【新編】神奈川・伊勢原・大山情報館

平成27年1月からこちらに移動しました。◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」の情報交換のブログです。

文化財資料解説講座<担当:市教委市史係>に参加                                              堀江家文書<富士山宝永噴火資料>を読む(於:旧堀江家住宅)

たまたま参加した文化財係の会議で、標記講座のお誘いがあったので、観ボラのウォークに参加予定していたが台風襲来で中止になったK氏を誘い、出かけた。
市公報で10名の募集があったらしいがきっちり10名方々の参加。
座敷での開催で、足は痛かったが風情があってこれも良い。旧堀江家では今年の3月、文化財フェスタ2017で展示をさせていただいたので、親しみもあり、気分は快適!
講師の方は市史編纂委員の井上 淳氏。
白板を使い、板書をしながらの講演。普段の古文書講座ではなかなか聞けない解説などもあり、これも面白かった。Ex.「変体漢文の読み方は師匠の教えによる」とか「春畑はまだ耕作していない畑」「仏教では、香を焚く行為は空間を清める行為」など。

以下、購入したばかりのスマホの初写真で報告します。

👇堀江家のたたずまい
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                                                                    👇受講の様子
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         👇テキスト「砂御検分書上ケ帳」
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最後に、出席されたご当主様の話があり、「当家を伊勢原市で有効利用していただければ有難い!と言う事でご提供申し上げた。」と言う話しで、終了した。
次回は11月、堀江家で、予定しているとか。

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報告:山口家「湘南社」民権散歩・伊勢原(学習ノートとして・・・)                                                       「I・おもてなし隊会長」・午後の学習会で「権田直助を語る」

 平成29(2017)年10月21日(土)台風が近づく中、標記、散策ツアーと学習会が行われました。
 午後の学習会で「権田直助の話」ができると言う幸運に恵まれた「ISEHARA・おもてなし隊」斉藤会長は、PPを作成し、張り切って午前中の散策から参加。
 しかし、権田直助のPPつくりに夢中になり、散策は不明の事ばかり。同道した伊勢原市生まれの会員や「雨岳文庫のサポータさん」に助けられて、どうにか散策コースを理解。

            👇実施要項
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            【午前;民権散歩】記録

       👇散歩コース図
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◆記事① 集合場所(小田急電鉄)
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👉小田原急行鉄道(小田急電鉄)創業者の利光鶴松(文久3〜昭和20)は大分県生まれ。小  
  学校教師から弁護士を経て、立憲自由党・衆議院銀となり、民権家として実業界に進出。    
  1927年、小田急電鉄を創業した。
    関連情報URL http://利光鶴松と小田急電鉄

◆記事② 伊勢原教会(日本基督教団)訪問 <所在地:伊勢原3丁目>
👉明治33(1900)年、伊勢原では2番目の洋医として、眼科医院「江山堂」を開業した江口次郎人が入信し、お祈りに訪れていた教会
👉江口次郎人は、山形、鶴岡の出で、伊勢原の漢方医、江口武壽の娘リツ子と結婚。「江山堂眼科医院」を開業。開業に当たっては、武壽の民権活動で仲間であった山口左七郎より資金援助を受けている。その後「自彊組合(労働組合のはしり)を結成し、地域住民の生活改善に尽力した。
    関連情報URL http://江口次郎人

◆記事③ 伊勢原教会について
👉1941年に日本国内のプロテスタント33教派が「合同」して成立した合同教会であり、公会主義
 (どこの教派にも属さない)を継承する唯一の団体である。イメージ 4
👉伊勢原教会は1904(明治37)年、アメリカ、メソジストプロテスタントの宣教師により伝道が開始された古い歴史をもつ教会です。 1925(大正14)年に現会堂を献堂しました。2004年には創立100周年を迎えました。
 現在85名の会員がおり、日本のプロテスタント教会の最大組織である日本キリスト教団に属しています。(伊勢原教会HPより)




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👉ヨーロッパに大聖堂でのミサなどは経験しているが日本で教会に入ったのは初めて。牧師の話や賛美歌の歌唱などもあり、とても良い経験となった。月一度は寺院で写経し、読経もしているが、賛美歌にも興味があり、モーツアルトのレクイエムを歌う合唱団に入った。
👉神父さんの話の途中から「茶湯寺」の丸キ地蔵を思い出し、最後に「伊勢原」での隠れキリシタンや先導師の「真利谷」姓などについて、主催者さんに断りもなく、質問してしまった。ごめんね!! 回答は依然として同じだが神父さんと言う部分では大きな違いがある。大満足!!!

