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ここ数日雨がちな日が続いて、私は、書物の世界に耽溺しています。
センプルン、リカドゥ、ファイユ、ボーボワール、べルジュ、サルトル・・・各々が勝手勝手な文学論を展開するの
が面白くて、彼らの言葉の意味するところをできるだけ正確に辿ろうとしてみたり、それらに同意したり、疑問を
投げかけたり、彼らの言葉を私自身の言葉に置き換えてみたりすることで、私自身の文学観を彫琢しているわ
けですが、一人でそんなことばかりしていますと、なんだかこの世には自分と書物の中の人以外には誰もいな
いような、妙な気分になってきます。
窓の外の物音も、出来事も、すべて雨の底に沈んでしまって、ただこの部屋の中だけがあって、途方もなく深い
言葉の森と化したこの部屋の中で、今はもう過去となった人々と向かい合っている自分がいる。 それだけが自
分の現実で、向かい合っている書物の中の人々だけが、私の現実の中で真に生きて、私に向かって喋っている
のです。
吉田兼好が、「あやしうこそものぐるほしけれ」 と表現したのも、こんな心境のことかもしれません。
さて、そろそろ雨も上がりそうです。いったん言葉の森から出ていくことにしましょうか。
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読書
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前回ライトノベルの話が出ましたので、私が読んだライトノベルの一冊をご紹介しておきます。
田中芳樹さんの「銀河英雄伝説」です。この他にライトノベルを読んだことはありませんので他との比較はで
きませんが、比較するまでもなく、これは第一級のライトノベルだと言明できます。面白かったのなんのって。
最高のエンターテイメント作品です。
息子が中学生の時に、勉強はもちろん寝食もおろそかにするほど読みふけっていましたので、忌々しきこと
だと思い、いったい何がそんなに面白いのだと手に取って目を走らせてみたところ、軽々読めて、だんだん引
き込まれ、そのうち家事をおろそかにして、すっかり嵌ってしまいました。
ごく簡単に解説しますと、
宇宙歴800年代、銀河連邦は腐敗し、宇宙は、皇帝と貴族による銀河帝国と、民主共和制の自由惑星同盟
と、そのどちらにも従わず交易の利益を独占するフェザーン自治領という、三つの勢力に分かれていました。
その帝国の頂に登りつめた下級貧乏貴族の息子(天才美少年)ラインハルトと、心ならずも惑星同盟の戦略
・戦術ブレーンとなってしまった一介の商人の息子(平和な年金暮らしを夢見る、天才的だが平凡な青年)
ヤン・ウェンリー。二人の英雄の、宇宙を股にかけた壮大な戦いと、それを取り巻く人々の様々な人間模様を
描いた作品です。
現実世界の典型化を目論んでいる面もあり、優れた絶対者による支配と、腐れた共和制と、どちらを支持す
るかといった問題や、社会と経済の問題について、息子と話し合った覚えがあります。また、登場人物の生
きざま・死にざまがいろいろですので、そういう点でも考えさせられるところがありました。
しかし、メインは何といってもエンターテイメント。胸のすくような巧みな戦術と、人間模様の厚みに圧倒されま
す。 ただ、これはあくまで机上の戦略・戦術の妙を楽しむものですから、この際、戦争の悲惨さなどは度外
視して読まなければなりません。リアルな感覚で読むものではないことをお断りしておきます。(面白く読むう
ちに、人の命を惜しむ気持ちが、じんわりと湧いてくるようにできてはいますけれどね)
私はイラスト入りのライトノベルとして、徳間文庫のもの(20巻)を読みましたが、成人向けに創元SF文庫(
11巻)も出ているようです。文章に違いはないはずなのに、ライトノベルにもSF小説にも分類されるのですか
ら不思議ですね。
つまり、中学生にも読めるように簡単な文章で書いてあるけれども、大人でも十分に楽しめる内容だとという
ことです。 あなたもきっと嵌りますよ。長〜いお話ですので、たっぷり2週間くらいは楽しめるでしょう。
また、「戦闘ものは・・」と女性は引くかもしれませんが、それは面白さの一部。女性でも絶対に楽しめます。
いい男がいっぱい出てきて、私、誰にしよう? と目がチラチラしますよ。(笑) それが証拠には、私は知りま
せんでしたが、アニメや動画だけでなく、宝塚歌劇にまでなったんですから。外伝もかなりの厚みで出ていま
す。ファンが多いんですね。
ライトノベルでこれ以上のものがあるかどうか分かりませんが、とにかくイチオシです。
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こんなハチャメチャな話を、飽きさせず最後まで読ませる語りの上手さに脱帽。なんと饒舌なこと!
