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最近、上座部仏教(南方仏教)のスリランカの高僧スマナサーラ師の書籍が、数多く出版され、テレビにも出演されたのをきっかけに、読者や聴講者、瞑想会への参加者が増えているようで、ウェブや書店などでも話題になっています。
古来より長老派仏教の伝統をしっかりと継承し、シンプルかつ理知的で現代人の論理的思考にも訴えるものがあるようです。南方仏典は特に、記録として最古層のものが多く含まれていて、大乗仏教に阿含経として継承されている記録よりも、多岐にわたっており、記録漏れも少ないようで、仏教学者には、仏陀(釈尊)の生の言葉にかなり近いのではないかと考えられているようです。(大乗経典との兼ね合いはまた時を見てコメントしたいと思います。)
スリランカから来日され、駒澤大学の大学院で修士号も取得されたスマナサーラ師は、禅に関する見識も大変深いそうで、師が主催されている「日本テーラワーダ仏教協会」にも曹洞宗や真宗などのご住職がたの賛同者や帰依者もいらっしゃるようです。
私も、その著書の、いわゆる原始仏教や仏教教理に関して、やさしく分かり易く現代語で説かれている点に好感を持ち、仏教理解の一助ということで、何冊かを読み、勉強させて頂きました。
上座部仏教で行う座禅はヴィパッサナー瞑想と言いますが、大乗仏教にも伝わった「止観」のことで、ヴィパッサナーとサマタ(いわゆる止観のこと。止=サマタ。観=ヴィパッサナー)と呼んで、ヴィパッサナー(観)で、仏教で言う、無常の真理をあるがままに観察できるようになるために、サマタ(止)で集中力を鍛えるとのことで、サマタ瞑想は補助的な瞑想だそうです。
私が気になったのは、スマナサーラ師が、その瞑想を説明する際に、他の宗派や宗教で行われている瞑想や座禅と比較して、日本に伝わっている禅宗で行っている坐禅も、単に集中して、無意識状態、いわゆる法悦やサマーディの状態を得るためのものでしかなく、ヴィパッサナー(観)では無い、と述べられており、これは、坐禅の本質を誤って伝えるものではないのかという点です。
禅の世界では、単なる集中や無意識状態に留まってしまうことを強く戒めており、スマナサーラ師の説明には当たらないと思います。
そのような集中や法悦状態に留まって、自己満足に陥った禅者のことを古来から、穴倉坊主とか死穿禅や立ち枯れ禅などなど、禅のめざす悟りの境地からは程遠いということを戒めるための言葉には事欠かないと思います。
皆さんも、スマナサーラ師の本などで、坐禅に対する説明に出会ったら、鵜呑みにせず、事実と照らし合わせて見てください。
坐禅では、今、ここの、あるがままを真に体現していることに、気づくこと「腕は内側に曲がらない」ことを納得すること、などがその悟りの中に含まれる要素のうちのいくつかの部分のようであり、決して、ただ単に無意識状態になったり、集中状態を目指したり、超能力をえる修行などではないということです。
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長々やっているので、まとめます。
・戦争するのは悪い
・スリランカは2009年まで26年も内戦していた
・内戦は仏教とイスラム教の戦い
・スリランカ最大の仏教勢力はシャム派である
・シャム派は江戸時代にシャム(タイ)から渡ってきた派
・それまでに伝統的なスリランカ仏教が根絶している
・仏教なのにカースト制度がある
こういう所から遣わされた人が、
・初期仏教だ!
・伝統的だ!
・大乗仏教は仏陀本来の教えからの逸脱!
とか偉そうに能書きを垂れると、
・アルボムッレ上祐
と呼ばれて当然だと思います。
私の言ってる事が本当かどうかは、各自で、お調べになって下さいね。
#どうしてタイから渡った仏教を伝統的とカウントしないかは、タイの仏教はビルマから渡ったもので
#ビルマは元々が大乗国で、スリランカに戦争を仕掛けて坊さんを大量に拉致して上座部にした国
#上座部って伝統的に戦争して仏教を、ぶんどるのが正統だとすれば、正統な伝統だけど、そういうもの?
