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平凡な日常にも、何がしかの小さな事件は起こるものです。
今年のお盆は13・14・15日と夫婦で息子のいる博多へ行ってきました。 前回の旅で、夜行バスに耐えるだけ
の若さはもはや無いと悟った我々は、今回は新幹線で行きました。 新幹線は早い! 豊橋から僅か3時間50
分、我が家の最寄駅からでも5時間で着いてしまいました。
(つまり、家から豊橋まで出るのに1時間もかかっているわけです。ああ・・・飯田線よ)
13日は三人で名物博多ラーメンをいただいたあと、息子のアパートでゆっくり談話。とは言いながら、私はやっ
ぱり主婦の習性で汚れた所を見つけてはついゴシゴシ。「お母さんは休まない人だね」と笑いながらも、息子は
息子で 「喋りながらこれお願いできる?」 などと、ちゃっかり縫い物を差し出したりして。
14日は海の中道海浜公園へ行き、涼しい水族館で過ごしました。海の生物を見歩きながら息子が小さかった
頃の思い出話や将来のことなど飽かず話して、夕方のイルカショウを堪能。イルカにも、イルカの大ジャンプに
興奮して跳ね回る幼児たちの無邪気さにも癒されました。 夫は 「絶妙なタイミングで写真が撮れたぞ」 などと、
ご満悦 です。
息子のアパートに2泊して、15日、三人で少し豪華なランチをとってから、新幹線で博多を後にしました。
広島あたりで車内販売のコーヒーをいただきながら、どれ、ゆっくりと今回の旅の写真でも見ましょうかと、カメ
ラを・・・・・? ? ?? な! 無い!
すぐさま息子に電話してアパートを探してもらいましたが見つりません。 どうやらどこかに置き忘れてきたよう
です。 あのカメラには、まだPCに保存していない今年の祖母の初盆の写真や、それ以前のものもいろいろ入
っていたはずです。 カメラ担当だった夫は特に狼狽。 楽しい旅の最後は、どこで失くしたかという記憶の掘り
起こしで頭ぐるぐる、落ち着かなく、気の重い帰還となってしまいました。人生、こんなものかもしれません。
禍福はあざなえる縄の如し。 喜びの隣には、いつでも予期せぬがっかりが控えているものです。
帰ってから荷物の中身を全部出してみましたが、やはりありません。 無いものは無い。もう諦めようと思いまし
た。が、あくる日、それでもと、一番可能性の高い水族館に電話してみました。きっぱり諦めをつけるために。
すると、親切なもの言いの若い女性の声で、「ちょっとお待ちください。・・・(探して)・・・届けられていますよ」
ああ、神様! 何の宗教も持ってはいませんが、思わずそう言いたくなってしまいました。
その神様とは、すなわち人の善意です。誰かが見つけて忘れ物として届けてくれたのでしょう。
しかもその声の女性は、「愛知県からはるばる来てくれたんですか。ありがとうございます」と親しげに話しかけ
てくださって、いわゆる落し物係などという場所の事務的な対応に慣らされていた私に、新鮮な驚きと喜びを感
じさせてくれました。 そして三日後、実に丁寧に包装されたカメラが我が家に届きました。
それを解いていると、包んでくれた人の温かい親切が思われて、私たちの胸の中も温かくなりました。 さっそく
お礼状を書いてポストに出しに行きましたが、最近になく幸せな気持ちでした。
この忘れ難き良き旅に、 感謝。
( 博多ー海の中道海浜公園マリンワールド。とてもフレンドリーな水族館です。皆様もぜひお出かけください)
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旅
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3年ぶりの旅記事です。3年の間どこにも行かなかったわけではないのですが、なぜか記事を書く気分 |
