|
一人は、天使 であり。 もう、一人は 悪魔 であると思う。 決して、映画の宣伝ではない。 世界には、男と女のように 二つ が多い。 馬鹿 と お利口 のような二つは本来、余り意味がない。 (馬鹿もお利口も時の運でしかないから) ただ、天使 と 悪魔 は違う。 男 と 女 それぞれの中にも当然に存在する。 天使 は 天 の 使い で天使 と言う言葉ができたのだろう。 悪魔はどうか、麻と中国語の対応語鬼が一つになり、悪、邪悪な者との造語らしい どちらも宗教的な善悪の峻別であり、キリスト教では天使に対して、それに対抗する 邪悪な存在を 悪魔 と認定している。 欧米では、古い時代に魔女狩りと言って、女性を悪魔に仕立てた時代がある。 これは言うまでもなく、当時の宗教にとって女性の潔癖性が邪魔となり、女性を悪魔とする ことで、本来の女性の知性を閉じ込めようとした行為でもあった。 現代でも、会社や地域の掟にまみれる男たちに対して、その妻をはじめ女性たちは、 本質な問題を鋭く見極めることが良くある。 元々は、現代で言う政治の役割のあった 宗教 の都合により天使と悪魔は作られた。 宗教における権威は、余りにも閉鎖的であり世襲的であり、早晩にその権威の維持に 破綻も来していた。 そして、自然と宗教はある一定の権威を保ちながらも、会長よろしく現場の第一戦 からは退き社長と言う名の 政治 が登場もした。 宗教政治は元々存在するが、現代の政治が確立したのは、言うまでもなく選挙制度が 確立してからだと思う。 国民みなにあまねく選挙権を与えている国々では、宗教の上位?いや前面、実働隊と しての政治が機能してはいる。 しかしながら、この現代においても、後ろの会長連中が卑しくも 天使 と 悪魔 を作りたがってもいる。 この日本でも、何とかの科学とかが、卑しくも表の政治の世界へと顔を出して来よう としている。 天使 と 悪魔 は宗教により作られる。 つまり、すべてが宗教の都合でもある。 しかして、天使 と 悪魔 の実態とは、宗教そのものではないのか!? との疑問が 生まれる。 『世界を救おう!』と天使がほほ笑む。 その一方で 『お布施(お金)が必要!』と悪魔がほほ笑む。 天使 と 悪魔 とは所詮、そんなもんだと思う。 人間個々の中にあるのは、善と悪ぐらいのもので、本来はそれぞれの人間がその意志で 選択できる 程度のものでしかない。 歴史的な人間の鬼畜な行為の数々は、正しく悪魔的でもあるけれど、その時点で人間は 人間を喪失してしまっていたとも思う。 病的二重人格よろしく、人間の脳はその複雑さ、記憶要素の某大さから、しばしばエラー を起こす。 はっきり言って、病に犯され易いのが人間の嵯峨でもある。 本来の人間は、善も悪も自分で選択でき、つまり、病に犯されない限りは、善を好む生物 でもあると思う。 天使 も 悪魔 も宗教と言う名の病ではないか!?と この世のあり様、できごとを深く深く考えて行けば、それはすべて宗教ともなる。 そんな思想になってしまう。 しかし、人間は元々、善悪を自分で選択できる。 深く深く考え続けることを止めて、もっと単純に考える癖をつけるだけで、人間は病から 逃れられる。 宗教と言う名の病は一番、たちが悪いと思う。 人間は宗教のように天使を気取る必要もない。当然、悪魔を気取る必要もない。 いろいろなことがある、起きる。 しかし、考え過ぎてはいけない。 人間も宇宙も、本当は凄く単純な論理ででき上がっているように思う。他の生物も同じ。 そのことに余り意味などは、本来ない。 人よりお金持ちに成りたい奴にはやらせておけば良い、人を罵り、批判し、自分だけは 賢い、偉いと思いたい奴には、そう思わせておけば良い。 目の前にある小さな幸せだけをあるがまま受け入れ、それが自分の天分であると知り、 毎日を明るく生きる。 過分でもなく、不足でもないそんな毎日の積み重ねが、いづれ本当の幸せを呼んで来る のだとも思う。 一時の困難に打ちひしがれてはいけない、一時の快楽に酔いしれてもいけない。 ただ自然体。 それが、それこそが、天使 でも 悪魔 でもない本当の人間の姿ではないかと思う。 |
