齋藤摂津守の城郭訪問記

斎藤摂津守の城郭訪問記は「ゆめの跡に」(アメブロ)に

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毛利勢が本明城を攻略

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永禄五年二月七日(J1562年3月11日)

毛利勢が本明城を攻略

 安芸毛利氏の頭領・毛利元就(67)とその次男・吉川元春(33)ら毛利勢は昨年十一月に毛利氏に叛いた福屋隆兼(年齢不詳)の石見本明城を二月七日に攻略した。

隆兼の消息は不明、尼子氏を頼って出雲に落ち延びたとみられる。残された福屋氏一族や城兵は毛利勢により殺害された。

毛利勢が松山城を攻略

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永禄五年二月六日(J1562年3月10日)

毛利勢が松山城を攻略

 安芸毛利氏の頭領・毛利元就(67)とその次男・吉川元春(33)ら毛利勢は二月六日、石見松山城を攻略した。城主の福屋隆任(年齢不詳)や牛尾久清(年齢不詳)の家臣・山崎某(名前・年齢不詳)らが討死した。隆任の父・福屋隆兼(年齢不詳)は松山城を脱出して本拠・本明城に逃げ帰ったが、毛利勢も休むことなく本明城に迫っており、福屋氏の命運も尽きつつある。

毛利勢が松山城を包囲

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永禄五年二月四日(J1562年3月8日)

毛利勢が松山城を包囲

 安芸毛利氏の頭領・毛利元就(67)とその次男・吉川元春(33)ら毛利勢は二月四日、毛利氏に叛いた福原隆兼(年齢不詳)が逃げ込んだ石見松山城を包囲した。松山城の城主は隆兼の次男(嫡子)・隆任(年齢不詳)。尼子氏家臣・牛尾久清(年齢不詳)が援軍として入城している。

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山吹城
本城氏の居城


永禄五年二月二日(J1562年3月6日)

毛利元就が本陣を石見国邑智郡三原に移す

 安芸毛利氏に叛いた石見本明城主・福屋隆兼(年齢不詳)の攻撃を受けた福光城主・吉川経安(38)の要請を受け、次男・吉川元春(33)とともに後詰のため石見に出陣していた毛利元就(67)は、不利と見て松山城に退去した隆兼を追って二月二日、本陣を邑智郡三原に移した。

 永禄三年末(1561年1月)、出雲の尼子晴久の急死を受けて跡を継いだ義久(23)は将軍・足利義輝(27)に調停を依頼し、先月元就は尼子氏の石見不干渉を条件にこれに応じた。これにより、隆兼やこれを支援する尼子家臣の本城常光(50)・牛尾久清(年齢不詳)・多胡辰敬(66)らは苦しい立場にある。

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永禄四年十二月八日(J1562年1月12日)

毛利元就・隆元が幕府相伴衆に

 幕府は十二月八日付で安芸吉田郡山城の毛利元就(65)・毛利隆元(39)父子を相伴衆に任じた。

 毛利氏は石見銀山で得られた利益を朝廷や幕府に進献し、昨年は元就が従四位下陸奥守に昇叙、隆元は安芸守護職に任じられている。

 幕府は毛利氏に出雲尼子氏との戦闘停止を命じており、毛利氏に服従をさせたい考え。一方毛利氏は石見銀山を尼子氏に抑えられており、つい先日も石見本明城主・福屋隆兼(年齢不詳)が毛利氏から離反し尼子氏に寝返っており、簡単には引き下がれない。

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