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ゆとり教育が原因なのか?、少子化で甘やかされているのか? はたまた、常識のない親が増え、同じく常識のない子が増殖中なのか? お客様や上司、先輩に対して、何かの問答をする時には、”はい” が常識で あり、”うん” とは言わない。 ”うん” は、相当な友達同士や、特に親しい間柄での同意のyes。 友達言葉でしかない。 公式な同意のyesは、少なくともこの日本では、”はい”の筈、だった。 ところが、最近では、社員や店員の間に、お客様に対しても平気で ”うん”と 言ってる輩が多すぎる。 上司や先輩に対しても同じ。 上司や先輩は同じ仕事をする仲間であるから、その間での”うん”が、まず蔓延 でもしているのだろう。(会社やお店の責任も重大である。) そうすると、本来、まったくの他人でもあるお客様にも ”うん” と同意の サインを吐くバカがいる。 私のつたない経験でも、月に1、2度はぶち当たる。 気分を害するので、すかさず、『”うん”じゃない、”はい”でしょ!!』と 注意する。 何と、地元の市役所の腐れ役人、それも4,50代の人間でも”うん”を平気で 使う相当な馬鹿を散見した。 当初は、私に対する ’嫌がらせ’ だろうと思い、録音に励んだものだった。 ところが、その辺の商店や病院、会社の社員などの中にも平気で ”うん” と言っている馬鹿が多い。 各種のコールセンターの電話対応OPの中にも居る。 どんなに素晴らしい製品やサービスを製造提供するNOWHOWや技術、歴史 があったとしても、それを提供する人間たちの、人間的質が落ちれば、当然に 製品やサービスに対する評価も落ちるし、パッシング(passing)やバッシング (Bashing)バッシングの対象にも成り易い。 端的に言おう。 私がある時期から日本の国内旅客機に乗らなくなったのは、ある時、その機内での アテンダントたちのギャレー内でのお客様の噂話し、つまり、ギャレー内でのお客 様に対する ’タメ口「愚痴」’を直接、この耳で聞いてしまったから。 ある時期までの客室乗務員には、こんなのはまったく存在しなかった。 無言の常識が生きてもいた。 私がトヨタ車を選ばなくなったのは、トヨタのカンバン方式に対する影の部分、 及び、使い捨てされる期間工などから、トヨタ車の実態をじかに聞くことが多く なったから。 私がある量販店を徹底的に攻撃しているのも、そのお店の本社ごとお客に対する 常識がない、”うん”会社であることが判明したから。(この量販店は中国からの 輸入品、製造品で安売り「安かろう悪かろう販売」をしているお店) とにかく、惨憺たる状況にある。 あのトヨタにせよ、GMを抜いて世界一の販売台数、世界に先駆けてのハイブリッド の量産、などなど、それ自体は偉い(評価に値する)ものであった。 しかし、現場の人間のたちの中に、ある現象が起きた。 つまり 訳である。 昔々、スカイラインが売れに売れた頃の日産のセールスマンなども酷かった。 『買うの?買わないの? 忙しいので早く決めて!』そんな感じでもあった。 そして、ある時期、日産は落ちに落ち(顧客の反発を食らい)、外国人を 社長へ迎え、その再生を図ることとなる。 しかし、それだけではない。 この国は、元々が軽薄短小ではあるけれど、この列島に住む住民たちも元々が 軽薄短小なのである。 それが良い悪いとかの問題ではなくて、その自覚が一時の繁栄のために、見事に 消え去っている。 常に、”軽薄短小”であるとの自覚があれば、驕ることも、のぼせ上がることも ある程度の範囲で治まる筈。 ところがそれがない。 少しでも気を許せば、お客様に対しても平気で、”はい”ではなく、”うん”と 返答するような、文化と言うか、談合癒着、お仲間意識満々、いや、護送船団 方式? とにかく、慣れ合い過ぎる、”慣れ合い文化”の民なのである。 ”個”が比較的確立し、一国であるのに、その中に多民族、他人種が同時に暮らし 常に切磋琢磨と危機管理を要する国々の民とは、根本的に違うのである。 であるのに、この国は世界と貿易しないと生きて行けない。 輸出と輸入だけが命の国なのである。 ある時期、開国した以上、少なくとも商道徳くらいはいい加減に世界レベルの基準 に近づけないものか。中国に倣っているようでは、まったくの退化、逆行でもある。 ”はい”と言うべきところ”うん”と言ってしまった。 日本では、お客側の我慢で治まるかも知れない。 しかし、国によっては、相手によっては、その場で、”ズドン!”と鉛の玉や 鋭い刃物が、それを言ったあなたの体を突き抜けることさえある。 さしずめ、トヨタ車の問題に例えると、アメリカを中心とするバッシングは、 この、”鉛の玉”や”鋭い刃物”でもある。 JALの、少なくともアテンダント(ANAも一緒だが)にもそれがあったと 思う。 単に新型インフルや世界的なテロの影響だけではない。 それだけなら、本当に好きな人々は、多少のリスクを背負ってでも最優先で 乗る人は乗る。 しかし、それ以前の問題で、【好きだったのに、好きで無くなった】人々が 元々、断然に多いのである。 ギャレーの中で、搭乗しているお客さんの噂話しや、批判をしているようでは 既にアテンダント以前に、サービス業ではない。そんなのは 殿様商売 と言う。 