2011/1/6(木) 午後 3:38 [ のざわ ]
以下は外務省のスリランカ内戦の資料です。イデオロギー無しなので読み易いと思います。
と言うか少し宗教色の掛かったサイトだと、それこそボロクソなんで。。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol40/index.html
「いけとしいけるものが幸せでありますように」とか言いながら、北海道よりちょい小さい島で
7万人以上を空爆などで殺しています。
超おっかないイスラム原理主義ゲリラを、武力で正面から、完璧にねじ伏せた図。
現大統領も、その家系も、みなさん優秀な仏教徒。
こういうのこそ仏教の基本的な精神から強く逸脱してると思うのですけどね?
現地でさえこんななのに、こんなところから来た人の話を聞けば、何か良い事あるんかしら?
2011/1/8(土) 午前 4:38 [ のざわ ]
>イスラム原理主義ゲリラを
これは間違いですね。正しくはヒンズー原理主義です。訂正しておきます。
2CHを見ていると件のスリランカ人は結構批判されていますけど、どうも批判の核心を付いていないように思います。
この人の仏教の最大の問題点は、要するに当の本人に全く効き目が無い所です。
宗教ビジネスしたくて一所懸命ににウソッパチを並べ、馬鹿な人達が騙されて来たのだろうけど、ウソッパチなのはご本人が一番良く知ってるわけで、ビジネス規模は拡大しても、これでは本人に何か有効な効果が現れる筈も無いわけです。
本人にさえ効果が出ないし、出るはずも無い所の信者をやるのは、もっと馬鹿らしいって考えるのは、結構合理的だと思うのですけどね?
つか、ここの信者は創価学会の連中より、はっきりと嫌いです。
2011/5/5(木) 午前 11:06 [ のざわ ]
>ここの信者は創価学会の連中より、はっきりと嫌いです。
なぜ嫌うのか?って、私がここに書いている事くらいは、あそこの信者の大半は知っているわけです。
インチキだと判ったのでヤメると言うなら良識がある話だと思うのだけど、インチキと知りつつ体質改善もせずに、仲間を増やそうと言うのだから、やはり基本が相当悪質な話だと思います。
勿論、なかには盲信しててインチキを見分けられない人も居るとは思うのだけど、割合から言えば、大半はインチキを知った上でインチキの推進の片棒を担いでいる人らの集まりに見えるのですが、違うのでしょうか?
100%件のスリランカ人だけが悪いと言っている訳でもなく、こういう自明な所がありながら全く修正せずにトリマキをやってる連中なんかは本当に許しがたいくらい悪質だと思っています。
まぁ、所詮インチキな新興宗教のプロパガンダですからと言われれば、仕方ないようにも思いますけどね。
2011/5/5(木) 午前 11:59 [ のざわ ]
もうひとつ決定的な事を、はっきりさせて置くとね。
南アジアの宗教は、どれひとつ伝統的では無いと言うこと。
どうしてかと言えば、南アジアは長いこと植民地だったわけで、宗教なんかやっていたら、それこそ殺されちゃうような所だったから。
やってたとしても、ほんと隠れキリシタンみたいに、ショボショボとした歴史だったわけ。
たとえば上座部の瞑想は、「パオ式」が「伝統的だ」と言うのも正確に言えば間違いで、「伝統的だった」と過去形で言うのが正しいです。
もし当たり前に上座部に瞑想の伝統が継承されているのであれば、「清浄道論」に忠実な瞑想なんて謳う筈も無いわけです。
ようするにスリランカの瞑想をビルマの現代人が正確なレプリカ瞑想として復刻させましたと言う話。
けど、これも瞑想に伝統が無いだけでは無く、仏教を含む文化そのものに伝統の継承が無いってのが実態なわけです。
2011/5/5(木) 午後 5:52 [ のざわ ]
江戸時代に起こり植民地開放後の60年前くらいから活性化したスリランカの新興仏教を初期仏教だ部派仏教だと吹聴し、これまた植民地後にビルマで出てきた、ぽっと出の現代瞑想を仏陀の瞑想と呼ぶのは、誰がみても誇大広告そのものでしょう?
日本の既存の仏教は、あれこれ綻びもありダメっぽいのは事実でも、こんなに明らかに詐欺紛いの欠陥商品を誇大広告するのは、もっと格段と劣悪な話なわけです。
それでもまだ件のスリランカ人に加担して、日本人を騙すのが楽しいのでしょうかね?
