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父の一周忌があり、記事の間が開いてしまいました。
最近、急に寒くなって、家の近くの花の木はもう紅葉しかけています。今年は冬が早いかもしれません。
小説の森は、近年もうずっと冬ですけれどもね。
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文学の力とは、現実に対する異議申し立ての力であるとしたホルへ・センプルン、現実世界を検討させる力であるとしたジャン・リカドゥ、変革への信号を送る能力を持つとしたジャン・ピエール・ファイユ、その完璧な夢の場から現実を非難する力があるとしたイヴ・ベルジュ。彼らがみな、文学を作品世界と現実社会との対峙において捉えていたのに対し、サルトルとボーヴオワ―ルは、文学というものの個々人に及ぼす力について述べている。
<ジャン・ポール・サルトル>
実存主義哲学者。小説・劇作・評論・哲学論文等。ノーベル賞辞退。
「飢えた子どもの死を前にして書物がそれを防げないように、書物が現実に対して直接的実践的な効用を持たないのは明白である。では、何ができるか。
文学はイヴ・ベルジュの言うような「世界苦を忘れるための手段」ではなく、作品の中には、過去があり、未来があり、連続がある。言語に関わる実在であって、けっして「夢」ではない。
作家が文学作品を創作する時、不完全にしか目的を達し得ぬとしても、到達しようと望んでいる目的を持ってはいる。つまり、目的を持った現実の実践活動なのである。そこで作家によって意味されたものは、「言葉」という記号を通して読者に委ねられる。
読者も小説世界を逃避的夢として見るのではない。読者が書物に求めるのは、彼自身の生活の中に発見していなかったような意味である。人は常に現実に意味を与えて生きているが、それは互いの間で合致することのない部分的な意味にすぎないため、自分の生にすべての意味の統一を与えたいと望んでいる。
読者は、作者が到達しようと望んでいると、彼が感じる目的への見透しを持って、連結された言葉の意味を把握する作業を行う。これも本物の実践活動である。読者は一句一句を新しい経験として受け取り、自分が意味の総体を再構成しようとして読むのであり、その意味するものを作り出すのは読者自身である。」
つまりサルトルは、自分の生に意味の統一を与えたいという人間の願望を、実現へと向かわせる力、それが文学の力であると言っている。
また文学によって、人は現実の圧制から免れることができ、一瞬の自由を生きることができるとも言っている。それはイヴ・ベルジュの言うような、逃避という意味においてではない。読者は作品世界に入りこむことによって煩わしい現実から一時的に隔離され、作者の魂の中を自由に散策することで、自己の魂を磨けるという意味においてである。
文学とはそのような、まるでドラゴンボールに出てくる「精神と時の部屋」のような働きをするもので、読者は、そして作者自身も、そこで自分自身の魂を磨くことができる、そういうものだと私も思う。
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お父様のご冥福あらためてお祈りします。私が北九州の松本清張記念館を訪問した時、そこに大きく「まず疑ってかかれ」との言葉が書かれていました。そこにあることが既にあるから当たり前にそこにあって良いものかを問いかけなさい、と言われているのでしょうか。初めにそれに接した時は「そうかな?」と思いました。しかし今、例えば
外国の軍隊が日本にいること。そしてそれが無ければ他の国の攻撃を
避けられないこととして受け入れていることに疑問を感じます。
文学の話でなくて恐縮です。同盟国であれ何であれ戦時ではなく、平時に受け入れるなら「条約」ではなく、「憲法」に明記すべきと考えます。戦争という想定外の事態で進駐軍がやってきました。それが
朝鮮戦争で常在が既知のこととなり、条約で明文化して正当化して
いるように思えます。ブログにも書きましたが、米国のT大統領と
KCの委員長に日本が広島で会談するよう提案してはとも思います。
成果のほどは不明ですが、そのような提案をすることこそ総理が
言う「言論ではなく、行動を起こすこと」ではないかと思います。
2017/10/8(日) 午後 6:40 [ 新上 俊 ]
新上さん、こんばんは。
父のこと、ありがとうございます。
国防は、互いの疑心暗鬼によって拡大していくように思います。ですから脅しあえばどんどんエスカレートします。
米朝とも、本音は対話解決を望み、その対話を有利に運ぶために実力を誇示しあっているように見えますが。
両国の落としどころを摺合せられれば広島会談いいかもしれませんが、中国は不快でしょうね。
米軍がいることで他国から攻撃される(テロ等)リスクもありますが、米軍が去ることで他国の理不尽な横暴を受けるリスクもあると思います。
今、アメリカと縁を切れば日本は孤立無援、自衛に関して相当な覚悟を要することになると思います。
外国の軍隊が日本にいることは変な状態ですが、それが数十年続いてきたことで現在のバランスが作られているわけです。迂闊な変え方をすれば、崩れたバランスによってとんでもない所に転落しかねません。微妙な舵取りが必要だと思っています。
迂闊に行動するくらいなら、情勢を見てのらくらしているほうが方がまし、と思ったりします。
コメントへのお返事になっていないかもしれません。ごめんなさい。
2017/10/8(日) 午後 10:20 [ セイラ ]