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四月一日は、十一時から野々宮神社で野々宮祭が行われます。
西四条斎宮(にししじょう さいくう)とも呼ばれる
西院野々宮神社は、
御祭神は
倭姫命(やまとひめのみこと) 垂仁天皇の皇女
布勢内親王(ふせ ないしんのう) 桓武天皇の皇女
をおつりし
御祭神は共に、天皇の代理として伊勢神宮にお仕えされた方です。
この地は、平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間、
心身を清められるための潔斎所である「野々宮」が築かれた聖地で、
各地に残る「野々宮」(野宮)の名称はこの地が発祥とされています。
延暦十六年(七九七)八月二十一日に布勢内親王が、
承平二年(九三二)九月十日には雅子内親王(醍醐天皇皇女)がそれぞれ野々宮にお入りになり、伊勢御へ行かれるまでの間を世俗からはなれてこの地で過ごされました。
匂い薄く咲ける花をも君がため
折とじをればいろまさりけり
この歌は「玉葉和歌集」に記された藤原敦忠と、西四条の斎宮と称された雅子内親王の歌で、
また、小倉百人一首には雅子内親王を想い敦忠が詠んだ
あひみての後の心にくらぶれば
昔はものを思わざりけり
の一首がおさめられています。
平安時代以後になって、天照大御神を伊勢の地に奉祀された倭姫命の御聖徳と、
慈悲淑徳の誉れ高き布勢内親王を偲び「西院・野々宮神社」が創建されて以来、
皇室をはじめ公家・庶民にいたるまで広く崇敬を集めてまいりました。
江戸時代以降は、「西院春日神社」の御旅所とされ、十月の春日祭には天皇の御使いをはじめ多くの公家が参列し、現在でも十月第二日曜には、春日神社の神輿二基が千人にもおよぶ供奉を従えて渡御され、春日神社宮司斎主のもとに祭典が営まれます。
社殿は、安永四年(一七七四)十一月二十八日に後桃園天皇より、
宮中の賢所(かしこどころ)の建物を拝領して造営されたものです。
古くは機織の守護神とされ織女の信仰厚く、後には御祭神の徳を偲んで、広く女人の守り神として女性の崇敬をあつめております。
昭和二十年以前は、広大な敷地に「黒木鳥居」や「小柴垣」「板垣」を張り巡らしたたいそう立派な社殿でしたが、台風で崩れたのちは再建されることなく、現在に至っています。
御朱印「鏡の御印」(かがみのみしるし)は「西院春日神社の社務所」でお受けいただけます
なお、一日は「御前神楽」を神楽女が奉納いたします。
西院野々宮神社社務所 京都市右京区西院春日町六十一
西院春日神社 内 〇七五(三一二)・〇四七四
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