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「私が赤と小子犬に提供していたもの」
今思うとですが、子犬たちには十分な食べ物と暖かい犬小屋は提供していましたが、安全の確保まではしていませんでした。
山という環境では私と「ちび」のいない時間に子犬たちの安全はありませんでした。
ある日、子犬のうち「2匹がいなくなる」と言うことがありました。
犬小屋の周りには何人かの人の足跡と大きな犬の足跡が残っていました。
当時、近所の山からウサギを追い出す勢子の何かをたたく音と、銃声はしていたのですが、犬小屋のあたりは禁漁区になっていたため、漁師が犬小屋に近づくことの心配はあまりしていなかったのですが、猟犬が子犬の気配に反応したのかもしれないと思いました。
このときは2日ほどでいなくなった子犬が犬小屋に戻ってきて一安心しました。
「子犬の吐瀉物に米粒があった。」
私が何日も山に通っているわけですから当然にそこには道のようなものができました。その道から子犬に気がついた人がいるようでいつの間にか子犬に食べ物を運ぶのは私一人では無くなっていました。
それはある日子犬が吐いた内容物に米粒が入っていることで気がついたのですが、それがどのような人であるのか一度も会わなかったので今でも分から無いままです。
「5匹ともいなくなった。」
ある日、子犬が5匹ともいなくなっていました。
びっくりして周辺を探しましたが、どこにもいませんでした。ほかの人間も面倒を見始めていたことは分かつていましたので希望としては「その人が子犬の面倒を見るために家に連れて行った」と言う状況でした。
子犬がいなくなった後も私とちびは犬小屋に通い続け子犬の行き先を案じていました。
子犬がいなくなって1週間ほどたったある日、「そろそろ犬小屋をかたづけようか」と思いながら山に入ったところ、「ちび」が犬小屋に突進しました。もしやと思って私も犬小屋に走り寄るとなんと子犬は5匹とも犬小屋に帰っていました。
それは私にとってものすごい喜びで、その日はほとんどちびと一緒に子犬と遊んで過ごしたと思います。
いなくなっていた子犬に何があったのか私は今でも知りませんが、子犬たちは1週間前にいなくなったときと同じに元気でしたし、おびえた様子も全くなかったのでいなくなった間もきちんと世話を受けていたという感じは受けました。子犬たちが帰った後は他の人が来ているという形跡は無くなりました。
「子犬たちが生後3が月になって」
いろいろありましたが、子犬たちはそろって山で生後3ヶ月に成長しました。
能登のショッピングセンターに連れて行く時がとうとうきたのです。
私は子犬をみんな集めて車に乗せました。
そのとき赤が子犬と一緒に車に乗り込もうとしたのです。いつも少し離れて私と子犬を診ていた赤でしたがこの時始めて私に近づいてきたのです。
私はこの瞬間に赤のこの先の寂しさに気がつきましたが、赤には「とにかく子犬は何とかするから」とか言って赤を座席から押し戻しました。
そして赤が車から少し離れた時私は車を出しました。
このときは赤と子犬の最後の別れになると思い、何か赤にものすごい残酷なことをしているような気持ちになったことを今でも覚えています。
「子犬にまず獣医で健康診断」
まず獣医さんで子犬たちの健康診断を受け、異常がないことを確認しました。
それからペットショップで色違いの首輪と引き綱を買い、いつもちびと散歩する公園に行きました。
子犬たちはとても元気にしていましたが私は赤と同様に子犬たちと別れるのがつらくてたまりませんでした。翌日、子犬たちに新しい飼い主を捜すためショッピングセンターに連れて行くことは決めていました。
「多分ブーちゃん以外は即日に新しい飼い主が決まると思っていたのに。」
まさか、その週の土日2回の能登往復が完全な空振りに終わるとは思ってもいませんでした。
後でセンターの人に聞くと「問い合わせは多かった」との事でした。
「次の土曜日まで子犬をやまにもどす」
5匹の子犬を次の土曜日までずっと家においておくのは自分的にしんどかったのと、「赤も待っているだろうし」とか思いながら、とりあえず次の土曜日までまた子犬を赤の元に戻すことにしました。
赤は子犬を車に乗せた場所にそのまま座っていました。
「現実社会の恐怖」
私が恐怖したのはこのときです。
子犬は生後3ヶ月でもうかなり成長していました。後1ヶ月もすると大きくなり過ぎ飼い主を捜すのが難しくなります。山で少し長く成長させ過ぎたという後悔を始めていました。
赤も何時までも山に置いておくわけにも行かず、どこかで家に連れて帰る決断が必要でした。
そして、私は資金的に最もしんどい時期になっていました。
春の増改築工事の請負が始まる前で、仕事の切れる冬を越えるためのお金が底をつきかけていたのです。
もちろん、子犬たちのために使うお金は全く惜しくありませんでしたが。
そのようないろいろな事情の心配が赤を見たときに「現実の恐怖」として感じられたのです。
「恐怖の次に全力になった」
それから私は子犬の飼い主捜しに全力を挙げるようになっていました。
ガソリン代の節約は頭から無くなり、能登の親戚に犬を見せるため迎えに行ったり向かいに行ったりするようになりました。
いつも行くガソリンスタンドには子犬のポスターを貼ってもらい犬を飼ってもらえそうな知人には、電話し、とにかく、私は一生懸命全力になったのです。
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