日本料理 齋藤章雄のブログ

丸の内 しち十二候も奮闘中。波乱万丈?だった私の料理人人生を振り返り、これからの日本料理を考えられればと思っております。
「日本料理って何がすごいんですか?」
 
 外国人からそんな質問を受けると、繊細さ、ビジュアルなどと答える料理人が今や圧倒的だと思います。ビジュアル重視の時代ですから、料理人もそこに傾斜してしまうことはあるのかもしれませんが、私から言わせればそこには大いなる勘違いが含まれているケースが少なからず存在します。ビジュアルは大事ですが、日本料理の魂は、日本が誇るべき「四季」と共に生きる文化であり、例えば魚の塩焼きを食べて「今の時期だよね、この魚」と季節を感じ取れることがもっと大切なのです。飾りつけをしなければ季節を感じ取れないような料理ではだめ。料理人自ら、「松茸は秋でしょう」と言っているのに、安く仕入れられたからと真夏に出すようなことをしてしまうから、他の素材にしても同じことをしてしまうから季節がめちゃくちゃになってしまって、ビジュアルに頼らざるを得なくなってしまうこともあるのではないかと思います。その季節の素材感を大事にして、ぜひ五感で季節を感じていただきたいものです。そんなことが日本人の心の奥に訴えかける日本料理だと、私は、そして私を厳しく、愛情深く教えてくださった数々の師匠たちも信じて疑いません。
 
出汁のところで触れましたが、季節によって、地域によって、海流によって、陽のあたり方によって、同じ地域ブランドの昆布でも味は変わってきます。もちろん季節によって、地域によって収穫される野菜と収穫の時期が変わり、そうしたズレを逆にうまく利用しながら、その日の料理を組み合わせていく。
 
 冷凍された食材を出さない、つまり生で出すのですから、野菜にしても鮎にしても蟹にしても取れる季節は決まっていて、よって出せる時期も決まっている。その季節を大切に扱い、五感で感じていただきたいからこそ、上身下身も、ビジュアルも、そういう意味では「おもてなしの心」そのものなのです。おりしも東京五輪が決まり、おもてなしの心、などがもてはやされていますが、日本料理で具現化するためには、もう一度、日本料理が大切にしてきた文化というものの価値を見直してみる必要がありそうです。
 
 繊細である、これも当たり前。魚の下身だから、と言っても、上身下身を知っている人は、それはそれで丁寧に扱われて流通されるわけで、ちょっとした細胞レベルのばらつきやくずれがあるか、どうか程度なのですから、そこに気を使う人々が繊細で無いわけがない。漁師であれ、農家であれ、仲買人であれ、魚屋であれ、料理人であれ。言いかえれば、素材を心から大切に扱おうとする精神みたいなものです。それがまず、繊細さの根っこになければならない。
 
 しかし、現在はそういうことではなくて、どうしても料理のアレンジの仕方が細かいという意味で繊細という言葉を使っていることが多いのです。私にも料理人として経験があります。その店では、本物の桜や日本人形などを添えて季節感をたっぷり出したコースに行列ができるほど大変な人気がありました。調味料や素材感もそこそこくらいなのですが、それでも「素晴らしい」という評価を得たりするわけです。かりに美的センスで料理家になれるのなら、芸大とかデザイン学校卒の人でもコンサルに入れるといい。その方がきっと、見た目にはいいものができます。
 
日本料理や和菓子に見る美しさは、巡りくる季節に通わせる心を、同じように食する人々に楽しみ感じてほしいと素材に込めたゆえの美しさでもあります。見た目にも季節をあしらいながら、それを食した瞬間に「春だね」「夏が来たね」「この味を待っていたんだ」と口の中に広がる季節を感じ取っていただける繊細な感動を、どこまで追求できるかの心が、日本が大切にしてきた食文化の繊細さなのです。

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◇魚について
 
海外に行ってよく思うことは、日本人は本当に魚を丁寧に扱うなあ、ということです。もともと日本には、海の幸といえば「生が最高」という文化があると思いますし、今でも多くの日本人はそのように考えているのではないかと思います。
 
ずっと前にブログでも書いたのですが、魚の「上身」と「下身」の考え方をご存知でしょうか?これは、どれだけ日本人が生魚を大切に扱ってきたかを象徴するものでもあるのですが、まず、私たち日本料理人は調理場で魚を前にしたとき、魚の腹を自分の方に向け、頭を左に向けた状態に寝かせます。この状態で、見えている側が上身、まな板側にあるのが下身です。今や、和食を扱う料理人でもそんなことを知らない人が多いようですが、なぜそうするのかと言いますと、先の「生を大事に扱う」という食文化に大きく関わってきます。
 
日本では、おそらく長年かけてそういう了解ができてきたんだと思いますが、海でとれた魚をなるべく傷めないように、魚の「置き方」を考えて流通する文化がありました。市場などに運んでいる途中では、どれだけ丁寧に扱っても振動などで下身は痛みやすいので、上身と区別する文化とも言えるでしょう。ですから流通途中では、魚を決してひっくり返したりせずに届けられ、我々が市場で仕入れた魚もそっと「下身は下に」しながら店へと運び、調理場でもそのまま「腹を手前に頭を左に」で上身と下身の使い方を分けて考えるわけです。
 
この過程では、漁師さんから仲介の方々、鮮魚店、そして我々料理人に至るまで、我々が食する魚に関わる人すべてが上身下身を意識して、生魚を大切に扱う気持ちをあたり前のように受け入れていました。
 