登場人物が読者に語りかけるという形の小説で、 喋りだけでできている、これもまた小説。
恋する男がどんなふうに努力するか、女はどう気づいていくか、テーマはそれだけだが、お笑い展開の中にも
男子の恋の純情、女子の異性への傾き方の本当がうまく描かれている。青春という馬鹿げた季節の面白みの
中で、誰の心にも覚えのある甘い痛みが、読者の胸に届いてくる。
いかにも大学生的な世界を思い出させてくれる、私にとっては懐かしさという魅力もある作品だった。森見さん
は何歳だろう? 大学には今もこんな雰囲気があるのだろうか? わざわざ難しげな言葉を選んで使ったり、た
わいもないことに大仰な理屈をつけてみせたりする大学生の遊び、当時はウルサイと思い馬鹿にしていたけれ
ど、あれから○十年も経った今、こうして目の前にするとひどく懐かしい。馬鹿げていて、明るくて、焦りも翳りも
あった、今思えば楽しい季節だった。
それにしても、奇怪な登場人物や珍事件の数々、こんなあり得ない設定をよく思いつくものだ。 そしてこの饒舌。
このテンションでよく500枚以上も書けたものだ。森見さんは、絶対に自分が楽しんでいると思う。
私には死ぬまで書けない小説だな。
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また記事の間があいてしまいましたが、べつに事件が起こったわけではありません。 今書きかけの小説の
ためにと古典を読み始め、それが面白くてすっかり嵌ってしまい、次から次へと読むうちに、ブログの更新が
おろそかになってしまっただけです。
読んでいた古典というのは、平安・鎌倉期の女流文学と、それらをめぐる解釈物、対談物などです。 解釈物
は古文の直訳物より読みやすく、解説者の個性が反映されているので、それがまた面白いのです。
「○○の」と、著者名を冠した蜻蛉日記・和泉式部日記・源氏物語・更級日記・堤中納言物語・とはずがたり
などを読み漁っていました。
それらの古典文学はすべて単純な時系列で書かれていて、大きな事件やストーリーの起伏で演出されるこ
とのない、つまり 「日常の連写」 なのですが、それがとても面白く、全体として眺めてみると、そこからは意外
にも強く大きな思念波が送られてくるのです。
して、その思念波の正体とはいったい何だろうと考えてみますと、それはやはり、その日常を支配していた時
代の価値観に翻弄されつつ、その中を懸命に生きた著者たちの自我が、訴えかけてくるものであろうと思いま
す。 こんなふうであるこの世とは何か。 私とは何なのか。 そういう根源的な問いにつき動かされて、書か
ずにはこの世を去ることのできなかった遙かな時代の女性たちの自我が、私の自我に呼びかけ、共振を求め
てくるのです。
話は少し跳ぶようですが、『小説』 というものについて、ここで少し書いておきたいと思います。
小説において、パラレルワールドのような異世界や現実には起こりえない現象を設定したり、ファンタジーや
ミステリーを駆使したりして、空想の面白さの中に現実的真実を描き出すという作風が、世間に好まれるよう
になってから久しいように思います。たぶん、それはそれでいいのでしょう。
ただ、そういうものこそが進歩的 『小説』 であって、リアリズムなどもう古いとか、写実ではダメだなどと言う人
がいる (というより多い) のは,どうも残念でなりません。 そういう人はおそらく写実という言葉を、かつて大流
行した日本の写実的自然主義小説 (隠すところなくありのままに書く) を念頭に置いて言っているのではない
かと思うですが、二葉亭四迷の提起した模写小説は坪内逍遥のそれとは違って、現象の姿を借りて現象の内
に潜む本質を描き出すという本来的な写実だったわけです。リアリズムとはただありのままを書くことではなく、
現実の本質を描きだすために、人間のする空想や、抱く幻想や、この世のミステリーをも含んだ大きな現実を、
典型として描くものです。そして、現実から乖離したもの(ありえない話)は書きません。
そういうリアリズム小説は、古くてダメなのでしょうか? 面白くないのでしょうか?
