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茨木市から堺市に引越しをして、はや35年経ちました。 15年の住宅ローンを組んで、購入した現在のささやかな住まいですが、預け入れ金利が7〜8パーセントあった時代のこと、借入れ金利も当然高く、9パーセント台でのローン返済には泣かされました。 金利負担が高く、返済中の10年間は大変永く感じたものですが、今となりましては、この歳になりますと10年間など、あっという間のことと思えるようになります。 インターネットやグーグル・ヤフー地図などの恩恵を受け、久しぶりに昔住んでいた茨木市は現在どのように変貌しているのか調べてみました。 下記画像のように当時はまだ、田畑が多く残りため池も点在しておりましたが、現在はモノレールも走り、大激変しておりますね。
昭和40年の水尾池は、透明度も高く大型のハクレン(コクレンかも?)が生息しておりました。 戦後に放流されたものと思います。 そして先に埋め立てられた東隣りの細長い池には30センチ前後のヘラブナがおりました。 池干しをしたせいか、その数年後には姿を消し、カエルを餌に雷魚(超大型だったのでカムルチー?)釣りをしていた思い出があります。 昭和45年頃は、東隣りの池でウドン餌にて、まぶな釣りをしていました。 数年前まで養魚池として、ヘラブナが入っていたようです。 当時はまだ、摂津市の鳥飼付近の淀川の溜まりやワンドにしかブルーギルはおらず、マブナ・ヘラブナ・クチボソ・アメリカザリガニが生息しておりました。 両池にはタナゴの生息は見られませんでした。 後日、タナゴが生息していた池のことを書こうと思います。 少年時代を過ごした茨木市には、多くの思い出が有り大変懐かしく思います。
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昭和40年代の茨木市
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