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かねてより一度訪ねてみたいと思っていた雪の金沢に、ようやく行く機会を得ました。
初日は予想外の雨(氷雨)にがっかりしましたが、あくる日はホテルを一歩出ると、それはそれはもうみごとな雪
の世界に変わっていて、思わず感嘆の溜息をつきました。 20センチ以上もの積雪です。
野外に止められていた車はすっかり雪に覆われ、まあるく、かわいく、大きな雪見大福のようになっていました。
コートにブーツにマフラー、手袋、帽子に包まれ、傘までさして、いざ出発です。
雪というものは雨と違って、歩きながら払い落とせばいいから楽だと思っていましたら、あにはからんや、コートの毛にしっかりとしがみ付いて簡単には落ちないのですね。
時々通りの軒下を借りてしっかり払い落としてから歩かないと、雪だるまになってしまいそうでした。
道々には、雪掻きをする人の姿が見られました。
「たいへんですね」 と声をかけると、
「ああ、もう、冬はこんなもんで・・・気をつけて行ってね」
気楽な観光客に対して温かいお言葉をいただきました。
この方たちのお陰で私たちはどんなに歩きやすかったことか、雪掻きの皆様、ありがとうございました。
金沢という町は歴史や文化を留めるものが所狭しと集まっているところです。1日半ではすべては回りきれませんでしたが、移動に時間をとられない分、かなりの観光ができました。 以下のとおりです。
一日め(処々に雪残るも雨)
歴史博物館 (面白くて時間を取りすぎてしまいました)
中村記念美術館 (雪庭を眺めながらのお抹茶が嬉しかったです)
21世紀美術館 (作品よりガラス張りの美術館が素晴らしい)
兼六園 (文句無く美しい。そしてこんなに広かったとは・・・雨の日で残念)
金沢城公園 (菱櫓と五十軒長屋は思いの外みごとでした。 融け残った雪原にカラスの群れ)
尾山神社 (利家とまつを祭る。 ギヤマンの神門が珍しい)
ひがし茶屋街 (ようやく雨も止み、灯点し頃の濡れた石畳と茶屋の佇まいは、何とも言えない風情です)
主計町 (女川と言われ、かつては友禅流しをした川に沿った茶屋街で、かなり格式の高そうな料亭が並んでい ます。 ここも美しい。 夜景は特に)
近江町市場 (ここでキトキトの魚を食べる予定が、雨の観光で冷えすぎてその気になれず、ホテルに戻ってホ ットなコース料理を、ということに。 ホテルで2割引券をもらったのが主な理由かもしれませんが)
二日め(雪)
武家屋敷の佇まいが残る長町へ
土塀の通り (武家屋敷らしい土塀が連なり、こもがけ された姿が北国の風情)
前田土佐守資料館 (利家とまつの次男・利政が家祖。 現在の当主は13代目とか。 会ってみたかったです)
老舗資料館 (加賀藩時代の薬屋を復元した建物。 茶室や風流な庭もあり、豊かな商家の生活が窺えます)
野村家 (千二百石取りの武家屋敷。水の流れる風雅な庭園、内庭、坪庭、離れの茶室もあり、洒落た造り。
個人の住まいとして規模もちょうどいいです。 ここに住みたい!)
高田家跡 (屋敷はすでになく門口のみ。 右は厩、左の端に門番兼、馬の世話をする人の部屋。 火の気のな い板敷に藁だけ。 それでもいちおう武士ですが、上下の差は歴然です)
足軽資料館 (足軽になると小さくても一戸建て。狭い3部屋に大勢の家族で屋根裏の物置にも寝ていたとか)
長町友禅館 (友禅の染め上がる過程を丁寧に説明していただきました。 加賀では婚礼の時、友禅の大幕で 三方を囲い、花嫁の間を作ります。 目も眩みそうな華やかな間で、かつての花嫁も写真を撮って もらいました。 記念にハンカチを一枚購入)
どうです? 盛りだくさんでしょう? 雪の中を歩いて、これだけのものが慌てずゆっくり見て回れました。
また観光スポットだけでなく、街全体が落ち着いていて、いい雰囲気です。
帰りの電車に乗る前に、駅正面の 「台場」 で食事をしました。 高そうに思えて、3000円を越すようなら止めておこうと話しながら行ったのですが、これが安かった!
