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道元禅師の学道用心集の紹介も今回で、四回目、本日は、第四章です。 「『有所得の心を用って仏法を修すべからざる事』 右、仏法修行は、必ず先達の真訣をうけて、私の用心を用いざるか。いわんや仏法は有心を以って 得べからず、無心を以って得べからず、ただ、操行の心と道と符合せざれば、身心未だかつて安寧 ならざれば、身心安楽ならず。身心安楽ならざれば、道を証するに荊棘生ず。」 ●これから坐禅してみよう、仏教というものを勉強してみようという人は、 この道元禅師のことばを重く受け止めて、しっかり理解することが大切だと思います。 禅師は、「何か、自分の物欲、や名誉欲を満たしたいなどという気持ちで修行しないように。」 と、はっきりと明確に断っています。 仏道修行は、まずこれという仏道の先達、つまり、明眼の正師から真の修行の要諦を聞いて、 自己流の考えだけで修行の道筋としてしまわないことと、注意されています。 有る程度、本や、ネットなどで坐り方が分かったら、 縁に従って仏道の「眼」のある(「悟り」を得た)指導者を探して、修行の心得や方向性を 示していただく必要性を強調されています。 そうすれば、下心や世間体などの、有心でもなく、ことさらに道を求める心までも捨てようと するような、無心を以ってしても修行を極めることはできないし、 さらに、修行を行う動機や心持ち、また坐禅修行そのものが、仏道・仏法に適ったものでなければ 心身ともにこれで、安心だという境地をおのずから受けが得ることができない。と言います。 坐禅を行じていく際、できるだけ早い時期から眼の明らかな正しい師に就くことが大切です。 そして、修行の動機、心持、坐禅修行そのものが、正しい方向性に適っていないと、 荊棘(けいきょく)、すなわち、障害が生じやすいと続きます。 つまり、動機が不純なものであればあるほど、道がそれて行きやすいということですね。 本文は、さらに 「いわゆる操業と道と合せんには、如何が行履せん。心名利無きなり。 仏法修行は是れ、人の為に修せず。今世人のごときは、仏法修行の人、その心、道と遠うして遠し。 もし、人賞玩すれば、たとい非道と知るもすなわち、之を修行す、若し恭敬賛嘆せざれば、 是れ、正道と雖も棄てて修せず。痛ましきかな。」 ●道元禅師は、「では、道に適った修行とはどのようにするべきか、それは、名誉心や利得・欲得の心 を修行の動機としないこと。」と言います。禅師の同時代にも、名誉欲や出世欲、名声を望むがゆえに 僧になる人が少なからずいたようで、禅師は、「人が喝采するようなことであれば、間違っていると 知っていながらも行うのに、人が褒めないこと、世間の関心がないことに関しては、それが正しい ことであってもこれを行おうとはしない。なんと痛ましいことか。」と、そのような惨状を嘆いて おられたようです。 さらに本文では、 「汝ら、試みに心を静かにして観察せよ。この心行、仏法とせんや、仏法にあらずとせんや。 恥ずべし、恥ずべし、聖眼の照らすところ。それ仏法修行は、なお自身のためにせず、いわんや、 名聞利養のためにこれを修せんや、ただ仏法のために之を修すべきなり。 諸仏慈悲、衆生を哀愍するは、自身のためにせず、他人のためにせず、唯、仏法の常なり。 見ずや、小虫畜類すらその子を養育するに、身心艱難、経営苦心して、畢竟長養するも、父母において ついに益なきをや。しかれども子を思うの慈悲、小物すら尚しかり、自ら諸仏の衆生を思うに似たり。 諸仏の妙法はただ慈悲一条のみにあらず、あまねく諸門に現ずれども、その本みなしかり。 すでに仏子たり、なんぞ仏風にならわざる。」 ●禅師曰く、諸君、このような心持ちや動機を仏法と言っていいかどうか、静かに反省してみなさい。 そして、清らかな心眼を以ってそのようなことは、大いに恥ずかしいことであると反省すべきである。 仏道修行というものは、自分のためだけにするものではないとされている、それなのに名誉欲や、 人に良い印象を与えたいだとか、何か得することがないかという気持ちではなく、ただただ、仏法 のために修行をするという心持ちで行うべきである。諸仏が衆生、すべての存在を慈しみ、哀れむ 心のもとは、自分自身のためでも他人のためでもなく、これは仏法ではあたりまえのことなのです。 小さな虫や動物ですら、子供を苦労して育てても成長して親元を離れればなんの特にもならない のに、子供を思う慈悲心はこのような小さな生き物ですらこのように、諸仏の生きとし、生けるもの への慈悲に同じく、自らの利得を本としていない。諸仏のおしえは、慈悲だけではなく、色々な 法門 − 教えの道が、あるが、根本はすべてこのようである。仏の教えを信じ、すでに、 仏の子(仏道修行者)となった諸君であるのだから、どうして御仏の教風にしたがわないということが あろうか。 