無題




人間が他の生き物と決定的に違うのは、自らの存在意義を求める、という点だと思います。
それ故、思いや行動に、いちいち理由をつけなければいられないのでしょう。
その結果、物質文明が起こり、階級が出来ました。
支配と隷従。
支配者にとって、支配される者たちの疑問や心の隙間を埋めるのに、宗教(観)はとても都合が良かった。
生き物が本来持つ自然への畏敬の念を、宗教と結びつけるのは容易な事であったと思います。
「自分自身の価値観」などと、安易に口にする人は多いですが、それを本当に持っている人は極々僅かでしょうね。
「自分自身の意志」も同様。
「自然体」・・・それは万物の本来の姿であると思いますが、厄介な思考能力などを持つ人間には、とても難しいことではないかと思います。
支配者に洗脳されて、それを自分の価値観として疑う事無く生きる方が、楽かもしれませんね。
2009/6/10(水) 午後 0:17
天使と悪魔が宗教の都合によるという論は納得できます。
私は、善悪つまり正義とは何かを考えるとき、個人の思想の背景はやはりその個人の民族性であり、その民族の宗教意識が左右するのだろうとは思います。
しかし、最近考えるとわからなくなったりするのですが、その民族性を背景にする正義に普遍性がなかったら、はやり対立する外部が存在することになる。そういう意味で民族主義っていうのに普遍性はないのではないか・・・と。
しかし、やはり同じ民族性なり宗教意識なりによってつくられている国家は共同幻想が機能している共同体としての境になっているという現実があり、国家間の紛争というのはそういった内と外の意識が個人レベルで存在する為に起しやすいものなのでしょう。
深く考えすぎるのも精神衛生上よくないので、自然体で瞬時に善悪を判断した方が良いのでしょうね。所詮、凡人が人間社会の宗教意識を変えられる才能がある訳ないですものね・・・。
2009/6/10(水) 午後 10:56
ももなな 様
『・・支配される者たちの疑問や心の隙間を埋めるのに、宗教(観)はとても都合が良かった。・・』
↑これは相当に核心をついてますね。
宗教支配が科学技術の発達により、余りにも荒唐無稽な論理であることに人々が気付き始め、現在の政治の形が出てきたとは思われます。
そして、最後の最後はおっしゃる通りに生き方の問題となり、それ自体が宗教(自分教)のようなもの?
支配に洗脳されて、それを自分の価値観として受け入れることは確かに楽です。
楽を続けてどうにもならなくなったときに、人々は本当の自我を求めだし、農業へ走ったり、動物愛護へと走ったり、人権擁護や、環境保護運動などへ走ったりもするのでしょう。
そして、相変わらずそう言った人々を金儲けや己の権威創出のために利用する輩も現れる。
キットどこかで人類滅亡のその存亡の危機を経験すると思いますが、そこまで行かないと、人間は本当の善を取りも出せないのかも知れませんね。
2009/6/11(木) 午前 0:46
挽き物屋 様
結構本質突いたコメントですね。
民族性云々については、昔私も良く考えました。
一種の集合知だと考えます。
国家単位や地域の市町村単位も同じですが、最初から歴史やその教育などの一定の枠?知としてもその集団にとって都合の良い集合知が初めから用意(情報として)されており、その中で我々は自分の考えを持っているように思い込んでいる。
しかし、それさえ本当はある階層の連中からすれば操作が成功している状態でしかないとも言えると思う。
オバマも少し何がしかの構想、思想を持っているようだけど、国籍や国境に関わらず、地球市民的発想ができるようになれば、相当にこれまでのやっかいな問題は解決するとも思う。
下手に知能や知識があるからこそ国籍や肌の色、門地などにより差別感情が発生してしまうように、本来はもっと感性?人間が持っている元々の共生力のような直観力も必要なのかも知れない。
勿論、無知による問題も依然大きな問題でもある訳で、やはり、バランス感覚、自然体の力?みたいなものも大切だと思う。
2009/6/11(木) 午前 0:58