◆記事④ 大福寺:山門見学 <所在地:伊勢原2丁目>
👉大福寺はかながわ名木100選に選ばれている「大クスノキ」が有名である。このクスノキは400年前の開村時から植えられていると言い、歴史ウォーク等にも組み込まれているが今回のように「学校教育」の始まりとして紹介されているガイド紙は初めてである。
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👉ガイド紙メモ::大福寺(浄土宗・芝増上寺末寺)
                 元和6(1620)年創建とある。
 ○伊勢原の学校教育は大福寺から始まった。
  ・明治6年、本堂が「小学伊勢原学校」の仮校舎であった。
  ・昭和3年 本堂が県立伊勢原高校の前身、「私立伊勢原実科女学校」もスタートした。
 ○民権時代の学習会の拠点となった。
 ○明治期のご住職が作成した「蝉凧」が現在も受け継がれている。 
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◆記事⑤ 江口次郎人「頌徳碑(自彊組合の碑)」見学
                                             <所在地:板戸829>
     関連情報URL http://江口次郎人


◆記事⑥ 玉川楼・遊覧池跡見学 <所在地:板戸418>
 ○明治期、民権家たちが懇親の場として活用した料亭。
 ○在所は大神宮の向かい側、現旭せんべい店、魚亀辺りで、大正年間まで営業していたらしい。
   せんべい店の女主人は玉川楼跡地を購入したと言う話をしてくれた。
 ○高台にあり、大山などよく眺望出来、すぐ下は、低地で池もあり、遊覧船が浮かんでいたと言う。
 
👇玉川楼があった辺りを西から見上げて、撮影。
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👇旭せんべい店裏庭から遊覧池辺りを撮影したが曇っていて、よく撮影できなかった。
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その他の記事
  1、高札場👉明治6年 「高札禁止」の太政官布告<意義:文書通達への完全移行>
  2、「茶加藤」👉創業290年の茶商。6代目、宗兵衛が明治14年、湘南社講学会に参加。
  3、伊勢原銀行👉明治29年、山口左七郎の創業。昭和32年、横浜銀行に改称。

  
                 【午後;学習・解説】記録

②権田直助について(いせはら歴史解説アドバイザー 斉藤勢吾)
👉パワーポイントを使い、映像を活用し、一人合点の無いよう留意した。
👉参考資料「山口左七郎と湘南社」(雨岳文庫第1集)
👉今回、「権田直助」を学習する経緯は、散歩資料に、7名の「湘南社(講学会)の講師たちとその  
   支援者たち」と言う記事があり、その中に「権田直助」の名も含まれていることによる。
  <支援者たち①中島信行②中島湘烟③植木枝盛④細川 瀏⑤澤田 弸
                                          ⑥石坂昌孝⑦権田直助>
👉(斉藤記)記事の中に山口左七郎は権田直助」に語学を学んだと書かれている。           
  恐らく、和歌や古記録なども含まれていたであろうし、70歳を過ぎた直助と40歳を迎えようとして
  いた左七郎との間に、政治や世情などの話も交わされたと推測している。    
   山口家に残されている直助の掛け軸の書に「赤き心を語るには・・・・」等の言葉があることで、 
  二人の語った内容を推察してしまった。 間違いであろうか!?