そして、この章の最後のくだりです、 「行者自身のために仏法を修すと思うべからず、名利のために仏法を修すべからず、果報を得ん がために仏法を修すべからず、霊験を得んがために仏法を修すべからず。 ただ、仏法のために仏法を修す、すなわち是れ道なり。」 ●道元禅師は、最後にこの章をまとめて、こう書いています。修行者自身のために修行すると思っては いけない。名声・名誉や利益を得ようと思って修行してはいけない。修行してその良い報いを 得たいと思って修行すべきではなく、超能力や神仏に祈って得られる不思議な現象を得るために 修行してはいけない。ただ、仏法のために仏法を修することが、道なのだ。と。 禅師は、仏法のために仏法を修行するとおっしゃっています。これは、前の段にあったように、 慈悲の心で修行するのは当たり前だという前提でおっしゃっています。 つまり、仏法をあきらめるために修行をしなさい。それがひいては、あたりまえのこととして、 衆生:生きとし生けるもののためになる、とこうおっしゃっているように思われます。 仏教の「四求請願」に「衆生無辺請願度(生きとし生けるものは無数だが、なんとかすべての存在 を救うことを誓う)」という途轍もない誓いのことばがありますが、このような心持で 慈悲のこころを持って修行を行うことは、あたり前のことということだと思います。 中には、禅はかっこいいから、とか超能力が得られるかもとか、悟れば超能力者のような 特別な存在になれるなどと、思って坐禅をはじめる人がいるかも知れませんが、 まずは、そのような心持をすべて棄ててしまって、坐禅にむかいなさいよ、ということでしょう。 (テキストは大法輪閣「澤木興道 学道用心集講話」を参考にしています。) |
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こういうことを言わないといけないような仏教界の現実があった、ということなのでしょうね。嘆かわしいことですね。そしてこれは、現代にも通じますよね。
仏法の目的は悟りを得ることのみであり、その悟りとは、個人の名誉とか、何らかの俗世の価値を得るためのものではない。
真の心の安寧を求めるものであり、それは俗世の価値観によっては絶対に達成されない。
慈悲の心は、悟りを目指す者に当然のものであり、それを持ち実践することは、何ら特別なことではない。それをもって俗世の価値を得ようとするものではない。
悟りを信じてそれを目指すことを決めたからには、ただ、悟りのためだけに修行せよ。
悟りとは、俗世の欲を満足させるためのものではない。
それを満足させようとして、悟りを目指すと、修行は失敗する。
最後には、何ものかを得ようとする心は、たとえそれが悟りに対するものであっても、それは悟りとは相容れないことを知るに至る。
そこが悟り、とそんな気がしています。
2007/7/9(月) 午前 0:35 [ mag**iok ]
magagiokさん、お返事遅くなってすみません。仕事の山場が重なりなかなかブログを開けませんでした。このまま、あるがままで全てが片付いている、と悟ることが『悟り』であれば、このまま、あるがままが嫌だと言って「このまま、あるがまま」以外の価値やどこか他にある「悟り」というものを求めることは正反対であるということでしょうね。盤珪禅師のお言葉に「不生の仏心になれとはいわず、ただ不生の仏心のままであれということ」というものがありますがこのことは大いに重なるのではないでしょうか。
2007/7/26(木) 午後 9:54
最近、尽十方界真実人体、という言葉を知りました。
それでちょっと納得できたような気がしました。
人は、あれこれ思考して思い悩むが、そもそも、この宇宙の真実とは、その結晶は、この肉体であり、あれこれ思い悩む精神ではない、宇宙の真実たるこの肉体を、そのままに生きる、あれこれ考えない、それが禅、ということだと理解しました。
考えようと、考えまいと、肉体は、そのものを生きていく、それこそが真実。
そう考えると、なるほど、と思います。
ただ、あれこれ考えない、これは本当に難しいですよね。
2007/7/27(金) 午後 6:29 [ mag**iok ]
magagiokさん、こんばんは。私は解釈できるほどのものを持ち合わせていませんが、「あれこれ考えない」ことが難しいということは同感ですね。是非、是非、坐禅に参じていただいて、継続していただきたいと思います。もし、もうはじめられていらっしゃったら「百不当の一老」を目指してお互い頑張って修行していきましょう^^
2007/7/29(日) 午後 11:55
「百不当の一老」という言葉を初めて知りました。さっそく意味を調べました。
なるほど、ですね。
ありがとうございました。
2007/8/2(木) 午後 1:45 [ mag**iok ]
magagiok さんいつもコメントありがとうございます^^私の紹介させて頂いたことがなにかしら参考にして頂けて非常に嬉しい限りです。こちらこそありがとうございます。
2007/8/12(日) 午後 3:51