私は現実を描いたものが面白くてなりません。それは非現実を描いたものの面白さとは、だいぶん質の違う
面白さです。非現実から浮かび上がってくる真実は、この現実に通じるものではあっても、そこには薄い膜の
ようなものが一枚被さっていて、その膜のために、私の脳には取り込まれても、膜を破って私の中心にまで侵
入してくることはまずありません。非現実小説の面白さはむしろ、その非現実そのもののほうにあるように感じ
られます。少なくとも私の場合はそうです。
対して現実を描いたものは、私のいるこの世界と地続きですので、私の目が見逃していたものが、その辻の
角から不意に現れてぶつかってくるような、衝撃的な面白さがあります。その衝撃は、もちろん読む物によ
って程度の差はありますが、私の中心に届いて私を揺さぶってくれます。その振動が心地良いのです。
リアリズムをもう古いと言うなら、シュールリアリズムだって発生からすでに一世紀も経とうとしているのですか
ら、もう十分、古いじゃないですか。 小説にとって肝心なことはリアルかシュールかなんてことではないと私は
思うのですね。 中古の女流文学が平成の時代を生きる私を惹きつける、そこにこそ文学の真価があると思う
のです。
出自によって身分が決められ、親や夫の庇護がなければ生きていけず、一夫多妻制の下で他の女と夫の愛
情を分け合う理不尽に苦しみ、いつ夫に見捨てられるか分からないという不安に苛まれ、従順さや、か弱さや、
控えることが美徳とされ、あらゆる面で主体的に生きることのできなかった女性たちの唯一の自己主張、彼女
たちの自我の発露が、日記や物語となって残されたのです。「この世は何? 私とは何? 生きるってどういう
こと?」と。 私はそこに日本の純文学の源流を見ます。 特に、一つのテーマに拘って書き抜いた「蜻蛉日記」
は、その書かれた時期からしても、瀬戸内寂聴さんの指摘されるとおり、純文学の原点であり、私小説の原点
でもあると思いました。
古典を読んで、現実を描いたものはほんとうに面白いという思いを強くしました。ですから、私はやはり、誰が
古いと言っても、斬新でないなどとと言っても、日常など面白くないと言っても、それは単に売れ筋ではないと
いうくらいの意味だと考え、惑わされることなく、私が書かなければと感じているものを、私自身が面白いと思
うように書いていこうと思います。 私の小説は、私なのですから。
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4月の長雨が去り、青空が戻ってきました。ちょっと暑すぎな気もしますが、でも、晴れ渡った空はほんとうに清
々しく、どこからか希望が湧いてくるようです。
きょうは、この青空にふさわしい絵本を一冊ご紹介させていただきます。
「パタタンと子ヒツジのウルン」 です。
パタタンとは、空を飛ぶ不思議な動物です。水色の体は青い空にすけて下からは見えません。白い
つばさだけが見えているので、誰もが雲とまちがえてしまうのです。みなさんは青い空を見上げた時、
そこに何かがいるように感じたことはありませんか?
私は子どもの頃からそんなふうに感じることがありましたので、このお話に初めて接した時、「あ、そ
うなの? パタタンだったの」と思ってしまいました。
ある日、パタタンが青空でゆかいに歌っていると、小さくて、弱虫で、いつもひとりぼっちの子ヒツジ
のウルンが、きょうも仲間たちから離れてひとりでいるのが目に入ります。 ウルンも、雲のふりをし
たパタタンの白いつばさを見て、「あのくもは、なにかへんだ」と気づきます。 そうしてふたりは出会
い、いろいろな展開があって、ウルンは弱虫じゃなく、ひとりぼっちでもないウルンへと変わっていく
わけですが、さて、そのウルンの悲しみを吹き飛ばしてくれたものは、いったい何だったでしょうか?
ここがとても書きたいところなんですけれども、ネタばれになってしまうので書けません。 それはそ
れは美しいものだったとだけ囁いておきましょう。
作者は以前にもご紹介しました童話作家の かがいみえこ さん。 この冬、出版されたばかりの新
作ですが、この絵本は「とべ!パタタン」で始まった「パタタン」シリーズの第2弾です。 いつかきっ
と第3弾もでますよ。(前作を読んでいなくてもまったくOKです)
この題材はずいぶん長い間、胸に温めてこられたものだと、以前、ブログに書かれていましたが、な
るほど、みえこさんの世界観や願いが結晶したような意欲作でした。
こむらまゆみ さんによる絵も、ファンタジックで、きれいで、とても印象的です。 お子様をお持ちの
方や、よそのお子様へのプレゼント用にお勧めです。 広い視野を持ったいい子に育つこと間違い
なしですよ。 私はもちろん、孫君にプレゼントします。
興味を持たれた方は、みえこさんのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/yumemiruhuusen/65240287.html
へどうぞ。ご希望があれば、申し出てくださいね。 もしかしたら、サイン入りで入手できるかもしれま
せんよ。
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