                 👉「大山みち」ついて語る宮崎武雄氏
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  👉「権田直助」ついて語る斉藤勢吾
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👉特記(斉藤記)
   「権田直助、没後125年後の評判」 
                   に関して
◆権田直助の生誕地、埼玉県毛呂山町郷土民俗資料館では、5年前(平成25年)、権田直助没後125年の企画展を開催。
 このことを切っ掛けとして、直助の業績を見直し、革命的政治家の行動と誠実で、粘り強い性格と国文学者や発信能力の高いと言う部分を分けて評価し、後者の2点を高く評価、町の偉人の一人に指定した。
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◆しかし、神仏分離政策で過激な動きや御師間の争いもあった伊勢原では、「草莽の志士」の部分だけが認識され、国文学者としての姿が消えている。
 阿夫利神社祠官に赴任し、様々な功績を残している直助であるが伊勢原で出版された「国文句読点法」や「神教歌譜」についての「高い発信能力」に関しては、殆どの市民は知らない。
◆権田直助の「国文句読点法」は研究者にとって、句読点研究のバイブル的存在であり、「神教歌譜」はドイツの賛美歌研究家、ヘルマンさんによれば、「日本の唱歌の始まり」と定義されるほど、音楽的に高い評価を得ている。
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◆直助にとって「句読点」は自己の主張をきちんと伝えるためには、重要であるとの認識。つまり、自分の書いたものが正しく理解されるためには必要なものであった。多くの人々に「正しく伝えたかった。」と言う事であろう。
◆「神教歌譜」は直助考が考案した阿夫利神社の祝詞や祈祷法を社会、主に地元民に、分かりやすく、楽しみを与えながら、伝えたかったと言う工夫の結果であろう。
◆上記2点だけでも、直助の、現代に通ずる「優れた功績」を理解して欲しいと思う。


◆以上です

◆詳しくは「雨岳文庫:民権の会」のHP(次のURL)で報告されていますので、   
  是非、閲覧くださるようお願いいたします。

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 「関八州・お仲間との交流ツアー」:実りも多く、神田を完歩!                                                 雨後晴れ!総勢17名、事故もなく、無事終了!

参加を申し込まれた方からの「17日は雨のようですが・・・・!?。」と言う情報に、5日前から天気予報とにらめっこ。
そんな中、前日の参加申し込みが4名!
総勢17名の大きな集団となり、天気予報も午後は晴れ!
会員や参加予定者の皆さんからの励ましも頂き、「小雨決行!」の檄文をメールで送信してしまった。
 お陰様で、当日、午前中は小雨模様でしたが午後は晴れ上がり、太陽もちょっぴり。

 「お茶の水には毎週行っていますが、元宮と太田姫神社、神田明神ぐらいしか行ったことがなく、しかもあのように丁寧になど見ておりませんから、発見がいっぱいでした。
 明治大学博物館では、ボランティアガイドの方のご説明と展示に大変感動しました。また行きたいと思っています。」

 参加者の方からの「実り多い」参加報告コメントを頂き、とても喜んでいます。
 以下、スナップ写真と短い説明でこの日の様子をお知らせします。

                 👇神田ウォーク全図
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       👇御茶ノ水駅聖橋口向かいのビルの庇の下で「スタート前集会」
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            👇小雨の中、スタート。さすが東京、人が一杯。
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太田姫神社元宮(神田駿河台4丁目) 👇
 元宮は、太田道灌が江戸城に山城国一口の里の一口(ゐもあらい)神を分祀勧進したことに始まり、長禄元年(1457)に太田姫稲荷神社として祀られた。慶長11年(1606)徳川家康が江戸城大改造を行うが、その時鬼門となる現地に社を移し、さらに昭和6年、総武線の建設計画により神田駿河台1丁目に移転となった。
 一口社は、9世紀、詩人参議小野篁が痘瘡(ゐもかさ)治封に霊験あらたかな太田姫之命の神託により、山城国一口の里に命を祭神として祀ったとの伝承がある。  
長禄元年、道灌の娘が疱瘡に罹り一口神に祈祷を修したところ平癒したという。        
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ニコライ聖堂(東京復活大聖堂)👇  昭和376月文部省指定重要文化財
 明治24年建設 日本最大のビザンチン式建造物 高さ35m (神田駿河台)

