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今日は「西院野々宮神社」のご紹介をします。 「ののみや神社」というと、『る○るぶ』などの『京都観光ガイドブック』で『えんむすびの神様』として『嵯峨の野宮神社』が有名ですが、「ののみや神社」は全国に何ヶ所かお祀りされていて、 『野々宮』『野宮』と2種類の名称がありますが、どちらも「ののみや」と読みます。 「西院野々宮神社」は「西院春日神社」の北西1キロの所にあり、「西院春日神社」の宮司・米川家(よねかわ)が「西院野々宮神社」の宮司を代々兼任しています。(ややこしい・・・) お祀りされている神様は、 『倭姫命』(やまとひめのみこと)と『布勢内親王』(ふせないしんのう)の2柱(ふたはしら) ※神様は、1人・2人ではなく、“はしら”と数えます) ご利益(ごりやく)は、 『心願成就』(しんがん じょうじゅ) と 『女人守護』(にょにん しゅご) 心願成就とは、心の中で大切にしているお願い事『一つだけ』をかなえて下さる事。 女人守護とは、わかりやすくいうと「女性の味方」という意味です。 2柱の神様はともに、伊勢神宮に斎王(さいおう=天皇の代理として伊勢神宮の神様にお仕えされる皇族のことで、「神主さん」と「巫女さん」を足して2で割ったような役目・・・?詳しくはネットで調べてください)としてお仕えされた方です。 倭姫命(やまとひめのみこと)は垂仁(すいにん)天皇のお姫様で、「初代の斎王」をつとめられ、 布勢内親王(ふせないしんのう)は桓武(かんむ)天皇のお姫様で、平安京に都が遷されてからの「最初の斎王」です。 「ののみや」とは、平安時代に斎王に選ばれた皇女(こうじょ=天皇のお姫様)が伊勢へ行かれるまでの間、心身を清め、斎王としての勉強をされる御殿の事で、京都の郊外の清らかな場所に御殿を建てる習慣がありました。 「西院の野々宮」は、全国にある「野々宮」「野宮」の地名・神社名の『発祥の地』で、最も古い「野々宮神社」です。 いわば『元祖・ののみや』です。 西院野々宮の歴史は、 布勢内親王が延暦16年(797)8月21日に、 雅子内親王(まさこないしんのう=醍醐天皇の皇女)が 承平2年(932)9月10日にそれぞれこの地に建てられた「野々宮」にお入りになり、 伊勢神宮へ行かれるまで過ごされました。 10月の「西院 春日祭」には「西院春日神社」の御旅所とされ、 春日神社の神輿2基が1000人にもおよぶ行列を組んで、こちらまで来られます。 正殿(せいでん=本殿のこと)は、安永4年(1774)11月28日に、賢所(かしどころ=宮中にある神殿)を頂いて作られたものです。 昭和初期までは、 「黒木鳥居」(くろぎとりい=木の皮をつけたままの木材で作った鳥居)や「柴垣」(しばがき=木の小枝を組んで作った垣根)、板垣(いたがき)をめぐらせた「典型的な野々宮」でした。 昔の「西院野々宮神社」 毎年4月1日には「野々宮祭」が行われています。 「野々宮祭」の「御前神楽」 普段「神職」は不在で、「鏡の御印」(かがみのみしるし)とよばれる「御朱印」は「西院春日神社」で受けていただいております。 ちなみに正式名称は 「西四条斎宮 西院野々宮神社」(にししじょうさいぐう さいいん ののみやじんじゃ)です。 念のため、
「嵯峨の野宮神社」とは別の神社です。 お間違えのないように・・・・・ |

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初めまして、野々宮と言うのは斎宮お一人毎の宮として作られて、伊勢に出仕された後には野々宮は壊されると聞いておりますが、如何なものなんでしょう。
2007/7/24(火) 午後 8:12
コメントを頂き有難うございます。
ご指摘の通り、野々宮は斎宮さんが伊勢へ下向されたのちに取り払われるきまりですが、その跡地は「聖跡」として、当時の人々が大切に守っていたようです。京都市内には「西院」をはじめ「嵯峨野」「有栖川」などに、野々宮跡地として後世「神殿」が造営されて、「神社」として現存しています。西院野々宮神社も、雅子内親王がご下向された後に野々宮が取り払われ、その後改めてご創建されたと思われます。まだまだ勉強不足ですので、これを期に勉強します。
2007/7/25(水) 午後 11:22
斎王 斎院のコメント・情報ありがとうございます。 花盛りの京都、歴史満載で素晴らしいブログですね。 斎院は、潔斎のできる場所でしょうから清い川や泉、井戸などがあるのでしょうか? 伊勢に限らず歴史を残すと言うことって難しいですよね。 機会を見つけて伺いたく思っております。 ありがとうございました。お気に入り入れていきます。
2008/3/31(月) 午前 9:54
てっつんさま。
こちらのほうこそお立ち寄りいただき、お気に入り登録までしていただきまして有難く存じます。
当宮の付近はかなり地形が変化し、当時の禊川は姿を消しておりますが、地名には「清水町」「貝川町」「中水町」と名残をとどめております。また、機会がおありでしたら是非お参り下さい。
2008/4/7(月) 午後 7:25