昔六本木にMalpasoという飲み屋があった。カウンターだけのバーだが、キュートな
女性が5人くらいいた。カウンターは15席くらいで、丸椅子の間に折りたたみ椅子を置いて、
彼女たちは座って、お話の相手をした。
結構キュートで可愛い女性が多かった。みなアルバイトだ。今のようにキャバクラなどという
システムが出来上がる前で、まだ、それらの店のステータスがかなり低かったころ、こんな
お店はいくつもあった。
一つ違うのは時間性で値段を吊り上げられることがないかわりに、ママの裁量で値段がどうにでも
なっていたこと。会社ぐるみで使っていたりすると、給料順に請求額は違って当然だった。
僕はミドルクラス?なので、それなりの値段で請求がきた。
ママは18歳の頃からその店にいた。以前は別の店でバイトしていたので、高校時代から働いて
いたようだ。別に貧しいわけではなく、その種のバイトが好きだったようだ。
プライベートなことはあまり言わなかったが、浅草方面に実家があり、母親は有名な政治家の
妾だといっていた。その父親は六本木の別の店の常連で、その関係で彼女はそこでバイトして
いたようだ。
Malpasoはその店の分家のようなもので、元マスターが開いた店だった。彼女は雇われの従業員
(ホステスというとちょっと語弊がある。)第一号だった。でも、第二号は現れなかった。
というより必要ないくらい、彼女の存在感はExclusiveだったからだ。
小顔で小柄だが、はっきり物を言う、それでいて、いやみがなく笑顔を絶やさない。まゆ筋が
とおっていてしまった表情だった。お話は一見上品だが、下ネタもオッケイでさばけていた。
とてもチャーミングな女性だった。声はちょっと低音で威厳があった。
彼女には僕だけしかしらない秘密がいくつかあった。肺桔梗という奇病だったこと。ときどき
ほっさで息苦しくて、家にいて動けなくなるらしい。最近引っ越したこと。(最近と言っても
随分昔のこと)これには理由がある。
皆が知っている秘密は、浅草生まれで、妾の子で、三社祭ではみこしを担ぐ、威勢のよい女性。
浅草生まれの女性というのは、僕の周りに何人かいたが、皆粋でいなせで、結構お嬢様が多い。
しかもあそこにずっと住んでいるという家族は、彼女のようにちょっと訳ありというのが多い。
そのあたりが、彼女にエキゾチックなテーストを与えていた。彼女が22歳のとき、マスターは突然
六本木を離れ、店を彼女に譲っていなくなってしまった。彼女はそれ以来ひとりで店を切り盛りして
いた。女性の入れ替わりは結構激しかった。だいたいは若いアルバイトばかりだった。
その日も例によって、12時前にMalpasoに寄った。実は事前に店に電話をかけて、彼女が残っていて
店じまいしていないことを確認していた。携帯の番号を知っている客は数少ない。その中の
ひとりという重要な責任?を負っていた。
ドアを開けると、ちょっと安っぽい感じの「いらっっしゃい」の声。
案の定例の男が一人で飲んでいた。
その彼は芸術家風の風貌で酒はめっぽう強かった。その店には暗黙の了解があって、最後まで
残った客がママを送っていくことになっていた。ママは客と一緒に必ず飲むので、車は運転しない
主義だった。BMWに乗っていたが、仕事のある日は家に止めたままだ。
昔彼女は三宿の交差点を入ったところに住んでいたが、今は杉並に移っていた。
このことを知っているのは僕だけだった。何故なら、引越して以降、彼女を毎日送り届けていたのは
僕だけだったから。
実はその芸術家風のあんちゃんは、彼女のクレージーなファンで、三宿にいた頃付きまとわれた。
その当時ストーカーと言う言葉がはやりだしたころだったので、彼はリアルストーカー第一号で
そのために彼女は住処を変えた。
そして僕に電話があって、それ以来暫くの間(彼女がいいというまで)僕は毎日彼女を送るために
店に通ったわけだ。そんなわがままでも、聞いてあげたいような人だった。
その晩も僕が現れて暫くして、彼は帰っていった。
一度はタクシーでおっかけてきたことがあったが、僕は車を止めて、彼を制してからは、
素直になったようだ。でも未練がましく店には現れて、僕がいないことを確認してしつこく
つきまとっていたようだ。
いつものように彼女を自宅まで送った。ただ送るだけだ。彼女が下りるとき、軽く手を握り、
30秒は車を止めていた。手首の血管から彼女の鼓動を確認した。今日は肺はおとなしそうだ。
「大丈夫ひとりで寝れるよ。」と声をかけると、店では決して見せない不安そうな顔で
下りていった。
車の陰が見えなくなるまで、彼女は暗闇にたたづんでいた。軽く深呼吸をして歩いていく。
僕は歩き始めるのを確認するまでは、バックミラーから目を話さなかった。
ある日を境に彼女は店にあまり現れなくなった。店は新しい女の子たちでどうにかこうにか
回っていた。現金で払う人はまれなので、あまり心配はなかったようだ。
そのかわりつけは効かなくなってカードだけになった。
暫くすると店の屋号が突然変わり経営者も変わった。
どうしたと電話してみると「大家さんと支払いのことでもめてね。」「裁判沙汰になったの。」
とのことだった。大概のことは助けてやれたが、纏まった金だけは当時の僕にはどうにも
できなかった。
彼女を守れなかった僕は、彼女のフィールドから去る決意をした。最後に電話して、もう電話
はしない旨伝えた。「もう左ハンドルを運転することはないんだ。」と告げるとかすかに
心もとなげな声が聞こえた気がした。「そういえば、僕のつけが少し残っていたね。」
「いいの、払ってくれなくて。貴方の名前を消したくないからね。」
天気の悪い日は電話をかける。今でもそうだ。
電話番号は今も変わっていない。でも電話口にでて、彼女の声を確認したら、何も言わずに切る。
お互い生きている証だけを確かめ合うように。
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