これじゃ、良い死に方は出来ないと思うけどな。。(ぼそ
2011/5/6(金) 午後 3:08 [ のざわ ]
あともうひとつ付け加えて置くけど、少なくとも日本の上座部仏教は、どれもこれもカス仏教でしかありません。
件のスリランカ人だけが悪いと思ってる人も多いようですが、じゃどうしてこんな輩が、のさばっているのかと言えば、他も単純にカスしか居ないから。
いや、そんなこたーないぞってのなら、キチンと、こういうインチキなスリランカ人を諫めて欲しいものです。
結局それが出来ないのは、付和雷同のカスしか居ないから。
始めから恥も外聞もある話では無いわけです。
さて、ちがうのかしらね??
2011/5/6(金) 午後 5:48 [ のざわ ]
ええと、何をもって上座部とくくって良いかは律によって、くくるんです。
パーリ律さえ採用していれば、後はカーストだろうが、内戦しようが、法王に説教食らおうが、一切無関係に上座部仏教です。
暴力団でもパーリ律を採用すれば、十分に上座部仏教になるのだろうと思います。
実質そういう仏教です。
2011/5/24(火) 午後 2:08 [ のざわ ]
>パーリ律を採用すれば、十分に上座部仏教になるのだろう
日本に来ると、部派仏教になったり、初期仏教になったりも、するようですけどね。。(ぼそ
2011/5/24(火) 午後 2:10 [ のざわ ]
>また、直説やら、初期仏教やらの言葉に拘ってる人がいる。
そうやってインチキな営業を続ける坊主や、その取り巻きのほうが問題あると思うんですけどね?
>自分解釈に拘って自分の生み出した幻像と喧嘩してる面白い人。
wikipediaの[スマナサーラ]や[シャム派]のノートはご覧になってますか?
2011/5/24(火) 午後 3:57 [ のざわ ]
>どこから来たかよりどこへ行くか
上座部仏教を初期仏教と偽ると地獄に行くんじゃないでしょうかね?w
2011/5/24(火) 午後 6:43 [ のざわ ]
>上座部仏教を初期仏教と偽る
結局なにが問題なのか:
「のりたま」こそが、最も正しい「たまご」だと言うのは異常。
1)「のりたま」は、混ぜモノも入っているが、本当のたまごも少し使われている。
ここまではあながち嘘とも言えない話。ただしそんなのは、どの仏教でも似たようなもの。
2)「のりたま」こそが、たまごの王道である。
いつのまにか、のりたまが最高級たまごと言う話にすり変わる。
3)「のりたま」以外の、たまごは邪道である。
ここまで来た上に、こういう夜郎自大な思い上がりの活動を、いつまでも続けるから批判され続けるし、ここの信者はアホでは無いか?と言われる由縁。
また、こういう事を言い続け、人を騙し続ける輩の将来は地獄に決まってるんじゃないか?と思うのだが、どこかオカシイですかね?
2011/5/26(木) 午前 4:32 [ のざわ ]
そもそもどうして、このスリランカ人は、こうも簡単な論理的な破綻をきたしたまま夜郎自大な活動を続けるのか?って、判っていますか?
要するに彼のやってることは宗教のコスプレではあって宗教とくに仏教理念の反対にある単なる思い込みをベースに仏教論理で飾っただけのものだから仕方が無いんです。
同時に、あれを見て宗教と思うくらい日本人の宗教観は疲弊していて、どうもならない実態があるわけです。
ちょうど忍者ごっこの好きなアメリカ人みたいな人達が信者をするから、いつまでたっても騙されているのに気がつかない。
ああこう言う前に、一目でインチキだと判らない時点で、言っても無駄なんでしょう。
これからも騙される人が増えませんように。
2011/5/30(月) 午前 9:43 [ のざわ ]
補足:
このスリランカ人の般若心経批判について、あれこれ書かれたのを見て批判が間違っているのでは?と思うので追記しておきます。
まずどうして、色即是空に続いて空即是色が出てくるかと言うと、これは同時性を言っているわけです。
分子と原子の関係で言えば、分子は原子で構成され、原子は分子を構成している。
これと同じで色と空が同時に起きているよと言う話。どこもオカシクないでしょう?まぁ現代人には当たり前過ぎる話ですよね?
