小樽市議会議員 斉藤陽一良blog.- ヨウイチロウの日記

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「市民が変われば おたるが変わる」という表題で、農林水産省大臣官房政策課企画官、木村俊昭氏の講演をお聞きすることができました。木村さんは、もと小樽市職員、プロフェッショナルというNHKのテレビ番組でも紹介された、地域起こしに全国を飛び回るスーパー公務員。
 
 誠にエネルギッシュ、元気いっぱいに早口で情熱的に語りかける木村さんのお話は、内容ももちろん示唆に富んだすばらしいものであったのですが、その語り口、訴える力、ひきつける力、心の底から、そして行動で、全身で相手の心に飛び込んで行って、相手にも行動を促す、動かないではいられないようにする、そういった魅力を感じさせるものでした。
 
 このお話を、無駄にしないよう一つ一つ着実に、自分のできることからはじめていきたいと改めて、決意を新たにした学習会でした。
 9月2日から小樽・鉄路・写真展が、小樽市色内の旧手宮線で、野外展示で開催されている。さいわい、会期中大雨は、降らなかったようだが、主催者側としては、大変なご苦労があるのだろうなと、老婆心ながら考えてしまった。
 
 しかし、あえて、小樽で、この旧手宮線で、しかも野外で、というところに主催者の意気込みを感じた。ほとんど無数にと言っていいほど、あちこちに所狭しと張りつけられた作品が、一つ一つその作品が、部屋の中で普通に張り付けられている時とは違って、妙に人懐っこく一枚一枚のそれぞれのドラマを語りだす。これが、ロケーション、かけがえのない場所の力というものなのかなと、しみじみ感じた。
 
 写真が好きだ、小樽が好きだ、という圧倒的なエネルギーを感じさせる展覧会でした。
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 小樽市立文学館・美術館が入居していた(間借りしていた)小樽市分庁舎の再整備のための改修工事が、いよいよはじまります。
 
 1952年(昭和27年)、小樽地方貯金局として建設され、1973年(昭和48年)から小樽市の分庁舎として使用されてきましたが、老朽化が激しく、また文学館・美術館の収蔵庫などの機能面で限界に達している状態で、平成22年度の公明党小樽市議団の市長に対する予算要望でも取り上げていたもので、このほど美術館収蔵庫の地下への集約と、1階に市民ギャラリー、多目的ギャラリー開設、3階に小樽の生んだ国際的な美術家、一原有徳さんの展示室の新設、多目的広場や駐車場などの外構の整備などが、総事業費1億4,630万円ほどで行われることになりました。
 
 1階に新設される多目的ギャラリーは、美術だけでなくミニコンサートや各種のパフォーマンス、フリーマーケットなどにも使用できるもので、さまざまな文化芸術活動の発表の場として大いに期待されます。
 
 また美術館の収蔵庫は、現在、狭く天井の低い中二階の部屋などに分散しており、安全に整理保管するうえで限界でした。今回は、大部分が地下に整備される大きな収蔵庫に集約されるため場所的にはかなり改善されそうです。しかし、温度、湿度を一定に保つ空調設備などは、これからの課題として、残されています。
 
 建築史の上でも戦後の機能主義のビル建築として貴重な歴史遺産でもあるこの建物を、活用しつつ後世に受け継いでいく工夫を、これからもつづけていかなければなりません。
 
 今回は、工事開始直前の状態を確認する意味で、詳しく現状をみせていただきました。地下に残る貯金局時代の食堂やお風呂、美容室の跡など、興味深いものもたくさんありました。
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 8月24日(火)、午前9時45分から、新築なった市営オタモイ住宅3号棟の現地視察が行われました。住宅行政審議会の委員、建設常任委員会の委員、市議会議員の希望者に公開されました。
 
 ユニバーサルデザインの考えから設計され、玄関も各室の入口も全く段差のないつくりになっています。車椅子仕様のところ以外でも、流し台は椅子に腰かけて、調理ができるようになっています。トイレやお風呂も,緊急の時の通報装置のボタンが要所要所にあり、安心感もあり広々として使いやすそうでした。
 
 床は、フローリングのようで多少ふわふわした感じのある、足が疲れない材質で独特の踏み心地でした。
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 今後、高齢者の比率がどんどん増えていく時代、将来の住宅の標準装備が、こういうことなんだと、実感しました。

よこすか海軍カレー

 昨日、8月20日(金)夕刻、鎌倉に住む実妹義兄の一家、4人家族がが帰省して、嵐のように来たり、本日午前9時、嵐のように去って行った。
 
 新潟、小樽のフェリーを利用しての超特急帰省であった。しばしの懐かしい挨拶ののち、珍しいお土産をいただいた。それは、大変な美味しいものであった。まあ、単なるレトルトカレー、と言ってしまえばそれまで、だが、されどレトルトカレー、まことに複雑、深淵なる味わい、トマトベースに、マンゴー、バナナ、リンゴなどのエッセンスをくわえたジューシーかつフルーティーなビーフカレーであった。
 
 終戦の8月、かの太平洋戦争でフィリピンの山中に墜落した戦闘機とともに60数年安らかならざる年月を過ごされた御遺骨が、DNA鑑定により肉親が確認されて、この夏、厚田の戸田記念墓地公園に納骨された。
 
 鎌倉の義兄は、海上自衛官。沖縄の勤務も経験。悲惨な沖縄戦の語り部との対話も記録にとどめ、「戦争ほど悲惨なものはない」との思いを実感。
 
 いたずらな戦争は、国民を不幸のどん底に落とす。しかし、近代国家日本として、いまだにパワーポリティックスの国際社会のなかでは、日本の自衛隊の役割は、依然として大きいといわざるをえない。
 
 日本人に最も親しまれている洋食「カレーライス」は横須賀の海軍からはじまった。近代日本の光と影、平和を祈念するよすがに、「よこすか海軍カレー」に舌ずつみのひと時であった。
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