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👇ニコライ堂の「ダブルクロス」が「大山・茶湯寺の丸キ地蔵(写真参照)の丸キに関係しているのでは・・・・?」と言う情報があったが「ギリシャ正教会」が日本に入ってきたのは明治期なので時代が合わない。
 しかし、このことが、丸キの謎を解く持続力に繋がっています。
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神田・神保町交差点  👇  
   昭和期、この辺りは「古書店街」であったが今は大通りとなり、古書店は見かけるがその面影はない。
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誠心堂書店(和書古書販売) 👇 千代田区指定「景観まちづくり重要物件」
イメージ 10権田直助著『西洋医説辨』(版心:名越舎蔵 安政頃刊)も販売(63千円) 
−神田神保町の古書店街の一画にある。『西洋医説辨』は店頭には出ていない。      
田直助の私塾「名越迺舎(なごしのや)」が「ここだ!」と言う話もあります。


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山の上ホテル 👇 千代田区指定「景観まちづくり重要物件」(神田駿河台)
 建物は、昭和12年財団法人日本生活協会の宿泊施設として建てられた。
アール・デコ(1920年代のパリで生まれた折衷式装飾様式。幾何学モチーフや直線、流線形を多用)のモダンな雰囲気が伝わる。
池波正太郎や吉行淳之介などの文化人が逗留したホテルとして有名。

イメージ 12山の上ホテルの前身は、生活改善研究事業の全国展開を図るための拠点と
なった「佐藤新興生活館本部ビル」ですが、このビルを建設した佐藤氏と
は、明治大学を卒業後、のち福岡県若松で炭鉱経営者として成功を収め、
東京都美術館の生みの親とも云われている佐藤慶太郎氏です。
氏は、火野葦平著小説『花と龍』に実名で登場しているそうです。

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明治大学博物館  アカデミーコモン館地階 👇 商品部門、刑事部門、考古部門
の部門ごとに、ボランティアの方から解説が聞ける。(9/14に予約済み)
11001200の間に興味のある部門を選んで(分かれて)見学する。
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 アカデミーコモン館1階「カフェパンセ」12001300席予約済