お刺身の5種盛りに、ダシのしっかりしたなめこのお味噌汁、半端でない味と具の煮物、茶碗蒸し、漬物がついて1380円! そのお刺身がほんとに美味しくて、たっぷりあって、キトキトの寒鰤をついにいただきました。
夫はお刺身の代わりに海鮮丼とミニ蕎麦と天婦羅、あとは私のといっしょで 1480円!
え〜!ほんとにいいの? という感じでした。 東海地方ではありえません。 これだけでも金沢は素晴らしい。
最後に、どうしても触れておきたいのは、あの「火の魚」の作者、室生犀星さんです。
彼が「小景異情」で詠ったふるさとは、ここ金沢だったのです。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや 犀星さんは加賀藩士の家の主とその女中との間に生まれ、生後ほどなく雨宝院住職・室生真乗と内縁関係にあった赤井ハツにもらわれました。それから室生家の養継子となって室生姓を名乗ることになりましたが、両親の愛を受けることなく、男川と呼ばれる犀川のほとりにハツと住んで、そこで成長しました。 犀星という名に込めた彼の思いが伝わってくるような気がしますね。
私が金沢に行くことはもう二度とないと思いますが、町良し、人良し、文化良し、おまけに食べ物良くて雪麗し。
寒さと温かさが同居しているような犀星さんの白いふるさとは、私にとっても、遠きにありて思ふ町・忘れられない町となりました。
( 目を閉じると雪景色が見える セイラ )
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お久しぶりです。すっかり忘れ去られたようなタイ記事です。 秋も終盤にさしかかった今頃になって夏の旅行を思い出して書く・・・いかにもセイラらしい間延びしたペースですが、私はだいたいこんなふうに生きております。ハイ。タイムラグありすぎですね。 でもまあ、背中にいっぱいお荷物のっけたヤドカリ人生とはこんなものです。 と、居直っておいて、 ああ、あのバンコクが夏のことだったなんて、時の流れの速さはほんとに非情です。 つい今し方そこにいたように思えるのに。 バンコクは新旧明暗渾然とした一種言いようのない街でした。都会とは概してそういった所かもしれませんが・・・・。 バンコクはタイの中心都市で、確かに都市的ではあるのですが都会と呼ぶには妙に田舎っぽく、私にとってはどこかノスタルジックでさえある奇妙な印象の街でした。 冷房の効いた高層ビルでパソコンを使う超近代的な生活があるかと思うと、その一方で、すぐ脇を流れる川の上には前近代的な水上生活者が所狭しと舟屋を並べている。 乗用車(やたら日本車が多い)と、カラフルなタクシーと、バイク(ほとんど二人乗り)と、荷車のような三輪タクシー(トゥクトゥク)が洪水のように、車線などあって無きが如くひしめき合って渋滞するメインロード。十数年前の上海を彷彿とさせるものがありました。 そして、そこをちょっと脇道に入っていくと、奥にはスラムがごちゃごちゃと広がっている。メインロードを走るバスの窓からも、その、ごちゃごちゃが見て取れました。 バンコクのスラムや水上生活者の不衛生な状態は、ガイドさんの話を聞くかぎりでは、一般的な都会における貧者のレベルをはるかに超えているようです。 そういえば「闇の子どもたち」というショッキングな本も出ていましたね。 勇気を持って現実を見つめようと思われる方は読んでみてください。私は言葉が出せません。 さて、そんな光と陰を併せ持つバンコクですが、旅行者の私にはやはり明るいものが多く目に付きました。 まずは「食」! タンパク食品は少ないですが野菜を上手に味付けした料理がどれもおいしい! グリーンカレー・イエローカレーを始めとした甘さと辛さのコラボにはまりました。 スイカジュースもお気に入りです。というより、他のフルーツジュースは人工なのか妙な味でいただけなかったのですが。 あ、そういえばコーヒーもだめです。というわけで、かぶと虫になりそうなほどスイカジュースばかり飲んでいました。 青菜はなぜか旅行中ずっと空心菜ばかり。