昔のアテンダントなら、お客様に絶対に聞こえないように、ところでやった こと。 お客様に聞かれた時点で、完全にOUTである。 たった一人か、数人のこんな行為で、一人のお客が完全に乗らなくなるのである 買わなくなるのである。 その相乗効果を考えて欲しい。 ネズミ算式だと思う。 トヨタ車においても、本番はこれから。 物、サービスの質はある程度努力し、高めれば、ある一定の法則で必ず収束もする。 (費用対効果の法則で、お客側も無理を言わなくなる分岐点が必ず存在する。) しかし、物、サービス提供側の人間の根源的その質は、未来永劫収束点はない。 驕り高ぶり、一時の油断で、即、 ”奈落の底” なのである。 いづれも、民業の事例を挙げた。 本当は、民業の前に、官業と言うか、行政がその模範を示して、正に民業を行政 指導しなければならないところ。 ところが、少なくともこの国では、民業よりも官業(行政)の方が、その人的、 人間としての根源的資質が低く、低俗でもある。 まったくの逆転現象の実態が、この国の根源的問題でもある。 行政サービスの低俗さ、そのバラつき、不公平さ、いい加減さは、毎度、報道 でもお馴染みのことだろう。 そんな中、民業は相当に頑張っていることは、確かな事実でもある。 しかし、指導する側の官業(行政)のレベルが上がるどころか、その仕組みさえ 存在しない。 民業ならば、倒産、清算されることで、新たに仕切り直し、やり直しのチャンス もある。 しかし、官業(行政)にはそれがない。少なくとも一般的ではない。 (省庁再建や社会保険庁の廃止は、見かけだけ、中身、人員は殆ど 変ってない。つまり、表紙を替えただけ。) よって、官業(行政)では、実力であろうがコネであろうが一度潜り込めば、 刑事事件でも起こさない限り、一生涯その仕事をつづけ、何の人間的進歩が なくても、未だ、一定の豪華な退職金と年金を授受してもいる。(現状の 一般的な民業に比べて) 民業からしたら、確かに こんな連中に行政指導権があり、世間の実態、風にそぐわない要請や指導を受ける のである。 早い話しが 不完全過ぎる親(官業「行政」)が、これから育つ将来有望だが未熟な子(民業) を育てようとしているようなもの。 民業が勝手に勝手な行動をしたくなるのも良く分る。 民業が官業(行政)の言うことを聞かなくなる、離れようとするのも良く分る。 いつも字足らずで、伝えたいことがすべて伝わらないけれど、 ハッキリ言って、これから始まるこの国の後半人生「国生」は、相当に厳しい ものとなる。 麻薬のようなお笑い番組と、嘘と欺瞞だらけの愛国情報だけは、マスゴミに よって垂れ流され続けることだろう。 しかし、その裏で、この国の癌は、着実に進行し、確実に最期を迎えもすること だろう。 ハッキリ言う。 ps 既に、欧米(闇)連合はその準備に着手しており、つまり、 日本の行政機構を現存させることで、自然と日本国を操縦し易い、欠陥国家のまま として、改善させない。との戦略。 (詳しくは、いづれ時期みて追報します。) |
才谷屋 龍馬の随筆部屋





日本語乱れてますね。私も帰国時やサイパン渡航時に時折斯様な乱れた言葉を聴くことがあります。会社の同僚の言葉を引用するときに上司とはいえ客に「○○さんがおっしゃてました」なんて平気で使用するケース幾度と無く聞いてますよ。
[ 彩帆好男 ]
2010/2/14(日) 午後 3:31
確かに敬語の問題も相当前から指摘されてますね〜
私は贅沢は望んでいないのですが、正直、”はい”と”うん”の違いくらいは、理解した上で使う日本人に成って欲しいと、ただ、それだけを切望しております。’老婆心’とか言われそうですが、そんな問題じゃなくて年齢も関係でなくて、日本人そのものが問われている事態だと思ってます。
2010/2/14(日) 午後 4:29
そうですよね
[ C@lpis ]
2010/2/14(日) 午後 5:52
私にも経験あります!
「“うん“!?“うん”とはなんだ!“うん”とは!!私はあなたの友達じゃないんだ。なにが“うん”だ!!」とぶち切れた事・・・。
自己犠牲の精神も、感謝の心すらも無く、自分勝手に我侭を言っているこの国の民を見ていると、やはりショック療法しかないのかも、と思ったりもします。
コーヒーのCMではありませんが、「サルのままの方が良かった」のかも。
「猿の惑星」って本当にリアリティーありますよね。
ところでかのレオナルドダヴィンチの傑作「モナ・リザ」
背景は後から描き直したようなのですが、モナ・リザの向かって右側は現在(当時)の地球(地上)、左側は人間によって破壊された地上を描いている、という事です。
よってモナ・リザのあの複雑な表情は、後々の人類への嘲笑なのかも知れませんね。
2010/2/14(日) 午後 10:23
本日は、朝からず〜〜っと気分悪かったです。
WCで日本が優勝しても、ここで韓国に負けてるようでは、体が血も引きます。
先ほど、近くのガソリンスタンドで同じようなことがあり、吠えても来ました。
私は、サッカーファンをもう止めます。
自分のためにだけ生きたいと思います。
モナリザの話し、泣きながら読みました。
ダメなんです。
人類は、驕り高ぶり、誰の忠告も聞かない。
消え去るのみだと思います。
2010/2/15(月) 午後 7:39