大久保彦左衛門屋敷跡碑 👇(神田駿河台・杏雲堂病院敷地内)
徳川家康、秀忠、家光に仕えた旗本・知行二千石、(徳川家のご意見番)
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◎◎余談 感動した話!!!
 再び、御茶ノ水駅に差し掛かり、皆で、交番前の地図を見ていると誰かが古地図を見ている。どうしたのかと聞けば、交番のおまわりさんが差し出してくれたとの事。
 古地図をワイワイ言いながら見ていると、駐在の若いおまわりさんが出て来て、古地図を示しながら、この辺りの歴史や文化財について熱心に話してくださった。
 何時ごろから交番での対応だろうか?どうしてだろうか?と思いながらも、この種の「おもてなし」は「ISEHARA・おもてなし隊」の目的でもあるので、見習わねば・・と感動と共に感じた。東京はすばらしい首都だ!オリンピックがいつ来ても大丈夫だ!と安心した!そんなことも思った。
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                  古地図と近くを流れる神田川 👇
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湯島聖堂 昌平坂学問所 👇 湯島聖堂は、元禄3年(1690)徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため創建。寛政9年(1797)幕府直轄の昌平坂学問所となる。明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府が所管、学問所は大学校・大学と改称された。その後、現在の筑波大学、御茶ノ水大学に発展する。
    聖堂大成殿には、孔子(前552-479 儒家の祖)、孟子(前513-482 孔子の門人で「孔門の十哲」の第一人者)、曾子(前505-435 孔子の門人。思想家)などが祀られている。
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👇御茶ノ水駅近くの目立たない場所に「御茶ノ水」の地名発祥の碑があった!
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神田明神「江戸総鎮守」👇/創建時の名称:「神田ノ宮」
 天平2年(730)入植した出雲氏族の真神田臣が大手町(平将門塚付近)に創建。
 慶長8年(1603)、江戸城表鬼門守護の場所にあたるこの外神田の地に遷座。
江戸神社「江戸最古の地主神」(秩父から江戸に初めて進出した秩父重綱に所縁)
大宝2年(702)江戸の地(現在の皇居内)に創建。元和2年(1616)現社地に移る。江戸重長(武蔵武士団秩父党の一派で武蔵において強大な勢力を持った人物)、太田道灌ら関東武将が信仰した。
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👇の「神田明神:右奥」にあった「国学圧勝の碑」はこの辺りが江戸文化の収斂地だったような気がします。権田直助がここに私塾「名越廼舎」を立ち上げた理由がわかるような気がします。
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妻恋神社 👇 運営:妻恋神社崇敬会(妻恋会と神田同朋町会の有志)  (湯島)
この場所は、大和武尊東征の折の行宮(野営陣地)の跡とする伝えがある。
妻は、大和武尊が東征の折、東京湾海上で暴風雨に遭って亡くした「弟橘媛命」
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湯島天神  👇 雄略天皇2年(4581月勅命により創建/江戸有数の盛場であった
 正平10年(13552月菅原道真を勧請  文明10年(1478)太田道灌が再建
 明治維新以前は、上野東叡山寛永寺(寛永2年(1625)開創)が別当を兼ね喜見院がその職を務めた。(明治維新の神仏分離令で喜見院は廃寺となる)
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          👇「湯島の白梅」が演じられた新派の記念碑です。
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          👇「湯島の白梅」の梅林です。
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旧岩崎邸庭園 👇 国の重要文化財: 旧岩崎家住宅(敷地全体と実測図)
 明治29年三菱財閥岩崎家(岩崎弥太郎の長男久弥)の本邸として造られた。
 戦後、GHQに接収されたが、返還後は国有財産となる。  (台東区池之端)
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            👇記念写真(於:旧岩崎邸庭園)
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今月の写教会:平塚・城所・浄心寺・曹洞宗                                                                             2か月ぶり、376枚目納経

今月のお説教
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仏陀(ブッダ)の最後の言葉

いよいよ最後の時刻が近づいたとき、仏陀(ブッダ)は比丘たちを集めて、滅後の教団のありかたなどについて教誡を与え、なお何か疑問がないかと尋ねましました。

「わたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前達の師となるでしょう。
わたしがいなくなってから後悔することのないよう、仏陀と、法と、集と、道と、実践に関して疑問があれば質問しなさい。」

(教え=法、戒=行うべきこと、律=行ってはならないこと)

仏陀(ブッダ)は、自分が死んだ後、いかにあるべきかについて、修行僧たちに説きましました。




今月の書道課題
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◆2行目の「不自借身命(ふじしゃくしんみょう)」は「自らの身命は惜しまず。」の意ですが2代目若乃花が横綱昇進時に述べた「不借身命」の四字熟語はこの仏典から来ています。

平塚市仏教会「湘南説法会」のお知らせ
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雨岳ウォークガイド「岡崎城址とその周辺」を紹介                                                 「ISEHARA・おもてなし隊」会員:庄司氏担当

 平成26年「ISEHARA・おもてなし隊」は、初めての歴史文化財ウォーク「相模岡崎城文化財探訪ウォーク」を実施し、「野陣台解説看板」設置のきっかけとなりました。
 その時の一参加者であった庄司氏が3年後、「いせはら歴史解説アドバイザー」のライセンスを取得し、雨岳ガイドの会に所属し、同会の計画する伊勢原市周辺のウォークガイド担当となり、実施計画することになりました。誠に、喜ばしく、嬉しい限りです。
 下調べや岡崎城に関する史跡訪問なども重ねてきましたので、是非、ご参加ください。

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◆庄司氏の件は、次の「ISEHARA・おもてなし隊」HPでも紹介しています。
 URL  https://「ISEHARA・おもてなし隊」HP「庄司会員のページ①」




 

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