ところがポンコツなテーラワーダ仏教だと、実はこれはオカシイ事なんですw
この世は全て色しかなくて、色が空になりたいなら、人間サマに生まれ修行を完成させ、そこから3〜7回程度の輪廻をしないと空になれない教えなんですw
また空が色になることはありえません。お釈迦様は二度と地上には生まれ変わらない教えなんですw
ですから本当はあそこの教えだと色即是空もマチガイで色即{修行完成+輪廻7回}是空がタダシイ教えなのだから、まぁそう勘違いしたのでしょうw
よそにケンカを売るのは構いませんが、まず自分とこのを学んでからにして欲しいものです
2012/1/24(火) 午前 10:05 [ のざわ ]
補足2:
スリランカ人は宇宙は不満の現れであると言ったとか言わなかったとか言う批判もマトを外しています。
テーラワーダは、名色論を中心に理論構成されているので、元素である地水火風の全てが苦なのだから、当然宇宙も苦でタダシイわけです。
一切は苦は正しいか?と聞かれれば、これも一切が地水火風な、テーラワーダでは当然正しいわけです。
もちろんここで、空が入れば、一切は苦では無くなるわけですが、ポンコツなテーラワーダ仏教での話なのでね?と言う事。
そう言えば、スリランカ人の、ご本人様も不満の現れのように、見えますけどね。。(ぼそぼそ
2012/1/28(土) 午後 7:27 [ のざわ ]
補足3:
なるほど名色論とか言う教えが悪いのであって、それをスリランカ人が伝えるから、こんな事になるのか?とは思わないで下さいね。
別に名色論が悪いのでは無く、名色論だけがタダシイとする「唯」名色論が実質のテーラワーダの教理なので、こんな事になるわけです。
勿論、名色論的に的確に表現出来る事も多くありますが、これだけでは不十分な所もあり、不十分な所も何が何でも名色論の範疇に収めようとするのがテーラワーダの根本的な姿勢なわけで、これを絶対に崩さないわけです。
2012/2/6(月) 午後 2:57 [ のざわ ]
補足4:
笑ってしまうのは例えば慈悲で、大乗であれば、空と言うエレメントを持っている為、慈悲は空からの視点つまり空即是色の事ですよと言えば一発で終わる話が、「唯」名色論なテーラワーダは、名色で慈悲を説明しないといけなくなり、よせばいいのに、またそれをやってしまうわけです。
ところで一切は苦の名色に慈悲を頂いて、なにか有難いんですかね?とは全く思いもしないところが「唯」名色論のアホくささの真髄でもあります。
所詮は教えなんだし、ある程度の役に立てば、それでいいやとしておけば、「唯」名色論でも、さほど悪くも無いのかも知れませんが、「唯」名色論だけがタダシクしかもカンペキよ?と理論武装までしてやるから、やっぱりこいつら心底アホくさい奴らだなぁとなるわけで。
一切は苦しか無い奴に、幸せでありますようにって言われて何か嬉しいですかw
これって呪いの瞑想って言う奴でしたっけ?w
2012/2/6(月) 午後 4:35 [ のざわ ]
補足5:
もっと笑ってしまうのは、波羅蜜なんかかも知れないですね。一切は苦の名色だけならば積んだ波羅蜜も結局は苦なわけで、こんなもの幾ら積んでも仕方ないのでは無いですかね?
そうだとしたら何故修行したり戒律を守るのか、さっぱり判らなくなるわけですw
と言うか苦と言う波羅蜜が積まれていけば、なぜ解脱に向かうのか原理が、わかりませんw
こういう事を言えば、また名色だけで説明しようとするから困るわけだけど、こんな教えって結局ありがたいのですかね?
まぁ有難いって人も居るってのは否定しませんよ。
苦に慈悲を掛けて貰って素直に喜べて、積んだ波羅蜜も全部苦になっても構わなければ、とっくに悟ってる人かも知れませんからねw
さて、そろそろホントに終わりにします。皆様、管理人様、ありがとうございました。
2012/2/6(月) 午後 4:37 [ のざわ ]
馬鹿みたい。
ヴィパッサナー瞑想でも座禅でもやってみて・・・
実に馬鹿らしい言い争いだと悟るでしょう。
般若心経がどうのこうの・・・細かい意味なんてどうでもいいと思います。言いたいことは一つなんですから。
スマサナーラ師にしろ日本のしっかりしたお坊さんは立派です。
無常なんですよ。
2013/5/23(木) 午後 0:36 [ 早朝 ]
スマナサーラさんは只管打坐を理解できていないのでしょうか。?分かりませんが。
ともあれ、悟りという表現は使わない方が良いと思います。坐禅集中から生まれる特殊体験と早合点されますから。
臨済禅はべつとして
2016/11/29(火) 午前 9:06 [ kar***** ]