一生分ほども食べましたが、日本で自分で調理したものより数倍おいしかったです。料理はやはり素材を生かす腕が大事なんですね。よく分かりました。 タイはまた中国との関わりも深いようで、中華料理がずいぶん入ってきています。飲茶食い放題の昼食は素晴らしくおいしくて、家の近くにこの店があったらなあと思ってしまいました。 食の次は「シルク」。タイシルクの様々な製品が私を誘惑してくれましたが、結局は目の保養に留め、慎ましく化粧品用のポーチを一つだけ280バーツ(900円くらい)で買いました。 セイラは地味な主婦ですから、ドレスを買っても着て行く所もありませんので。 そしてお次は「マッサージ」。タイ古式マッサージというのを初めて体験しました。これ、ほんと天国! 要するに拳や肘や足を使った指圧なのですが、これが痛気持ちいいんです。私は体凝り性なのでほんとうに幸せでした。 でも、やってくれた女性はたいへん痩せた優しげな方で、1時間もかけて全身を一生懸命指圧してくれましたのでそうとう疲れたのではないかと思います。私と同じくらいの年頃に見えましたが、一人やって幾らくらいの収入になるのでしょう?とても豊かそうには見えず、申し訳ないような気がしました。 お次の次は「ニューハーフ」。自称ナンバー1ガイドのナンちゃんの計らいで最前列でニューハーフショーを見ました。あまりの美しさにびっくり!すごいですよ。 顔も体も仕草も美しく磨き込まれてとても男性には見えませんし、歌やダンスもそうとうなレベルで、見ごたえのあるショーでした。 また、たいへんな人気で、バンコクでは彼らはスターであり成功者なんですね。稼ぎも良さそうです。 バンコクへ行くことがありましたら是非どうぞ。一見の価値ありです。 そのせいかどうかは分かりませんが、街にはエステの店がやたら多く目に付きました。が、こちらは経験せず。 だってねえ。ちょっとやったくらいじゃねえ。そう思いません? そして最後は「ナイトバザール」。夜店の長い列を何重にも重ねたような店、店、店。安い偽物がいっぱいの楽しい所。 Tシャツ屋さんの前で白人の若者三人が堪え切れないように笑っているのでその視線の先を見ると、Tシャツの胸に「 Don't fuck with me ]と書いてある。と、その横のTシャツには大きく「 洗剤 」と。 思わず私たちも吹きだしてしまい、店の人も今まで笑っていた白人さんたちもキョトン。 いったい誰がどういうつもりでそんな外国言葉をTシャツに刷り込んだのでしょう?ひょっとしていたずら? こういうこと、日本でもありますよね。その国の人が見たら笑えるような言葉がファッションとして街を歩いているって。 見歩き中に名物のスコールも体験し(バザール全体がビニールシートで覆われているので濡れはしません)、バザールの一部停電というハプニングにも遭遇し、何かと楽しいナイトバザールでした。 光と陰が裏腹のようなバンコクですが、医学はけっこう進んでいるのか、最近は中東からの患者がかなりやって来ているそうですし、また、イスラムに対する偏見や差別もないため、やはり中東からの旅行者が増えているとのことです。 現在は政情が不安定ですが、旅行は大丈夫だと思います。円高の折、チャンスですよ。(円高がもう少し早くやって来てくれたら良かったのになあ。残念。) では、また。 ( タイの女性に親しみを感じる セイラ ) *初めてこのブログにおいでいただいた方、「たった一つの抱擁」書庫をぜひご覧ください。
作品の概要と冒頭部分をご紹介しています。 |
