【新編】神奈川・伊勢原・大山情報館

平成27年1月からこちらに移動しました。◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」の情報交換のブログです。

埼玉県比企郡嵐山町鎌形地区の大山灯籠行事の調査報告                                                           Gakenchiさんのブログから

 先のブログでご紹介した埼玉県毛呂山町のGakenchiさんから、さらに、標記埼玉県の鎌形地区の大山灯籠行事の実態をご報告いただきた。
 ここに、主な灯籠の写真を掲載しますが詳しくは、文末のURLでご覧ください。


   
嵐山町鎌形は都幾川によって川北と川南に分けられ大山講は7つの講中に組織されそれぞれの組合で燈籠を建て毎年725日付近より御燈明を灯す。
7つの講中は、川北が 昭和組、山際組、上原組、坂下組、小峰組で、坂下組はさらに2つの組合に別れて燈籠を建てている。かつては木製灯籠で大山山開きの期間だけ建てたが現在は全て石燈籠となっている。
川南の講中は植木組、中島組があるが石燈籠は建っていないが大山山開きの期間だけ建てる灯籠となっている。
鎌形での大山講の起源は不詳だが大正時代頃には代参が有ったと伝わるが現在では代参を行う講中は無い。

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 詳しくは、次のURLをクリックしてください。
  
  Gakenchi

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大山参拝が祭りの起源!! 川越市「まんぐり」祭                                                            Gakenchiさんのブログから

 埼玉県毛呂山町から関八州の祭り文化を伝えているGakenchiさんのブログは写真も美しく、その内容も正しく伝えられていて、とても貴重な歴史や文化の記録集です。
 毛呂山町の「大山講」にも所属し、毎年節分時に大山を訪れ、参拝もしています。それがご縁で、現在「ISEHARA・おもてなし隊」の会員になっていただいています。
 今日は、7月15日にアップされた話題をご紹介します。





  上寺山の「まんぐり」 川越市指定無形民俗文化財

川越市上寺山 上寺山自治会館 八咫神社境内 上寺山地区  


  上寺山の「まんぐり」または「天王まつり」とも呼ばれ昔は714日に行われたが現在は7月の第2日曜日に行われる。 寛保年間に疫病が流行した折にみそぎの後に神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社を参拝したのが始まりといわれ、大山の山開きの期間におこなわれる。境内には石尊権現の石灯籠が有り、祭りの締めに「ぼんてん」 を納め大山石尊灯籠に灯を灯す。
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最後に「大山灯籠」に灯をともします。
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詳しくは、次のURLをクリックしてください。
    Gakenchi 

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江戸期の和算に遭遇!!世界に通じた関孝和の算法                                                              於:北金目、棒邁噺妬現餽崙媛

和算が世界の数学の世界にも通用する算法である事は知っていたがその算法に接したのは初めてであるので、感動のあまり、ここにアップしてしまった。
今月(H29・7)の標記、棒邊邉徑魂噺妬現餽崙媛颪硫鯑秒罎法▲優奪肇汽ぅ箸能个わした。
棒邁噺妬現餽崙媛颪噺世Δ里蓮∧芯融塰牟睫楝爾量昭腓任△辰椙棒邁箸忙弔気譴晋妬現颪鯑匹牴颪任后その古文書は市立博物館に寄贈され保管されているがその古文書を解読し、当時の棒邁箸里△衢佑鮹里辰討澆燭い噺世γ膣屬集まり、金目公民館や伊勢原のサポセンで読んでいる。
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詳しい内容は次のHPでご覧ください。

 
文書は「苗字帯刀御免状」や「宗門人別帳」「年貢免相之事」等もあるが金目川の氾濫で堤防が決壊した現状報告や修復の見積もり、近隣28ケ村の金銭割り当て文書などが多い。特に、決壊場所の修復に関する体積や土砂の量などの計算がしっかりとなされている。特に「蛇篭(籠に石を詰めて築堤に使用する)」の大きさの計算は円周率(π)が分からなければできないはずであるができているように見える。中央政府の予算書なら理解できるが村方の文書でこれらの計算ができている事実は凄いことである。
これらの学習が村方にも浸透していた事実を知れば、江戸期の教育や学問の高さは世界一ではないかと思えてきた。
と言う事で、ネットサイトを検索していたら、次の情報に突き当たった。
つまり、「和算の神髄」を知らされたのである。「土坪」と言うのは「土量」の事である。
とにかく、次の文書を読んでいただきたい。
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中地区退職教員の会で<日本遺産認定記念講演>                                         前市教委 歴史文化推進担当部長 山口 譲氏

拙宅に送られてくる機関誌に「中退教だより」と言うのがあります。
中地区と言うのは平塚市、秦野市、伊勢原市、大磯町、二宮町の3市2町で、神奈川県の中教育事務所が所管している地域です。
今月号では、5月、第18回の総会があり、会長が変わったと言う記事がメーンで、第2面は標記、前山口部長のご講演についての概要が掲載されていました。
大山に関する講演については、3月、中地区の退職校長会でも「大山の歴史」にお関する講演があった。講師は「おおすみ山荘 先導師 佐藤 健氏」。話の内容は、私たちがいつもお聞きしている「おおすみ山荘」の歴史の話が多かった。
以下、「中退教だより」の記事を掲載します
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ご紹介!!新解説看板3基                                                                    1、乙女地蔵 2、咳止地蔵 3、三軒茶屋

今年、新しく建てられた標記3つの解説看板を撮ってきました。

1、乙女地蔵(伊勢原市岡崎字大句)
 「日向石で造られたお地蔵さんは劣化が激しく、対策を考えていた芳圓寺の檀家の方々を中心とした地元住民が小屋を建てる。」と言う話を聞いていたがその後、訪問していなかった。その時、解説看板を「ISEHARA・おもてなし隊」で・・・、という話もあったがそれも地元の方々が作られた。
訪れてみて、その立派さに驚いた。
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2、咳止地蔵(伊勢原市下粕屋字弥杉・市米橋近く)
 設置予定日は雨だったのでお手伝いはできなかったが雨の晴れ間に、23人で建てられたと言う事で、この日の訪問となった。その昔、「お札」も売られていたが今は幻となっている。版木はどこかにあるはずである。「お札」を手にしたい。
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3、三軒茶屋(伊勢原市上粕屋10
伊勢原にも「三軒茶屋」と呼ばれているところがあると知ったのは45年前である。ようやく、場所が分かったのは最近。
訪問した日は「三軒茶屋の模型を作って路傍に設置した。」と言う秋山工務店の社長さんにも出会い、いろいろ資料も見せていただいた。面白かった!
「三軒茶屋」は世田谷にある地名で有名であるが、この地は、江戸中期以降、社寺参詣ブームで賑わった大山道登戸道の分岐(追分)付近に信楽(後に石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋が並んでいたことに由来する。この呼び名は文化文政の時代には既に一般的なものとなっていたようである。
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