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「裁判でどの証拠を採用して判決するかは裁判官の自由心証である。」
ここまで甲第27号証についていろいろ書いてきたが、裁判官が甲第27号証を証拠としてどのように評価するかは「裁判官の自由心証」であり控訴理由書に「裁判官は甲第2号証を正しく評価していない」と記載しても控訴はまず棄却される。裁判を受けるものの不満はここにある。
「当事者にとって重要証拠とは何か」
高知白バイ事件であれば、バスに乗っていた多くの生徒や後ろにいた校長先生の証言が「重要証拠」であろうし、私にとっては「治療終了3ヶ月後の被告歯科医の釈明テープ」の甲第27号証が重要証拠である。
「重要証拠に対する裁判所の判断は納得できるか」
高知白バイ事件では最高裁は生徒等の証言について「第3者の証言だからと言って信用できない」と判決しているが、これは分かりやすく言うと「バスに乗っている生徒も後ろにいた校長先生も嘘をついている」と判断したのと同じ事である。
私の場合は重要証拠が「被告歯科医本人が話している録音テープ」であるので裁判官がこの録音テープを証拠として判決していないと言うことは裁判官は「録音テープは信用できない」と判断したことになる。
「裁判官は重要証拠をどこで判別しているのか」
問題ここである。はっきり言って全く分からない。どうも裁判官によって重要証拠の評価は変わるようであるし、ここは「当事者の運」と言うことになるのであろうか。とても困ったことである。
「裁判員制度の本当の目的は証拠採用の均一化ではないのか」
高知白バイ事件の場合、裁判員がいれば「生徒の証言等」を「重要証拠として考慮した」判決になっていた可能性はあると思う。
現に世間では生徒の証言により片岡さんの無実を信じる者は多いし、私も片岡さんの無実を信じる者の一人である。
私の裁判でも裁判員が甲第27号証の録音テープを聴いていれば「被告歯科医の治療終了3ヶ月後の釈明テープ」を「重要証拠として考慮した」判決になっていた可能性はあると思う。
このように「裁判に裁判員が加わって裁判が確実に確実に良くなる」と思われることは「証拠の評価に裁判員の一般常識が加わる」ことであろうと思う。
私は裁判中に人から「裁判員がいればすぐ勝っている裁判だ」とか言われて「確かに裁判員がいれば被告歯科医はトンネリング主張など恥ずかしくてできなかっただろう」とか思ったものである。
以上
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