しかし残念ながら、今はそういう魚を見つける方が大変ですし、そんなことは関係ないみたいな料理人がいるのも悲しい限りです。まあ、大量仕入れ・大量加工が主流の時代ですし、冷凍品も増えているわけで、仕方がない部分もあるでしょうが、それにしてもこのままでいったら魚の上身下身なんて、完全な死語になってしまって、それと共に私たちが大切にしてきた文化、つまり外国のすべての人々から評価されるべき日本料理の基本が消えてなくなってしまうという怖さがあります。

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私が思う 日本料理 9

 
◇出汁は素材をひき立てるだけでなく、素材そのものになり得る
 
使う素材が日々変わる中で、出汁がいつもと同じなのは、背景の変わらない劇場で行われる時代劇のような感じがします。ストーリーは分かっても、どうも感情移入しにくいといいますか、役者の演じる姿に厚みを感じないといいますか、全体が馴染みきらない感じがします。出し物が変われば、設定が変われば、それにつれ背景も変わるのが、全体としても楽しめるように思えるのは私だけではないでしょう。
 
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 その出汁をどうするか。先に述べさせていただいたように、同じ産地の昆布でも味が違う、煮出し方でも違う、鰹の加え具合でもまた変わってくる、それから出汁と一緒に炊く素材でも変わってくる、はたまた食する人の味覚でも違う印象を受けるということになると、いったい何をもって正解としましょう?いや、こうなってくると無限の組み合わせなので、わけがわからないというのが正直なところであり、やはり正解はないのでしょう。
 
 だからこそ私は、料理には何より出汁が大切だと考えるのです。わけがわからないから人工調味料で片付けてしまうのではなく、前述したように、まずざっくりと考える。どうすれば目の前にある素材は引き立つのか。濃いのがいいのか、薄いのがいいのか、昆布だけがいいのか、鰹も必要なのか。料理本もある程度は教えてくれますが、それは常識の範囲=スタンダードであって、あなた個人の嗜好まで含まれてはいないと考えて付きあうべきでしょう。
 この思考がスタートです。とはいえ家庭で出汁を考える場合、本気になる必要もなくて、気軽に明日はちょっと長めに煮出してみようかとか、昆布はもう入れっぱなしで出そうかなど、何気にやっていくうちに、家族の反応がだんだんとすばらしい家族の味を生んでいくことになるのだと思っています。

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私が思う 日本料理 8

◇家庭の味噌汁には無限の可能性
 
 ほとんどの方々にとって、家庭料理の中で出汁を使うものといえば、まず思い浮かぶのが味噌汁なのではないでしょうか。そこでみなさんはどのような出汁を使うでしょう?手軽でうまいと感じる市販の調味料か、本物の昆布や鰹節か、それともそれらを混ぜこぜに使うか。家庭の味というのは、賢い奥様の数だけいろいろな工夫がなされ、出汁の取り方にもいろいろあって、それぞれにいい味を出していて興味深いのですが、それらは見方を変えれば無限の可能性があるということでもあるんです。
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 基本的なところでいけば、ハマグリのように素材の味を出すときは、昆布出汁だけでよく、アサリやシジミのように味がもう少し濃くても良いときは、鰹が効いていた方が良い。教科書的には分量まで書かれて模範的な出汁が説明されていたりしますが、そこから先、出汁そのものの濃さはどうなのか?というと、そんなもの人によって好みが違うのだから好き好きで良いのです。家庭の中で「美味い!」と言われればそれでいいのです。そもそも、家庭料理で、教科書に書いてあるように本当に濾さなきゃいけないの?という疑問が私の中にはあります。ただ大事にしてほしいのは、調味料の味を「美味い」と言わせるのではなく、出汁がきちんとひき立てた素材の味を「美味い」と言わせなければならないことでしょう。
 
 お吸い物なら味噌汁とは逆で、淡い昆布出汁で、具の味をひき立てることが求められます。魚や野菜料理でも出汁の強さは分かれます。家庭では、鰹出汁だと魚の味が消されてしまうから、弱めに、とかは意識してほしいところ。また野菜の煮物は、マクロビオテックでなければ、鰹出汁をほんの少し香らせるのが良いでしょう。しかし、野菜のお浸しとなると、さりげなく濃厚な出汁を使って、出汁で食べさせる趣向とするのがお薦めです。
 

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私が思う 日本料理 7

◇雑味を見落とすな
 
 前回の繰り返しになりますが、産地とか日照条件とか、いろいろな作用によって変わってしまう味を見極め、料理の中で修正し、活かしていくような作業をするには、やはり10年くらいの経験は必要なのだと思います。同じ海の畑で採れた昆布でも、見た目は同じように見えても、料理の過程でほんのわずかに出現する味の誤差。これを修正してやることこそ、知識だけでは絶対に難しい、経験の成せる業であると思うのです。
 
 料理本をいくら見ても、そんなことは書いていません。というか書きようがないので、私が今ここで、なんとか片鱗だけでも知っていただきたいと挑戦しているわけでもあります。
 
本の中では「良いところだけでやろうや」となります。いわゆる煮たてない、失敗の少ないやり方がメーンとなってしまいがちです。しかし、昆布を食材として意識するとき、煮たてたときのトロッと感や甘味は、他の食材を刺激してくれて、前述したように他の野菜との絶妙なバランスを生む、うま味が引き出されるのです。いわば教科書で言う「雑味」とは、見る角度を変えると、他の食材に染み入り、包み込む、うま味を支える大切な物質となってくれることを知ってください。
 
 要は、バランスが大事。薄い昆布出汁、濃い昆布出汁、どちらがいいのかは、組み合わせる料理にもよるわけですが、日本料理で大事にすべき素材感を意識すると、私にとっては後者が多くの場合、必然となっているということなのです。そうでなければ、今どき、どこにでも売っているアミノ酸系の調味料をポイッと落とせば済む話なのですから。

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