはどうでしょう。どこまで戻れるのかはわかりませんが、とりあえず、記憶のあるところまでは戻れるのではないでしょうか。そこからまた新たな方向へと手探りで進むしかないような気がしています。
 この震災は、多くの犠牲を払って、私たちにそのことを告げているのかもしれません。(つづく)
 

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2か月がたちました

5月11日に震災から2ヶ月目を迎えました。とても忙しかったのですが、時間が止まっていたような気もします。やっと通常の仕事に戻りつつ、被災地支援に明け暮れています。
先週、東京シューレの方たちに問われるままに、考えたことがあります。
私たちはこれまでとても便利で清潔で豊かな生活を送ってきました。今回の地震で、ライフラインが断たれたとき、いつでも連絡が取れるはずの家族や、仕事仲間との携帯がつながらず、安否の確認もとれないという、いいようのない不安と心細さがありました。携帯がだめなら会いに行こうと思っても、ガソリンが手に入らないので、気軽に車を動かすこともできませんでした。水が止まってしまい、食器を洗うことができなくなりました。水洗トイレも水無トイレになってしまいました。本当のことを言うと、ウォッシュレットが使えなかったのが一番こたえました。
電気はなくても何とかなりました。2日間ろうそくで過ごしたのは不便でしたが、炎で心が安らぐ面もありました。電気がなくても暖房が大丈夫だったのは、古い石油ストーブがあったからです。物置から引っ張り出して、灯油を入れると、それで煮炊きもできました。幸い、食料を買い込んだ直後の地震だったので、1週間は何も買わずに過ごしても平気でした。地震後数日して、食料を求める人の長い列ができましたが、並んでいるのは毎食こお弁当を買ったり外食をしているような若い人たちで、お年寄りはあまり見掛けませんでした。私の母をはじめ、家に何もないのを不安に思う世代です。こんな状態が長期化したら、強いのは高齢者のほうだったでしょう。日々の備えを怠ってはいけないことを痛感しました。また、宮城県沖地震が来る来るといわれながら、いざとなると懐中電灯やラジオの電池をさがすというはめになったことも大いに反省しました。(つづく)

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