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サワデイーカー。きょうはバンコク観光です。 バンコクではまず、「エメラルド寺院と王宮」、それからチャオプラヤー川を挟んで「暁の寺」に行きました。 ここはタイ人が最も誇りにしている場所です。 どちらもタイの歴史と美術が凝縮したような、それはみごとな寺院でした。 この国の人々が最も敬い大切にしているもの、それは王様と仏教です。 * 王様について 現在は立憲君主制で王様がふだん直接的に政治に口出しすることは無いようですが、歴史的に賢政を行ってきた実績があるためか、敬うよう教育されているからか、国民の信頼は篤く、国の中が乱れてくると人々は王様を頼りにするようです。 2006年に軍事クーデターが起こった時も、民政が停止され、国王の介入により収拾されました。 政治や軍への影響力は非常に大きいようで、日本の象徴天皇制とは異なるようです。 二次大戦の時には、日本に同盟を迫られてやむなく枢軸国に加わったものの、農業国で人口が少ないことを理由に、働き手である男たちを兵士として供出するのは断り、代わりに国土の使用を認めたのだそうです。 その一方で連合国とも裏で通じていて(いわゆる二重外交によって)、敗戦国処理を免れた上、国際連合の敵国条項に名を連ねることもありませんでした。 また、大戦後の冷戦期はベトナム・カンボジアなど周辺国の共産化に脅かされながら、アメリカの大々的支援を受けて共産化を免れました。 タイはその歴史上、一度も植民地になったことのない稀少なアジアの一国です。 それもこれも、みんな賢い王様のお陰というわけです。 こうした賢い王様談を、現地のガイドさんは何度か誇らしげに語ってくれました。 バンコク市内のいたるところ(ホテル・デパート・施設・レストラン・・・etc)に王族の肖像画や写真が貼られています。また映画館では上映前に「国王賛歌」と国王の映像が流れ、観客は起立するのだそうです。「不敬罪」というものも存在するそうです。 これはちょっと日本の戦時中の天皇崇拝に似ているか?とも思いましたが、やはり、かなり異なるものだという印象を受けました。詳しくは敢えて語りません。 * 仏教について 仏教信仰もたいへんなもので、日本とは信仰心に格段の差があるようです。 お坊さんはたいへん尊敬され、国王といえども礼を尽くします。誰もお坊さんに手を触れてはいけません。 合掌して頭を下げなければいけません。 私たちの自称ナンバー1ガイド「ナンちゃん」は目が飛び出るほどの大金を毎年寄進し、そのおかげで1日2時間の睡眠でも健康で働き続けられ、お金がどんどん入ってくるのだと、たいへんな入れ込みようでした。1億円の宝くじまで当たったそうです。 (でも、仏様の教えって、そういうものでしたっけ?)と思わず突っ込みたくなりましたが、やめておきました。 ナンちゃんはおよそタイ人らしからぬ、言うならば、大阪の難波あたりから引き抜いてきたような商魂逞しそうな金髪逆毛立ちヘアー、ヤクザファッションのへんな人でした。 でも、とっても面白く話しやすい人で、正直に「タイ人らしくないね」と言うと、実は中国人とのハーフだということでした。どうりで。 というわけで、寺院内はとても神聖な場所。靴を脱ぎ、帽子を取り、肌の露出を避け、口を慎み、写真も撮ってはいけません。したがって、せっかくのエメラルド寺院の内部も王宮もカメラに収めることはできませんでした。 残念。 全身エメラルド色(実はヒスイだとか)の仏様は、それはみごとな美しさでしたよ。年に2回、王様の手で夏用と冬用の衣が掛け替えられるのだそうです。 バンコク市街は十数年前の中国を思い出させるように、車とバイクと妙な三輪車トゥクトゥクの洪水でした。 車線はあっても無きが如しで、ごちゃごちゃに走るのです。 私は一度、キョロキョロしていて車にぶつかりそうになりました。 家の男どもがさっさと来ないので後ろを気にしていたところ、後方を歩いていたお坊さんたちが急に私に手を振ってワヤワヤと何か言い騒いでいらっしゃるのです。ん?と思って前を見ると、危ない! 間一髪で、事なきを得ました。 これこそ法力のありがたさというものです。エメラルド寺院でまじめに拝んでよかったぁ。 ありがたいお坊様たちに、合掌でした。 では、きょうは、ここまで。次回はバンコク市街の様子と食などについて書きたいと思います。 ( 法力のおかげで今も生かされている セイラ )
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